東スポWeb 8/14(日) 6:15

〝流浪のフットボーラー〟ことMF田島翔(39)の激動のサッカー人生とは――。これまでスペインやクロアチアなど世界7か国でプレー。現在は神奈川県3部の江の島FCに所属する一方、7月にはプロ雀士の試験に合格し、今後は〝二刀流〟として活動する。そんな田島が自身の半生を振り返り、カズこと元日本代表FW三浦知良(55=JFL鈴鹿)が原点だったと告白した。(連載全5回)

【サッカーと雀士の二刀流・田島翔がキャリアを振り返る(1)】

 ――これまで世界7か国でプレーしてきた

 田島 始まりはどうしてもプロサッカー選手になりたかったんです。カズさん信者だったので、中学生の進路希望ではマネをして「ブラジル」と書いたのですが、当時は資金がなかった。高校(北海道函館工業)でも無名で、どこのクラブにも受け入れてもらえませんでした。そこでプロになるため海外で実績をつくり、逆輸入を目指すことにしたんです。それで2002年にシンガポールにサッカー留学したのがキッカケですね。

 ――留学を経て04年にFC琉球へ加入した

 田島 シンガポールでアピールすれば契約してもらえるかと思ったんですが、外国人枠もあってうまくいきませんでした。それで帰国し、Jリーグを目指すクラブにコンタクトを取り、当時県リーグの琉球に加入しました。練習生からスタートし、半年後にプロ契約に結んだんです。監督はジョージ与那城さん。ヴェルディ(東京V)の選手がたくさんいましたね。付いていくのがやっとの中、大ケガをしてしまって。その後、契約満了で退団です。

 ――しばらくリハビリしてから08年にはクロアチアへ渡った

 田島 大ケガだったのでプレーできるまで約1年半かかり、しばらくは浪人生活でしたね。ちょうどプレーできるようになったころ、地元のクラブ(ノルブリッツ北海道)で調整していたのですが、日本はすでにシーズンの真っ最中で、すぐにどこかのチームに加入するのはかなり難しい状況でした。それならば、これから開幕を迎える「海外へ行こう」と思い立って、クロアチアへ行くことを決断しました。

 ――なぜクロアチアだったか

 田島 かつてカズさんも(1999年から)クロアチア・ザグレブでプレーしてましたよね。それで在クロアチアの日本大使館をはじめ、いろいろな人を紹介していただき、その縁でテストを受けることになり、2部バルテクスに所属できました。ただ、グラウンドは田んぼみたいで、環境はあまり良くありませんでしたね。プレーはフィジカル重視で激しい。それでいて足元のテクニックも優れているという印象でした。日本人ということで「ミウラ!」と声をかけてもらえるのは素直にうれしかったです。

 ☆たじま・しょう 1983年4月7日生まれ。北海道北斗市出身。北海道函館工を卒業後の2002年にシンガポールへサッカー留学。04年にFC琉球入り。07年シーズン後に退団し、クロアチアやスペインでプレーし、12年にJ2熊本に入団した。その後、ニュージーランドや米国、韓国、サンマリノでプレーし、22年に江の島FCに加入。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格した。168センチ 62キロ。

東京スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd8bb7e798c8ad91f0ee5a88013c89af2f094ac4
サッカー選手と雀士の2つの顔を持つMF田島翔
https://i.imgur.com/cdYaDcz.jpg