【芸能】桑田佳祐、ドリフターズの「6人目のメンバー」になる可能性があった [ネギうどん★]
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佐野元春、世良公則、Char、野口五郎という同じ66歳のアーティストをゲストに迎えた新曲「時代遅れのRock’n’Roll Band」を5月22日にリリース、オリコン週間デジタルシングルランキングやビルボードジャパンを席巻している桑田佳祐。
現在も精力的に活動しているが、今から44年前の1978年6月25日はサザンオールスターズのデビューシングル「勝手にシンドバッド」が発売された日。実はこの曲名、当時放送されていた人気番組「8時だョ!全員集合」で志村けんが披露したコントネタからヒントを得ていることをご存じだろうか。桑田本人もそれを認めている。
「デビュー当初のサザンは『全員集合』などバラエティ番組にも積極的に出演し、なかでも彼らのことを特に可愛がっていたのがいかりや(長介)さん。あのころ加藤茶さんや高木ブーさんのグループ脱退が囁かれていた時期で、代わりに桑田さんをスカウトしたと言われています」(スポーツ紙芸能デスク)
今でこそバラエティ慣れしているアーティストは多いが、70年代ではかなりレアな存在。新人時代のサザンはコミックバンドと呼ばれていたが、業界関係者からはその音楽性が高く評価されており、ドリフターズに必要な人材として目を付けられても不思議な話ではない。
事実、高木ブーは18年7月配信の「文春オンライン」のインタビューで、「サザンの桑田が入ってたかもしれないし」とコメント。噂は事実だったというのだ。
なお、桑田本人は20年4月11日放送のラジオ「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FM)でこの話に言及。いかりや長介がサザンを気に入ってくれていたことを認めたうえで、「俺、ドリフに誘われちゃった」と調子に乗って話を盛ったと語っている。
「ただ、彼がその気ならドリフ加入は十分あったでしょうし、そうなればお笑いの歴史が変わっていたかもしれません。また、両者が交わることがなかったとしてもいかりやさんが存命であれば、音楽でドリフとコラボした可能性も大いにあったはずです」(同)
現に桑田は13年に行われたソロライブ「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」で「ズンドコ節」などドリフの代表曲をメドレーでカバー。バンドとしてのドリフターズも人一倍リスペクトしていたようだ。
https://asagei.biz/excerpt/44658 なんかこの記事めちゃくちゃだな
60年代70年代はいまよりもミュージシャンがバラエティやコント出てた時代だろ
そもそも歌番組がそうだし 日本サッカー代表長友、
大学時代ベンチに入れず
応援席で太鼓を叩いてたら
余りの巧さに鹿島サポ集団に勧誘された。 今でも「自分はミュージシャンと呼ばれるに値する人間じゃない。強いて言うなら歌謡曲歌手だ」と
お高く溜まった存在になるのを嫌ってたな。 ブーを首にして入れるつもりだったのか、歴史が変わってたじゃん >>31
ベタな人選だろ
当時、サザン桑田以上にコミックバンド的に振る舞ってたのはいないし
勝手にシンドバッドはドリフのネタから取ってるとなれば自然と選択肢に入ってくる >>109
名前を引き継いだだけでいかりや加入前のドリフターズは別物 すわけんじは何がだめだったんだろうな?
加藤に気に入られてないから? >>117
ポジションが既に出来上がってたんだよ。売れてた
志村を付き人のままで終わらせたくなかった加藤の友情だな
志村はいかりや離れて漫才やって失敗してた >>68
たまに心底いい曲だなあ、と思ってもソロ曲だよね
結局、桑田の中では十数年前の活動休止宣言の時に
サザンは終わったという認識なんだろう
2010年代のサザンとしての活動は、再結成に近い
ファンサービス、ビジネスに過ぎないんだろうなあ >>76
女々しくてはサザンの匂艶ザナイトクラブのオマージュだよ。
サビ終わりのメロディも似せてるし、MVの撮影現場も同じ。 >>121
今はサザンオールスターズの活動はファンサービス、ファンへの還元
本当にやりたいことはソロで
という感じかね >>129
一昨日のももクロのライブに3人揃って来てたらしい
(俺は遠くて見えなかったが) 金爆が出てきた時もラジオで「最近の若いバンドはもっとゴールデンボンバーぐらい適当な感じでいいんじゃないか」とか言ってたな ロックとは反抗の初期衝動
ロッカーたるもの権威に対しては常に中指立てて舌出して、絶え間ない罵倒と挑発を行わなければならない >>128
野口五郎とペアじゃないと面白さが半減する >>47
江頭のようだったとはアングラ的だった面をタモリが自虐で言ってることだけど
タモリは当時、赤塚不二夫等のアーティストや知的有名人に
芸が大きく認められて出てきたタレントだから
突拍子もなく体を張るヨゴレ芸人の江頭とは存在は全然違うよ >>137
新宿のスナックで夜な夜な素っ裸でカウンターに飛び乗りイグアナの形態模写をしていたのがタモリ
悪乗りした赤塚不二夫や山下洋輔も加わり朝までどんちゃん騒ぎしていたから元祖江頭も間違いではない >>123
バンドが長続きする秘訣がこれなんだよな。 >>140
サザンは結成時からメンバーは対等の関係だったからな
一方でいかりや政権時代のドリフは奴隷制度を採用してたので、ギャランティの配分はもちろん10・0・0・0・0
しかしいかりやはただの暴君ではなかった
自らの取り分のうち何と40%をメンバーに分け与え、6・1・1・1・1とした優しさはもっと評価されていい >>141
他のメンバーは1どころじゃないぞ
仲本が月数十万しかもらってなくて、加藤がそんだけ貰ってなかったのっておどろいてた サザンのメンバーは和やかな雰囲気だったけど、ギターの大森だけは桑田をライバル視してるようなギラギラした雰囲気があった
そして、クスリの件もあって脱退してしまった >>137
なんとなく覚えてるけど
女性客の反応は江頭の時と似たような感じ
うわぁーとかイヤーとかが大半だった気がする >>33
ニッポン放送の今はなき旧銀河スタジオにあったオノ・ヨーコのサインの横にクソバアアと書いた桑田。
どんだけオノ・ヨーコのこと嫌いなんだよ(´・ω・`) >>117
結果、志村を取って正解
すわとのコンペの結果、志村がレギュラー勝ち取ったんや カトちゃんケンちゃんごきげんテレビが
カトちゃんケイちゃんになってたかもって話な
もうだいぶ前に聞いたわ >>144
大森が切られた理由は創価学会への勧誘がメンバーとスタッフにしつこく行われたから
大森が覚醒剤で捕まったのは脱退してから数年後の話 >>138
どちらもアングラ的だったけど、タモリは錚々たるアーティストに気に入られて
30歳の遅咲きで下積みもなく突如デビューしてきた相当なやり手で
アングラ性より、コミュ力の高さや大物に気に入られる面白みが特長だな
テレビ初出演の素人のタモリを見て、黒柳徹子が自分の番組へ出演を直にオファーした逸話なんかもそう
最初からテレビやメジャーに合ってた
江頭はその点どこまでも奇人変人枠 >>141
それはな昔のバンドはバンマス(バンドマスター)が
半分持っていくっていう習慣があったんだよ。
みんなそこ突っ込むけどジャズ時代からそう言うルールだったの。 >>71
そこで声を合わせてニコニコ歌ってる原由子を見るのが好き >>155
ジャガーズというGSはリーダーの宮ユキオがほとんどハネてメンバーには
月1万5千円(当時の大卒初任給くらい)しか渡さなかった 結局クーデーターが
起こって宮は追放 宮は新メンバーを集めてニュージャガーズを結成という
加勢大周騒動みたいな話があった その後和解したのか宮と元のジャガーズで
再結成したりしてた パンツにうんこ付いてるって番組あったよな。
ミスブランニューデイあたりの頃 >>9
夢だったカラオケ屋をオープンさせるためかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています