X



【音楽】終戦後の人々の生きる希望や勇気を…混乱の中で流れた歌謡曲、並木路子「リンゴの唄」誕生秘話 [フォーエバー★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001フォーエバー ★
垢版 |
2022/08/16(火) 17:14:44.69ID:CAP_USER9
8/15(月) 8:27配信

日刊スポーツ
1977年(昭52) NHK「ひるの歌謡曲」に出演した並木路子さん

<ニュースの教科書>

 きょう8月15日は77回目の「終戦の日」である。1945年(昭20)8月15日正午、昭和天皇の肉声による玉音放送がラジオから流れ、国民が太平洋戦争の終結を知った日である。数多くの犠牲者を出し、国土は焦土と化した。敗戦の混乱の中で、人々に生きる希望や勇気を与えたのはエンターテインメント(娯楽)だった。特に「リンゴの唄」(並木路子)は、戦後初のヒット曲として大流行した。同曲を中心に、終戦直後のエンターテインメントの“胎動”を振り返る。(敬称略)

【写真】55年 旧両国国技館は終戦後はGHQに接収されてメモリアルホールと改称されたが、国際スタジアムと名称を変えローラースケートリンクとして開場した

    ◇   ◇   ◇

 玉音放送は「朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ」で始まる。

 玉音とは天皇の肉声の意味。昭和天皇が読み上げた「終戦の詔書」を録音して、45年8月15日正午にNHKラジオで放送された。当時の詔書とは、天皇の命令を伝える公文書のこと。国民は4分37秒の玉音放送で、ポツダム宣言の受諾による敗戦を知ったのである。

 長い戦争が終わった。町は焼け野原となり、食糧も行き渡らない中で、人々は必死に生きようと努めた。そんな人々の心の飢えや渇きを癒やしたのが娯楽だった。日本を占領・管理する連合国軍総司令部(GHQ)の検閲や接収などがあったが、文化やスポーツはすぐに息を吹き返した。

 その代表が並木路子(当時24)の歌う「リンゴの唄」(作詞・サトウハチロー、作曲・万城目正)だった。

 <歌詞>赤いリンゴに くちびる寄せて だまって見ている 青い空

 終戦から約2カ月後の10月11日に公開された映画「そよかぜ」(佐々木康監督)の挿入歌である。並木の映画初主演作である。歌手を目指す少女のスター誕生物語だった。松竹の作品データベースによると戦後に製作され、GHQの検閲を通った第1号映画という。映画は戦前から娯楽の王様だった。ロケは終戦からわずか半月後の9月に始まった。「戦意高揚ではなく娯楽映画を届けたい」という映画人の熱意だった。

 映画を見た人は「リンゴの唄」に聞き入った。レコードはまだなく、NHKラジオで並木が歌う同曲が流れたことで火が付いた。大本営発表と軍歌ばかりだったラジオから、歌謡曲が久々に流れた。人々は戦争からの開放を実感し、明るい歌声に魅せられた。実はその歌声には、並木の壮絶な戦争体験が隠されていた。

 並木は36年に15歳で松竹少女歌劇学校に入学した。翌年に初舞台を踏むなど順風だったが、戦争が愛する人を次々と奪った。

 45年3月9日の東京大空襲で、母を亡くした。無数の焼夷(しょうい)弾で炎が迫る中、並木は母の手を引いて墨田川のほとりに逃げた。熱さで母が川に飛び込んだ。流れは急だった。並木は母の襟首をつかんだ。離すまい、流されまいと必死だった。母の姿が消えた。直後に並木も意識を失ったが、引き上げられた。5日後、警察から呼ばれた。増上寺の遺体安置所で母と対面した。決め手は母の懐に入っていた、並木の松竹歌劇団の給料袋だったという。「私が手を離さなければ…」。後悔が脳裏から離れなかった。

 悲劇は重なった。出征していた兄が戦死し、会社員の父も乗っていた船が撃沈され亡くなった。初恋の立教大生も学徒出陣で帰らぬ人となった。並木は悲しみの連鎖を抱えたまま、映画のヒロインに起用されたのだ。「リンゴの唄」の録音の際、作曲した歌唱指導の万城目は「もっと明るく」とダメ出しを続けた。並木は後に「(悲しみを)引きずっていました。明るく歌えと言われても無理だった」と振り返った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/40d95f74cd7268d00cb7a7be330dc9c685c60442

https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20220815-38150121-nksports-000-8-view.jpg?pri=l&w=494&h=640&exp=10800
0003名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 17:39:20.30ID:d2JxVBsk0
日本初の一発屋
0005名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 17:42:33.59ID:jcoUrvbC0
りんごは何にも言わないけれど
て当たり前やないかい
りんごがしゃべったら八百屋の
おっさん煩てしゃーないわ
0009名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 18:44:29.49ID:LS6qpX4G0
>>1
こういう何気ない曲と歌詞がヒットした
時代は二度と帰って来ない。
自分の生まれる遥か前の曲だから、
流石に古過ぎてリアルには知る由も
ないが、この曲から貧しさの中に
暖かさがあることは感じ取れる。
今のような奇を衒った曲と
刺激を求めて文法的に
間違った、しかも定型化した通俗な
歌詞に平気な現代とは大違い。
0013名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 19:19:27.77ID:bVpZhk4F0
並木塔子さんじゃないのか
0015名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 19:30:29.15ID:ehjNt5120
終戦直後を舞台にした映画だとだいたいラジオでこの歌が流れてる
またこの歌かよと思ってたけど、ほんとにそれくらいしょっちゅうかかってたのかな
0016名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/16(火) 20:05:28.00ID:onQtswpo0
当時はラジオでリンゴの唄がよくかかっていた。新曲が次々に出ることがない時代だから。
自衛隊の楽団がボンネットバスで地方に来てこの曲を演奏していたね。道路にゴザを敷いて
聞いていたな。獅子てんやもやったって言ってたな。
0017ただのとおりすがり
垢版 |
2022/08/16(火) 20:06:48.57ID:xdjTP9uv0
あかいりんごにくちびるよせて
だまってみているあおいそら
りんごはなんにもいわないけれど
りんごのきもちはよくわかる
りんごかわいいやかわいいやりんご
0019ただのとおりすがり
垢版 |
2022/08/16(火) 20:15:53.98ID:xdjTP9uv0
東京ブギウギのほうが後だったんだな(1948)
占領下を振り返る番組の歌でよく流されるのはこの2曲だったよな
0022名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/17(水) 00:55:14.16ID:wa9GjNsu0
赤いりんごにくちびる寄せて
黙って見ている青い雲
りんごは何にも言わないけれど
りんごの気持ちはよくわかる
りんご可愛や
可愛やりんご

どう見ても無表情芸ロリを青姦する隠喩やないかい
0023名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/17(水) 02:42:40.10ID:n5zF61yF0
北野ファンクラブだったか
りんごを全部ち〇〇に置き換えて歌ったのは
0024名無しさん@恐縮です
垢版 |
2022/08/17(水) 16:30:27.33ID:QYToS1u20
アッポーソング
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況