シン・リジィはなぜブレイク直前に匿名でディープ・パープルのカヴァー集を録音したのか? メンバーやマネージャーが語る
2022/08/12 15:26 amass
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シン・リジィ(Thin Lizzy)がブレイク直前の1973年に匿名でリリースしたディープ・パープル(Deep Purple)のカヴァー・アルバム『Play a Tribute to Deep Purple』。なぜ彼らはこのような作品を録音したのか? 英Classic Rockは当時のメンバーやマネージャーから話を聞き、特集しています。

デッカからリリースされたシン・リジィの1stアルバム『Thin Lizzy』(1971年)と2nd『Shades of a Blue Orphanage』(72年)はいずれも商業的に失敗。1972年当時、レーベルは彼らとの契約を終わらせようとしていました。

もう1枚シングルを出せば、それでおしまいでした。フィル・ライノット(Phil Lynott)はこの状況を打破するようなヒットが出ると確信して書いた曲、「Black Boys On The Corner」に自信がありましたが、デッカは納得せず、11月に発売されるシングルのB面になり、その代わりにレーベルは、アイルランドの伝統的なフォークソング「Whiskey In The Jar」のカヴァーをA面にしました。ライノットはこれに激怒したという。

バンドのマネージャーだったテッド・キャロルはこう話しています。

「彼は“Black Boys”をバンドにとって最初の大きなステートメントとなるシングルだと考えて、とても力を注いでいた。でも、我々は反論できる立場ではなかった。当時、リジィは借金を抱えていて、状況は絶望的になりつつあった。デッカは“Whiskey”をA面にしてほしいと言ったので、我々はそれに従った。そしてバンドはこの曲をライヴで演奏するようになったんだ」

バンドは、最終的に収入につながるようなことをしようと必死でした。

彼らは1,000ポンドを受け取って、Stereo Gold Awardのためにディープ・パープルのカヴァー・アルバムを録音しました。このレーベルは、格安で録音した101 Stringsコンピレーションを60年経った今でもショップで散乱させている、格安レーベル起業家デヴィッド・L・ミラーが立ち上げたものでした。

ミラーは、新進気鋭のミュージシャンを雇って流行の楽曲をレコーディングし、それを不注意な買い物客がオリジナル曲だと思って購入するようなアルバムをリリースしていました。今回も当時のディープ・パープル人気にあやかり制作したものです。

ディープ・パープルが『In Rock』や『Fireball』を録音したロンドン中心部のDe Lane Leaスタジオでレコーディングを行ったシン・リジィは、別のアイルランド人バンド、エルマー・ファッドから2人のミュージシャンを呼び寄せ、レコーディング・セッションに参加させました。

ドラマーのブライアン・ダウニーは当時のことをこう話しています。

「フィルは自分をイアン・ギランというよりロッド・スチュワートだと思っていた。だから彼はベースとバッキング・ヴォーカルを担当し、ヴォーカルはギランの模倣犯のような(エルマー・ファッドの)ベニー・ホワイトを起用したんだ」

フィル・ライノット、ブライアン・ダウニー、エリック・ベル、そしてエルマー・ファッドのベニー・ホワイトとデイヴ'モジョ'レノックスは、「Fireball」「Black Night」「Strange Kind Of Woman」「Speed King」の計4曲のディープ・パープルのカヴァーを録音しました。彼らはまた、1968年にパープルがヒットさせたジョー・サウスの「Hush」も録音しました。

さらにオリジナル・トラックとして、レオ・ミュラー(別名デヴィッド・L・ミラー)とクレジットされた曲もありました。これはレーベルのボスが印税も含めて受け取れるようにしたものでした。その中には、スタンダード曲「Danny Boy」を即興で演奏した「Dan」や、「House Of The Rising Sun」のカヴァーである「Rising Sun」も含まれています。

このアルバムは1973年1月にファンキー・ジャンクション(Funky Junction)名義でイギリスのハイ・ストリート・チェーンWoolworthsで発売されました。価格はわずか50ペンスでした。ジャケット・カヴァーには、全く別のアイルランドのバンド、Hard Stuffのライヴ写真が使われています。ドイツでは、この作品は全く別のバンド、ザ・ロック・マシーンがクレジットされています。