ハウリン・ウルフのベストソング20:咆哮し続けたブルースの巨人の半生
Published on 6月 10, 2022 uDiscoverMusic https://www.udiscovermusic.jp/stories/howlin-wolf-in-20-songs
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彼は、腹を空かせた狼のように吠えた。大抵の時は、彼の声は苛立った熊の吠える声のように聴こえたけれども。彼は6フィート3インチ(約190cm)の大男で、ある曲の中で、「300ポンド(約136kg)の至福の喜び」と体重を記している。彼の大きな高笑いに居心地の悪さを感じたら、その数秒後に彼は、マイクに向かって脅すように叫んでいるのだ。誰もハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)には手出しできなかった。

●“巨人”の誕生

ハウリン・ウルフは1910年6月10日に生まれた。彼の母親は、彼をチェスター・バーネットと呼んでいたが、他の子供達は、彼を‘ビッグ・フットのチェスター’と呼んでいた。
ミシシッピー州のホワイト・ステーションで靴を履かずに育った彼は、彼の祖父に、悪さをすると「咆哮する狼(ハウリン・ウルフ)」に捕まると教わった。子供ながら既に大人のような体躯だった彼は、その名前で働こうと決めたのだった。

子供の頃の彼のアイドルは、ジミー・ロジャースだった。ザ・ブルー・ヨーデラーという愛称で知られたカントリー・シンガーである。ハウリン・ウルフは彼を真似ようとしたが、ハウリン・ウルフのヨーデルは、まるで咆哮のようだった。そして彼はその咆哮を操ることができた。
ハウリン・ウルフはその界隈で一番のブルース・マンで、今も曲がバンドに演奏されているチャーリー・パットンから、ギター(それにショーマンシップ)を学んだ。その後すぐに、パーティやジュークボックスのある店で、ハウリン・ウルフのギターと渋いヴォーカルが響き渡った。

戦時中に一時軍に入った後、彼は1948年にウエスト・メンフィスに移住し、グループを結成。ハウリン・ウルフの基礎的なエレクトリック・ギターに、名ギタリストが2人とピアニストで編成されたこのグループは、ディストラクションという名前だった。
すぐにハウリン・ウルフの曲はラジオで流れるようになり、1951年にサム・フィリップスのメンフィス・レコーディング・サービス(後のサン・スタジオ)で、レコーディングのキャリアを開始した。この時に彼が録音したうちの一曲が、「How Many More Years」で、シカゴのレーベル、チェスより発売され、幸先のよいスタートをきった。以来、この曲はブルースのスタンダードとなり、リトル・フィートやジョー・ボナマッサなどのアーティスト達にカヴァーされている。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

Written By Ian McCann

●I Asked For Water

●I've Been Abused - Single Version

●Sitting On Top Of The World

●How Many More Years

●Moanin' At Midnight

●Tail Dragger

●The Wolf Is At Your Door - Single Version

●Evil (Is Going On)

●Forty Four

●Smokestack Lightnin'

●Crying At Daybreak

●Back Door Man

●Somebody In My Home

●Spoonful

●Wang Dang Doodle

●The Red Rooster https://www.youtube.com/watch?v=_CRdD2-8kUY

●Killing Floor https://www.youtube.com/watch?v=EGIE28q3fEA

●Evil

●Rockin' Daddy

Howlin’ Wolf In 20 Songs uDiscover https://open.spotify.com/playlist/10x63T97N0QLDQ66DG0Qqc