【ゲーム】6月16日は「スペースインベーダーの日」 日本文化にもたらした意外な功績とは? [征夷大将軍★]
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マグミクス2022.06.16
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6月16日は「スペースインベーダーの日」です。1978年のこの日に製作会社の「株式会社タイトー」が、発表会でアーケードゲーム『スペースインベーダー』を初お披露目したことが由来だそうです。2018年、40周年を記念して日本記念日協会に正式に認定されました。
『スペースインベーダー』は日本アーケードゲーム史上最大のヒット作です。当時は「インベーダーブーム」と呼ばれ、その規模は各方面に影響を与えるほどの大きなものでした。そして、『スペースインベーダー』がブームになったことで日本のビデオゲーム市場が誕生し、現在のように世界に誇るコンテンツになったと言っても過言ではないでしょう。
この「インベーダーブーム」の前に流行していたビデオゲームと言えば、『ブロックくずし』でした。このゲームで多くの企業がビデオゲームに参入したそうです。有識者の言葉を借りれば、「日本のビデオゲームはブロックくずしが生み、インベーダーが育てた」と言われていました。
ゲーム開発者の話によると、『スペースインベーダー』の「敵の集団」という発想は『ブロックくずし』が元になったそうです。また、『ブロックくずし』のヒットの要因は「ブロックすべてを消した時の満足感」にあると考え、それを超える満足感を考えた時、「攻撃してくる敵を倒す」というさらなる満足感を思いつきました。
この発想が画期的だったのが、それまでのシューティングゲームは敵が攻撃しないというのが普通だったからです。限られた時間内で的を撃って、その得点を競うというのがそれまでの一般的なシューティングゲームでした。しかし、『スペースインベーダー』は相手が攻撃してくるというスリリングさと、テクニックさえあれば長時間でも遊べるという点が斬新な点です。この部分がヒットした要因だと考える人も多くいます。
実際、巧みなテクニックを見ようと人が周りに多く集まってくるという光景は、当時よく見られたものでした。そういった腕自慢の人は独自にテクニックを磨き、なかには「名古屋撃ち」という超絶な攻略方法を発見した人もいます。
この攻略方法はネットなど今のような伝達方法のない時代にもかかわらず、あっという間に全国に広がりました。名前の由来は名古屋で誕生したという説と、「一歩間違えると終わり→尾張→名古屋」という隠語説がありますが、いまだに正確な語源の由来は明らかになっていません。
前述した通り、「インベーダーブーム」で世の中が大きく変化したことは多くありました。まずはゲームセンターが大量にできたことです。流れ的にはアップライト型のインベーダーゲームだけが設置された通称「インベーダーハウス」という施設が誕生し、そこへ徐々に別なビデオゲームも置かれるようになり、やがて今のゲームセンターの形へとなりました。
こういった施設ができても順番待ちで行列ができることも少なくなく、やがて喫茶店やスナックといった場所のテーブルがテーブル型のインベーダーゲームの筐体に代わっていきます。この当時のインベーダーゲームの筐体はおよそ50万円前後でしたが、その収益は1日で2~3万円だったそうですから元金は1か月もあれば回収でき、タイトーに注文が殺到する事態となりました。
この喫茶店などにテーブル型ゲーム機を置くという方法は、『ブロックくずし』の頃からあったそうです。それができたのも元々タイトーがジュークボックスの輸入販売で、各飲食店にコイン投入式機械をセールスしていたことがきっかけでした。このことが「インベーダーブーム」をけん引する一因だったことは間違いないでしょう。
しかし、当時のタイトーでは発注に対応できるほどの受注力がなく、やむを得ず他メーカーとライセンス契約して出荷数を増やしたそうです。この他にも違法なコピー品も半ば放置される形で製造され、純正品が約10万台、ライセンス品が約10万台、コピー品が30万台ほど出荷されました。
ちなみに、この大量に作られた『スペースインベーダー』の筐体をブーム後の時期に安く大量に購入した孫正義さんは、アメリカに輸出することで若くして億単位の純利益を上げたそうです。
また、このブームでもっとも打撃を受けたのがパチンコ業界と言われていました。それを打開したのが「フィーバー」と呼ばれるシステムで、ドラムが回転して図柄がそろうと大当たりとなる今では当たり前のギミックは、もとは『スペースインベーダー』に対抗するために生み出されたそうです。
(加々美利治)
(長文の為以下リンク先で) 深夜喫茶でインベーダーをやるのがステータスだった。 ポヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨン、 パキュン 溜まり過ぎた100円玉を蔵に入れておいてその金でタイトーの倒産の危機を救った金が重過ぎて現金運ぶ車がパンクした 暗い店内のテーブル筐体で自販機のそばやグーテンバーガーを食うのに憧れた 最初100円だったけど50円になり最後は10円だったかな。電子ライターで誤作動させるワザを使う不埒なやつもいた スペースインベーダーは今やっても
まだシンプルな面白さがあるけど
昔からパックマンはつまんねぇ パチンコ屋から人が消えたからな!慌てて作ったのがフィーバー機だった感じ 喫茶店やってた親戚のおじさんが客に頼まれて導入
中古で18万したらしいんだけど一週間で元取れたって 100円も使ってゲームやるって気がしなかったな
全く俺の中ではブームじゃなかったね 最近はゲーム機をテーブルにした喫茶店見ないね
中高生の頃、少ない小遣いで喫茶店入ってゲームやるのが贅沢でお洒落な愉しみだった テーブル筐体て日本独自の発明だよな。インベーダーが出る前のゲーセンはアップライト筐体だったな インベーダーは縦横の直線的な動きなので、次にどう動いてくるかは予測がついた
そんな慣れてきたころに登場したギャラクシアンは衝撃だった
編隊飛行で旋回しながらの攻撃なんて当時は前代未聞で、最初はなす術もなく惨敗した インベーダーの筐体に著作権ガン無視で無理やりギャラクシアンを移植したやつがあったっけ
インベーダーはi8080?でギャラクシアンはより高性能なZ80?だかの違いでくそ遅かった思い出
そのくそ遅かったi8080の遠い子孫にあたるインストラクションセットが
いまだにIAとしてクラウドサーバやらパソコンで現役なんだもんなあ >>26
でもゲームとして面白さが出てきたのは、ギャラガ、ギャプラスかなと。
ギャラクシアンは爽快感が足りない。 白黒テレビの画面にカラーフィルムを貼って色を付けた筐体が合ったな
あれはコピー品なんだろうな オレはトランキナイザーガンというゲームを延々とやってた インベーダーのパチもん作ってた当時の任天堂。
任天堂の人相の悪いオヤジがNHKのカメラに、
遊び方にパテントはないんや!と凄んでたな。 プレステのナムコミュージアムまたやりたいな
ギャラガ、ゼビウス、ディグダグ、トイポップあたり延々と遊んでられる >>29
インベーダーはビットマップでキャラを描画してる。
スプライト機能がないのに当時の性能ではギャラクシアンはまともに動かせないもの。
カラーインベーダーが出るまで白黒だったし。 流行ったよな
名古屋打ちとかレインボーとか懐かしいわ 当初はインベーダーじゃなくて人間を撃つゲームだったけど社長が人間を撃つのはやめろって言ってインベーダーになったんだっけ? >>34
フェリーの船内に置いてあるのはたいていスペースイントルーダーというパチモンだったな
エイリアンやUFOの挙動なんかも全く同じ インフィニティのアイディアは良かったと思う
現代的なアレンジを施すというのではなくSTGの歴史を追体験しようってのが >>35
ナムコミュージアム、ソフト持ってるわ
シミュレーションのナムコ三国志とボスコニアンも入っているな >>32
パチもんは多かった
スペースゲリラとかあったなあ >>25
敵が結構いやらしい動きしてくるからなぁ
挟撃してくることもあるし 存在と名古屋うちって言葉だけ知ってる
画面も、テレビかなんかでみたことある
1980年生まれな インベーダーブームでSN74LS245とかLS244が品薄になったんだよな テーブル筐体を置いた喫茶店で大流行した
当時通ってた大学生やサラリーマンが今60~70代 当時小1だったがうちの学校でも禁止令が出たな。ゲームセンターあらしでもそれをネタにしてた気がする。 54だけど、小学4年くらいの時にスーパーに入ってる喫茶店(ちょとっと怪しかった)で、やったのを覚えてる、
5年の時にはもうゲームセンターや駄菓子屋にテーブルゲームが置いてあったな >>48
インベーダーの頃のメーカーや店はものすごい利益だったんだろうな なんか無性にやりたくなったな
ps4しか持ってないけどやる方法ある? あのコントローラー有りきなような気もするが今やっても面白いかな? 今、スペースインベーダーのベースボール・キャップを被る奴がいたら、
99.9999%の確率でキモヲタと女から思われる断言する!
そして10000人に1人だけ、そのハンディキャップを超えてイケメンと思われる奴が真の理想の男である 親父がジャブジャブ金突っ込んでって
ウチのお袋の定番の愚痴ネタ >>14
自分の記憶では4回は使ってる
3回目以降は死んだりバラバラになったりしてるが リアルなインベーダーは日本人の形をして国会やメディア、学校に紛れ込んでいます >>26
でもインベーダーと違って占領ゲームオーバーないから、
ギャラクシアンのほうが気分は楽だった つーかインベーダーは難し過ぎだよ、なかなか1面すらクリアできん
ギャラクシアンは凄く遊びやすくて好きだったけどなぁ やられる時に 私バカよね~おバカさんよね~♪のメロディーが流れたな インベーダーハウス
不良のたまり場
100円硬貨不足
アイドル歌手の振り付け
色々影響があったなあ… ファミコンではギャラクシアン→ギャラガと発売されてから
遅れて参入したタイトーが後からスペースインベーダーを出したから
ファミコンしか知らない当時の子供たちは
今更時代遅れなのが発売されたとしか思ってなかったな ブーム後、29800円で売ってたな。ちょっと欲しかった。 >>76
なお平安京エイリアンが任天堂ハードで出たのは平成に入ってからであった
※意図せずして平安京エイリアンのリメイクみたいになったブービーキッズのファミコン版は87年に出ている 当時から1ゲーム100円だったから、小学生にはほぼ見てるだけだったな。 平安京エイリアンのリメイクはまずゲームボーイだったな
好きだったからこれやるためにゲームボーイ買ったわ ゲームをやるために喫茶店に行ってしかも1ゲームごとに有料でやってたというのも
もう消えた文化だよね >>81
当時はテーブルを全部インベーダー専用に代えちゃった喫茶店もあったな
まあ上がりは良かったんだろう
客が100円玉積み上げてリピートしてたから
当時パチンコの客がだいぶこっちに取られちゃったんだよね
それで挽回するためにフィーバーとゼロタイガーが開発されて客を取り戻したの >>1
昔はゲーセンでシューティングゲームの上手い人のプレイ見て攻略方法を学んだ
今はYouTubeで学べる
インベーダーに限らず上手い人のシューティングゲームのプレイ動画を見るのは楽しいね スペースインベーダー作ったの岸和田の人なんだよね
なんか意外 >>58
近所のババアの駄菓子屋がゲームセンターに建て変わるぐらいには儲かったみたい
なおブーム終了後に潰れてた…… 任天堂とかのパチもんメーカーが
いっぱいパチもの作ってたよなあ >>31
文化剽窃・歴史改竄の国・シナ中国・北朝鮮=韓国には絶対無理だわ
シナ中国は中国共産党が無くなれば可能性は無いとは言えないけど >>32
純正でも有ったな
カラーフィルムで色付け
ギャラクシアン辺りからドット単位で色が着いた >>90
スペースインベーダーDXでは表示スタイルをアップライト・モノクロ・セロハン・カラーから選べた >>76
しかもアーケード版に比べて横に長い画面でキャラが小さくて画面はスカスカでショボい印象だった レバーじゃなくてボタン式のもあったな
やりたいけどそれしか空いてなくて、やって後悔するという
めっちゃムズイんだわ ウィークエンダーでインベーダーやる金欲しさに売春した女子高生をやってた >>24
逆さ映りのブラウン管モニターが裏から投影され
プレイヤーが見てるのはそれを映した鏡だったな。
テニス、ルパン、ブロック崩し。
テーブルに移行する前のインベーダーとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています