【プロレス】引退表明・武藤敬司「グレート・ムタは大変だったけど、やってよかった」「高田延彦戦はレスラー人生のピークだったかも」 [jinjin★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「かつて『プロレスとはゴールのないマラソン』と言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します!」
6月12日、さいたまスーパーアリーナで行われたプロレス4団体合同イベント「サイバーファイトフェスティバル2022」のリング上から、武藤敬司が2023年春までに引退することを発表した。
(中略)
グレート・ムタを押し上げた「馳浩との大流血戦」
武藤が群雄割拠のあの時代に特別な存在となったのは、個人としてもう一つ“別の顔”を持つようになったことも大きい。
アメリカ遠征時代の忍者スタイルのキャラクター「グレート・ムタ」を逆輸入したのだ。
「最初に『グレート・ムタで試合してくれ』って言われたときは、それこそ『こんなもん、日本のファンは受け入れないだろう』と思ったんだよ。顔にペイントして、毒霧吹いたりしてさ。ただ、やるからには、何か新しいことをやらなきゃいけないって考えたよな」
じつはアメリカでの「ムタ」と日本の「武藤」は、見た目や毒霧という違いはあったものの試合スタイルそのものの違いはほとんどなかった。
しかし、日本で「ムタ」と「武藤」を別人格として使うなら、スタイルを分ける必要がある。
そこで日本でのムタは、凶器を使い反則御構いなしの“悪の化身”としてヒールを前面に出したのだ。
「ムタで出た2試合目で、馳浩と大流血戦をやってね(90年9月14日、広島サンプラザ)。あれが地上波のテレビで流れたインパクトの大きさで、グレート・ムタのステータスが一気に上がったよな」
これを機に「武藤」として以上に「ムタ」としてもブレイク。
普段の試合では素顔の武藤として出場し、東京ドームなどビッグマッチはムタとして出場することが多くなった。
ムタは新日本の興行的な切り札にまでなったのだ。
ただし、ムタには武藤にはない苦労もあったという。
「ムタをやってよかった」と語る理由
「ムタは毎回、大会場で凝った入場をしてたんだよ。あれは選手からするとすごく大変。横浜アリーナの時は、“忍者”ってことで天井から吊るされて降りてくる入場をしたんだけど、あんなの何試合も前から天井裏で体に命綱巻かれながら待機しなきゃいけないんだから(笑)。試合前って緊張するのにトイレにも行けないし、ウォーミングアップもできない。あれは本当に大変だったよ」
それでも「ムタをやってよかった」と武藤は言う。
「武藤とムタ、二つのキャラクターを演じることで、俺のレスラーとしての幅を広げさせてもらったからね。それに福岡ドーム大会では猪木さんや、ハルク・ホーガンといった超大物ともやらせてもらった。あの二人とシングルで試合できたことは、今となってはすごい財産ですよ」
高田延彦戦は「レスラー人生のピークだったかもしれない」
こうして新日本のトップスターとなった武藤は、95年10月9日東京ドームでの「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面対抗戦」の大将戦で高田延彦と対戦。
武藤はドラゴンスクリューからの足4の字固めという、伝統的なプロレス技でUWFのトップである高田を破り、名実ともにプロレス界の頂点に立ったのだ。
「これまでのキャリアを振り返って最も印象に残ってる試合は、やっぱり高田延彦戦だよな。あの試合が俺のステータスを大きく上げてくれたし、あれがレスラー人生のピークだったかもしれない。あの試合があったからこそ、今の俺があるんだよ。あの高田戦こそ、平成30年間のプロレス界で、最も大きな影響を与えた試合じゃないかな。そういうプロレス史に残る“作品”が残せたっていうことは、レスラー冥利に尽きますよ」
現在、日本のプロレスは多種多様な団体が活動している。しかし、そこに昭和の影はどこにもない。
どこも武藤が持ち込んだ明るさに満ちている。
そして業界最大手の新日本をここ10数年にわたり盛り上げた立役者である棚橋弘至は、武藤敬司から大きな影響を受けたことを公言している。
武藤敬司こそが、猪木の呪縛を払拭し、現在に続く華やかでエンターテインメント性の高いプロレスを作り上げた張本人なのだ。
そんな武藤敬司のラストマッチは来春、大会場で予定されている(対戦相手未定)。
7月16日のプロレスリング・ノア日本武道館大会から引退ロード「ファイナルカウントダウンシリーズ」がスタートし、来年1月22日には横浜アリーナで「グレート・ムタ ファイナル」も開催。
現代プロレスを作り上げた天才のラストラン、しかと見届けよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/435d1eb0193abb3d6dac3cc6d4a1385b2b4ae3a8?page=3
https://i.imgur.com/N6Ct4e7.jpg 小学校の時ムーンサルトとか四の字で病院送りなって教師激怒してたw 武藤さんは禿げてないからな
人よりツムジがでかいだけだからな(´・ω・`)
そこ間違えるなよ >>96
ドームでファンがケンカしてたからな
良くも悪くもそういう時代 >>37
打撃耐性ゼロの武藤なんだから不意打ちハイ喰らって終わりの可能性充分あり 武藤さんとあのムタが同一人物だなんてそんな…嘘だ… ムタのベストバウトは間違いなく小川直也戦
フィニッシュの指ひしぎ逆十字の発想力にただただ感服 それで KG@ なる謎の新人レスラーがデビューするのはいつですか? 俺の友達が武藤と蝶野を別々に街で見かけたことがあるらしいんだけど
意外にも蝶野はやさしくて、すごく気さくに握手してくれたけど
武藤は輩(やから)っぽさがただよっていて、恐くて声もかけられなかったそうだ >>90
いや高田が胸押してからの橋本が水面蹴りは合図として有名
高田対越中という今更のズッコケカード組まれてたな 前田<青空空手
高田<野球少年
武藤の柔道も怪しいけど
こんなのよりは軽く上です >>96
超満員の6万7000人だからな
熱狂は比ではないぐらい凄かった
二階の遠い五千円席がダフ屋で3万なっても売れてた
あのころ有料PVあったらやばかったんじゃ >>96
Uインター最強を信じてやまないファンとかいて非常にめんどくさい時代だった >>96
あの頃の新日本の抗争は凄まじい人気だった
空手、ユーインター、小川、全日本
今でもあの時以上に盛り上がれる
格闘技イベントない >>64
とは言え無理だろうな~やっぱ
軽く流す程度ならやれそうなのかな え?ムタって武藤だったの・・・?ガッカリだよ・・・ >>55
借金返済のためには多少はね。
ニ戦目勝たせてもらえてベルトも巻かせてくれる。その防衛戦をインターでやって儲ける算段が出てきたのは越中詩郎だけってのが新日本の怖さよね >>96
何が凄いって殆ど通常興行のようにライトアップも特別な演出も無くだから制作費格安で済んで客席も入れられるだけ入れてるんだからボロ儲けよ スキンヘッドにしたのはガッカリ
あのギリギリ禿げてないヘアスタイルが良かったのに >>110
その10年以上前に越中が高田に指固めで勝ってる
越中はセンスよかった >>112
蝶野は知り合いが動物病院で見た事あるって言ってたけど、蝶野さーんって呼ばれて普通にはーいって返事してたってさ
アイム蝶野とか言ってなかったって >>79
うむ
ヴィジュアル的にも最高にかっこよかった
今のロスインゴなんちゃらが霞むぐらい >>30
橋本あたり手を上げるんじゃないかな?
ほぼ同期だし >>112
武藤、蝶野、馳、健介に出くわした事あるけど
ハセケンの威圧感が凄まじかったわ やって良かった?????どういうこと???????? ムタの引退はオリジナルのムタメイクでやってほしい。
スキンヘッドの頭部のペイントをどうするかという大問題があるけど。 プヲタは「武藤はムタだったの?」とか言ってるけど、何が面白いんだか…バーカ >>134
あの時の武藤は正統派でカッコいいキャラ設定だった
ムタになって今まで出せなかった、悪とか色々出来たからからだろーね >>1
これ、そうとう木谷におもねった文章だな
アホの木谷のブシロードのせいで、新日はただの組体操集団になっちまったのに。
猪木がなけりゃ武藤はないのに 対抗戦の結果やっぱり新日はすごいUインターはもう終わりだとまで言われたのに
その後PRIDEブームが来て逆に新日が苦境に立たされていく流れが面白い 最後にプロレスが地上波ゴーデンで放送
されたのって橋本小川? 引退試合は色んなレスラーの寄せ書きを身に纏った黒師無双で決まりだな 10.9東京ドーム見に行ってたよ
プロレス好きにはあの試合を見に行った事と「前田が泣いてる」を叫んだ奴を間近で見たのを自慢する >>142
プロレスの枠内でガチっぽい空気出してもホントの競技化されたガチのMMAとは比べものにならず弱かったからな
今みたいにエンターテイメントを全面に出せば人気落ちなかっただろうに >>107
高田が北尾戦みたいにブック破りするんじゃないかってガードを高くしてたとか言ってたな 一番記憶に残っている試合は
ムタVSデンジャラスクイーン(対戦相手はパワーウォリアー) >>126
ハゲは進行するからスキンヘッドにしなかったら
いずれホーガンみたいな状態になっていただろうけど
武藤には似合わないからスキンヘッドでいいと思う >>129
一方ヒール転向後の飯塚は引退まで私生活でも第三者の前では一言も口を聞かなかった >>142
違うよ
抗争とかいろいろ人気と盛り上がり過ぎて
終わったら、他の試合とか迫力とかなくなり、ワクワク感がなくなった
その時に、新製のK-1とプライド
まぁみんなそっちにいっちゃうよなー
あの頃プロレス人気終わらせたは
新日本の行きすぎたパーホーマンスせい パワーウォリアーとかいう塩レスラーがドームで空気も読まずムタに勝った試合が黒歴史No. 1だな
北斗が俺に惚れてるって言ったやつ 高田武藤戦って盛り上がった記憶がない。
むしろあの日いちばん会場が冷めてたぐらいのイメージなのだが。 あそこで、あの時代背景で足4の字を持ってくるのがセンスなんだろな
大笑いww 武藤とムタの引退試合はミスターKのデビュー戦も兼ねる ついにカミングアウトしたのか
ストロングマシン以来の衝撃 >>96
スタンド席に立見とかまで出て凄まじい盛り上がりだった。
天心VS 武尊とか近年の格闘技大会とはレベルの違う熱気。
試合後は東京ドーム近くの居酒屋とかで、ファン同士が反省会や討論やケンカとか朝方までやり合った。 あの試合の後から相手の足に低空ドロップキックして足4の字に移行するパターンが増えたよね。あんなのでプロレスマスターって言われるのに違和感あった。確かに華はあるけど全盛期に三沢とやっても絶対勝てなかったと思うよ。 >>164
あんときの三沢さんはヒョードルより強いからな 武藤がムタだったなんて、コブラがジョージ高野だった時以来の衝撃だわ >>164
三沢と武藤の全盛期ってどこになるんだろうね?体力的には三沢はタイガーマスク時代だろうし武藤もその頃。
レスラーの格としての全盛期はお互い三冠やIWGP持ってた頃なんだろうが 10.9はドラゴンスクリューのドーム内のどよめきが異常だったな
どよめきの後に前後左右の知らん奴どうしが「あの技なに?」「あれなに?」「えぐいの狙ってたのか?」とか話をしだして
伝言ゲームのように「あれはドラゴンスクリュー」「数試合前から使う時があった」って情報が場内を駆け巡った
決めの四の字よりもあの時の方がインパクトはデカかったよ ネタバレすんのヤメロ😡
こーゆー秘密は墓場まで持ってけよ😡 >>165
それもう橋本やってんじゃん
まるばくりじゃん
みたいな微妙な雰囲気だったと記憶してる。 >>96
絶対盛り上がってた
格闘技で一番盛り上がったカードだと思う
本当の事はさておき当時高田か前田が世界最強って思ってる人がたくさんいた
だから高田対ヒクソンが組まれた
天心を世界最強と思う人はいないだろ >>144
その後も何回かやってる
レスリングどんたく2001ぐらいが最後 ムタの正体が武藤だったという設定を最後の最後でぶっ込んできたか
いやいや、そんな訳ねーだろw >>117
松本人志もUインター信者
武藤対高田で高田を応援してた
当時遺書でスポーツ観戦してる人間否定してた時に 武藤は華があったね
もう古い台本プロレスも終わりの時代やね >>186
うわ、ダッサ
インターは紛い物、としか思わなかったわ
U系で一番アレじゃん ホーガン何やってんだろ?息子がやばい事故起こした様な記憶で止まってるわ >>177
確かに、いきなり藤波の技出た時は衝撃的だった
所でムタは武藤だったって知らなかったって
ツリだよね
まぁ海外に行ってムタは人気になって
日本に戻ってきてもムタ人気凄かったからね 武藤がスキンヘッドにしたらムタもスキンヘッドになった辺りから怪しいと思ってたわ プロレスラーが強いか弱いか。
俺は打たれ強いのがプロレスラーだと思ってる。 >>144
調べたらアーネスト・ホースト対ボブサップは2003年にやってたw >>190
遺書で書いたことと今やってることが違うとネタになってるけど昔と考え変わるのは普通
でも当時矛盾してたのはださいwww
しかも高田www >>191
妻が不倫して
息子が事故を起こして
自分は娘の親友とヤったことバラされた後
ホーガンどうなったんだろな >>190
お前格闘技見てなかっただろ
あの時、高田と前田は格闘技会では最強論あったあら ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています