【音楽】尾崎豊の制作秘話「何も考えずにやってほしい」木暮“shake”武彦が振り返る [フォーエバー★]
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尾崎の4枚目のアルバム『街路樹』に収録の『紙切れとバイブル』に、小暮はギターで参加
1992年4月25日、26才の若さでこの世を去ったシンガーソングライター尾崎豊。それから30年の時が経ったが、尾崎の楽曲の魅力は色褪せない。アルバム『街路樹』に参加したミュージシャン・木暮“shake”武彦(62才)が、尾崎との制作を回顧する。
【写真】死の直前、尾崎が泥酔し全裸で倒れていた現場
デビュー当初から才能を感じていた
ロックバンド「レベッカ」や「レッド・ウォーリアーズ」のリーダーで、ギタリストの木暮が尾崎を初めて知ったのは、1984年3月のことだった。
「当時のおれは、『レベッカ』のメンバーとして4月にデビューを控え、レコーディング中だったんだけど、途中でスタッフが、“尾崎のデビューライブを見に行く”といって出かけたの。でも、すぐに“会場に入れなかった”と帰って来て……すごいやつが現れたなと思ったんだ」(木暮・以下同)
そのライブ会場とは、新宿ルイード(1987年閉店)。佐野元春や浜田省吾などもその舞台を踏んだ400人収容のライブハウスだ。そこに、デビューしたての尾崎は800人近い観客を集めたという。
「この時代の日本のロックはまだマイナーで、世の中に流れている曲は、歌謡曲や演歌が主流。おれや尾崎がメジャーデビューした1984年は、BOOWY(※2つ目のOはストローク符号付きが正式)やHOUND DOGがロックバンドとしては人気を誇っていたけど、音楽業界そのものがロックとしてのセオリーを持っていなかったので、やりたいことができた。
そんな中で、尾崎は思ったことをそのままメロディーに乗せて飛ばす才能があったと思う。現実をストレートに歌っているのに、思慮深さがある。パフォーマンスには疾走感があり爽快だった」
木暮が感じた尾崎の才能には周囲も黙っておらず、デビュー翌年、19才にして、国立代々木競技場第一体育館で単独公演を実施。2日間で3万人を動員した。しかし、前述のようにその後スランプに陥り、渡米することになる。
「成功したら、今度はその先をどう進むかが大切なんだ。直感だけでは何も生まれないから。新たな感情で違う作品を作りたくて、ニューヨークに行ったんじゃないかな」
尾崎が求めたのはシンプルさだった
帰国後、3年のスランプを経て4枚目のアルバム『街路樹』が制作されようというとき、木暮はマネジャーを通じて尾崎から参加オファーを受けたという。
「オファーをもらえてうれしかったね。それで、数パターンの演奏を考えてから行ったんだけど、尾崎は“何も考えずにやってほしい”と言う。求められたのはシンプルな演奏で、尾崎はおれの目の前でしゃがみながら聴いていた。“こんなんでいいの?”と聞いたら、“最高!”と笑顔を見せてくれたんだ」
木暮が参加したのは、アルバムの中でもひときわ明るい楽曲『紙切れとバイブル』。爽快かつポップな曲調で、アルバムタイトルの候補曲だった。
「尾崎はおれに勝手気ままなエネルギーを求めていたのかもしれないね。アルバムタイトルの候補になったってことは、彼の中での自信作だったんだろう。そこにおれのギターを必要としてくれたってことは、いまでもうれしいね」
それから5年もしないうちに、尾崎はこの世を去る。
「当時、おれはアメリカで音楽活動をしていた。ロス暴動が起きて、街には銃声や火の手が上がることもあった。そんな中、尾崎の訃報が入ってきて、呆然としてしまった」
尾崎が破滅的な酒の飲み方をしているのは、かねてから目の当たりにしていたという。
「世間が求めるスターの自分と、本当の自分が違い、引き裂かれるような感覚があったんじゃないかな。おれも、次のヒットを出さなくてはいけない、動員数を増やさなくてはいけないというプレッシャーを感じた経験があるので、その苦しさはわかる」
いま再び、2人で演奏するならどんな曲が生まれていたのか。聴いてみたかった。
【プロフィール】
木暮“shake”武彦(こぐれシャケたけひこ)/1960年生まれ。1984年バンド「レベッカ」でメジャーデビュー。以降、「レッド・ウォーリアーズ」などさまざまなバンドで活動を続けている。最新アルバムは『Birthday Song』(ClearSky)。
4/24(日) 7:15配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/32ae8e3cb3a033a8c3d826a76b9424629151ec36?page=1
https://i.imgur.com/UWtlMLl.jpg
https://i.imgur.com/BiI8B7D.jpg 最近
きっと忘れない
って曲を聞いたら涙が止まらなくなった
若い頃は捨て曲だと思っていたんだが >>7
カートとかみんなそうだよ、若くて亡くなると こんなの知らなかったので聴いてみたけど全然わからんな
バックでかすかにシャケっぽいカッティングのジャリジャリ音が聞こえるくらい
ギターソロもないし完全に空気 シャケはスタイル保ったまんまでカッコいいね。娘も売れてるし良かったね。 尾崎は思ったことをそのままメロディーに乗せて飛ばす才能があったと思う。現実をストレートに歌っているのに、思慮深さがある。パフォーマンスには疾走感があり爽快だった」
実に的確で詩的な表現 尾崎なんて80年代の終わりにはもうダサかったのに何言ってんだよ
それ以降もダサい奴が好きになる曲の代名詞だったのに 尾崎豊・・・
盗んだバイクと校舎の窓ガラス割った人って感じでまったく興味なくてバカにしてた方だけど
つべで僕が僕であるためにとか傷つけた人へとか聴いたらガラっと印象が変わったよね
それとかデビューライブとか見て圧倒された
つべ見てなかったらバイクと窓ガラスの人で終ってた 過大評価じゃね?
坂本九もだけど
夭逝や非業の死と本業の評価をごちゃ混ぜにしている気がする >>24
須藤晃と組むと、どんなアーティストもプロレタリア色強くなる件 街路樹地味すぎなアルバムだったからなあ
表題曲の足元に降り注ぐ心模様辺りしか覚えてないや >>29
15歳であんな曲書けて歌えたの
それ以降宇多田ヒカルくらいしかいない 豊かな時代にこういう曲だから受けたんだろうね
今の若い子だとはまらないんじゃないかな 秋山幸二とルーダイヤモンドフィリップスをモーフィングするとシャケになる >>22
尾崎豊と同世代だけど当時からツッパリやオタクからも相手にされてなかったよ。 いろんなものを売り付けられる通りでは〜
詐欺師と音楽にチップインする〜
いや〜いい曲だよな〜 尾崎とシャケが一緒にやってた曲が紙切れとバイブルだったとはまったく知らんかった凄い
一緒にやってたんだね知らんかった
そうだったのかぁ シャケとかシャーとかチャーとかチャラとかチャカとかチャゲとか
この時代ややこしすぎる ぬんでカッコつけたミュージッシャンってアイドルとくっつくん(・ω・`) ミドルネームみたいなの入れるの流行ったよな
ひょうきん族のスタッフが走りだったような気がする
未だにやってんの見るとすげえ痛い >>52
とか決めつけてるとマジの洗礼名でミドルネーム付いてたりするから気を付けろ タケカワユキヒデ NOKKO 尾崎豊
埼玉県出身者が息巻いてた時代 音楽的にはベタ
歌詞はド直球
ダサいと言われても仕方ないな
だがたまに聴きたくなるのはなぜだろう ザ・カセットテープ・ミュージックに出てたけど林芳正みたいになってるな シャケはレッドでストーンズ動をまい進して欲しかったけどリズム隊がアレじゃあなあ
しのぎを削る僚友と出会えなかった悲劇か 尾崎豊が売れて先が見えなくなりニューヨークに行ったのは先行者の佐野元春の影響だろうな
佐野はヒップホップとミクスチャーロックを持ち帰ったが
尾崎はドラッグを身につけて帰ってきたいわゆる破滅型タイプで海外から音楽を輸入する才能はなかった そう言えば尾崎風ネタやってた井上マー最近観ないな。 > 尾崎が破滅的な酒の飲み方をしているのは、かねてから目の当たりにしていたという。
酒にシャブ入れる経口摂取派だったんだよな >>60
尾崎の曲は音楽ではなく詩の朗読だと思って聴いてる ドラムのキヨシもバックで参加してたしレッズは尾崎と関わりあったほうなんだな >>33
尾崎自身も街路樹はあんまし評価してないと思った >>64
尾崎のNY生活を収めたビデオを公開してくれないかな
何年か前に一部だけアップされた記憶がある
街路樹ツアーのCMにも使われてたNYの青空と雲と歩く尾崎が印象的な映像とか >>60
古舘伊知郎だったかな?寝落ちしてた時に尾崎豊の曲が流れてて夢の中で泣いてて目が覚めたら本当に泣いてたって言ってたような >>70
それまでの日本情緒や郷愁の路線から変化が出て来た頃に、そういう曲が増えていった印象
「詠み人知らず」とか「群衆」、「教訓」みたいな ただのマザー繫がりじゃね?
ていうか、まだマザーって存在してるのな もうすぐ命日だったと思う
今でも毎年お墓にたくさんの花が供えられる >>57
カッティング聞いても分からなきゃ死ぬまで分からんよ フォーク好きのあんちゃんがスプリングスティーンみたいなロックシンガーを演じたら当たってしまい苦しかっただろうなと今は気の毒に思う。当時はパクリじゃんかwと否定したが。 もし岸田智史がロックをやったら?ってのがCBSソニーの企画のひとつの狙いだったと思うよ
83年当時、このまま岸田智史のような哀愁フォーク路線で売り出すのも前時代的で違うとは思ったろうし
本人の意向を汲んだら佐野や浜省やアナーキーなんかも好きらしいからそういう観点からCBSはプロデュースしていったと思う ダンスホールや街の風景を聴いて須藤さんが
「これは尾崎の周りの大人の誰かが作っててアイツが作ったんじゃないよ」って断言したって話好き
そりゃ普通そう思うよね >>80
あの頃のCBSソニーは小山卓治のことはどう考えていたんだろうな 1983年というと長渕なんかもまだ順子のヒットの後に秋元康と組んだグッバイ青春のヒットとかでロックっぽいのに片脚を突っ込んだ時代だからそういう一般リスナーのニーズの移り変わりはあった時代なわけで 尾崎はなんでヒップホップに影響されなかったんだろ
当時にNYって中心地だろ >>82
CBSソニーからすれば、当時30過ぎた浜省を筆頭に、20代半ばの小山、10代の尾崎、
とキャッチする網を揃えたんだと思う
スプリングさんタイプの日本における市場調査をする意味合いもあったろうな フォークだロックだ言ってるがじゃあ違いはなんなんだよw
僕の思うロックに合わないとかくだらん事を言ってんなカス >>3
こんなのロックじゃないとか昭和だな
昔はみんなそんなこと言ってた 夢を壊す事言っちゃいけないけど市ぬ前の尾崎が一番悩んでたのは
大学行かなかった事を後悔してる事をファンにどう伝えようかということ タバコの空箱〜
丸めて投げつけた〜
う〜ん、ダサいw ファンの大半は団塊ジュニア。リアタイとちょい遅れて聴き始めた世代。
ここは管理教育が激烈を極めた時代だった背景もあるし。神戸の事件が
その最たるもの。 >>94
それは嘘でしょ。行こうと思えば何歳でも行けるわけだし。
悲劇のヒーロー気取りのナルシシズムが一番マズかった。 >>35
あの「Automatic」をわずか14歳で書いていたことを考えると、宇多田ヒカルには100年たってもかなわない。 死んで神格化されたが、当時尾崎なんて聴いてるやついなかったよ NOKKOシャケと婚約!
の見出しをみて芸名をピエール瀧にした レッズ加入前のキヨシが尾崎のローディーだったっていうストーリーがあるんだよな。 80年代中頃までの世相と若者に合ってた感性の人だったよね >>82
絶対売れると思ってたんだろうな
聴かず嫌いだったけど聴いてみるか >>29
未だにビルボード1位を日本人で唯一とった坂本九が? >>112
誰かの評価はどうでもいい
お前自身は坂本九を本当に評価してんのか!? 死んでなかったとしても以降はヒット曲は出てなかったと思う >>60
直球じゃないだろ
「自由になれた気がした」とか レベッカ作ってレッズ作って杉咲花作って
日本の芸能史に欠かせない人だな ライブビデオの楽屋で一瞬見せる冷めた目付きが印象的だね >>41
ツッパリやオタクでない中高一貫校に通う辺りの学生には人気あったんじゃないかな。
物事を理屈で考えたような歌詞がよくわかる。 >>121
中二病のいいとこの坊っちゃんには人気あったね。
尾崎豊本人も青山学院大学附属高等学校中退のボンボンだし。 尾崎豊って名前聞いた時、演歌の人だと思った
歌聞いてやっぱ演歌っぽいと思った
フォーク入ってるけど
ロックだったのか
盗んだバイクで走るとロックか 尾崎豊もレッド・ウォーリアーズもマザーエンタープライズ所属。
ハウンドドッグ大友康平が役員。
BOOWYの話が出てるが、レベッカやBOOWYができる前
シャケと高橋まことはSTRAIGHTというバンドを組んでいた。
STRAIGHTでコンテストに出る予定だったが
高橋まことがBOOWYに参加するとこになり
BOOWYの合宿と被ったので
BOOWY参加を取った高橋まこと。 >>49
ところが最近レッド・ウォーリアーズの活動ではなく
ダイアモンド☆ユカイと木暮シャケ武彦のユニット名が
DIAMOND SHAKE(ダイアモンドシェイク)。 泥酔して全裸で倒れてたとか言ってるけど、流出した死体写真は顔はアザだらけで変色して身体中傷だらけだったぞ。 >>122
いっつもこういうカキコするヤツがいるが
尾崎の親父は公務員(自衛隊の職員)
おふくろも保険の外交員で共働きのごくふつーの家庭
朝霞のちっちゃな家
それが青山学院高等部なんてとこに入学したために
いろいろな現実と直面して
ああいう曲が生まれた ファンじゃないけど全部型破りのインパクトあったんじゃ
メッセージフォークなんかやる時代じゃないのに今やるかみたいな驚き
ライブ中に10メートルの高さから飛び降りようとする歌手も世界中でもいない
アイドル売り出来そうな若さとルックスと天才性なのに、全くテレビ出ないから誰だか知らなかったけど
音楽パクる目的の佐野元春なんかと違って現地のストリート生活にそのまま馴染んじゃいそうだし
アメリカがコカイン汚染で一番腐ってた時期だからヤクにハマった >>94
横浜銀蝿はビジネスヤンキー成功したけどみんな大学(関東学院、神奈川、中央)行ってた。
尾崎はリアル高校中退のキャラ守んなきゃなんないもんな。
事務所のハウンドドッグも東北学院、鮫島は大阪芸大だっけ。
レッズだってシャケは国士舘、ユカイは専修だもんな。 >>114
生き様とか言い出したら音楽の世界は負けだよ >>128
ヤク漬けにしたのは社長
当時のマネージャーにヤクを渡してな >>128
おまえが何も分かってないという事だけは分かったw 音楽というのはアスリートと同じで、一に練習、二に練習、というトレーニングが形を成していくもんよ
生き方とか後から付いてくるサブテキストであってまずは作詞作曲の学習に楽器の練習だよ 行こうと思えば普通に大学に行けた人と本物の不良は全く違う
桑田も長渕も大学行ってるし
結局馬鹿じゃ曲は作れないということだわな 清原がルーキー一年目であれだけの型を魅せたのに
何故その後はタイトルも獲れずに崩れていったか
練習を間違えてたのと同時に天狗になって人の言う事に耳を貸さなくなったんだよ
あとスターの豪快な遊びを覚えてしまった 尾崎は中高生の頃に書き溜めていた曲を収めたデビューアルバム17 歳の地図で燃えつきた男
10代で神懸かり的才能昇華させ傑作を世に出し若くして死ぬ、アルチュール・ランボーと同じだな >>3
ロックってのは魂なんだとさ
いわば自称、言ったもん勝ち 尾崎の経歴みたら
小学生時代は登校サボって秋葉原行っちゃったり虐められて空手覚えたり井上陽水の歌詞すげえとか感心してる子
中学時代は校内暴力ど真ん中世代で13才で集団家出したりヤンキーと仲良くしながら生徒会やったり勉強もクラスで二番目くらいの両極端が同居
高校時代は初日からお坊ちゃん学校の先生に反抗してパンチパーマ喫煙バイク三昧で、六本木や新宿ディスコで遊びまくり生活だけど、実は池袋のとんかつ屋でキャベツ切るバイトも地味に続けて
友達の家でピアノ覚えて作曲も始める生活 >>127
まぁでも苦労知らずのマザコンの坊っちゃんに間違いはないだろ?
そういうところが見透かされてバカにされてたわけだよ当時は。 >>141
>高校時代は初日からお坊ちゃん学校の先生に反抗してパンチパーマ喫煙バイク三昧で、六本木や新宿ディスコで遊びまくり
いわゆる高校デビューなわけだよな
ま、15〜6歳あるある >>129
アナーキーなんかはいかにも馬鹿っぽいヤンキー感が全開だったけどな 岡村靖幸とか吉川晃司は若くしてデビューした同学年同士で尾崎豊と仲良くてよく3人で遊んでたそうだが、
岡村曰く「音楽の話なんて全然しなかった」らしいな
ディスコで酔ったらば尾崎はナンパに夢中、岡村はダンスに夢中だったらしい
吉川は何してたかよく分からんが合わせてたんだろうかね 尾崎は生前嫌ってたという話があるが「街路樹」
は普通に名盤だと思うがなあ
誕生(バース)はホントに酷かったからなあ >>102
尾崎は最初の3枚だけ。そこからイメージ切って別の音楽やるべきだった。
玉置は安全地帯のイメージ切ってソロでも成功した。どっちも須藤が
かかわってるのが皮肉w >>59
いや事務所(マザー)の方だよ
街路樹の頃の尾崎はマザーアンドチルドレン
だけどレッズはコロムビアだし >>146
中学時代はガタイのいい不良で尚且つ勉強も出来る感じでしょ
女が憧れる一番の理想じゃね
それだけでもモテまくりなはずなのにプロ級の以外な特技まで持ってるとか反則レベル >>31
それはないんじゃないかな
杉真理がCBSソニー時代の1983年とか84年のアルバムはディレクターが須藤晃だったし
純正の良質ポップスでプロレタリア色なんかは皆無だよ >>97
リアルタイムのファンは団塊ジュニアより上の
世代だよ
若死にして昔の歌が下の世代に受けたので
団塊ジュニアは完全にファン層から外れてる >>141
なんか分裂してんな
早世した原因がそのへんにありそう >>101
誕生(バース)がどうしようもない駄作だったので
放熱への証は買わなかったなあ
自分の尾崎への関心はこのアルバムで終わった >>154
性格は苦悩する10代とは真逆で底抜けに明るかったららしいな
そこそこ長身でハンサムで性格明るくて勉強もできて且つ不良連中にもまあまあ顔が効くとか、当時ならモテモテ確変入ってるやつだよな
しかも楽器は弾けてオリジナルソングあって歌も上手いとなるとさらにポイント高い
因みにバンドはやってなかったのかな? >>136
それは落合に毒されすぎ
タイトルには縁がなかったが立派な数字を
残した年の方が多い NY行くよりドラマやバラエティ番組に出たりした方が
幸せな人生送れただろうな >>157
尾崎ファンてのは1970年生まれから下だろう
1960年代生まれは尾崎豊と年も近いしそれほど嵌まってたのはいなかった
話のネタにはしても距離は置いてたね
やや小馬鹿気味に話すってのが1960年代生まれの尾崎を話す時のマナーだったよ当時は >>166
いや自分は団塊ジュニア世代だけど自分の
周りで尾崎を聴いてるのは誰も居なかったよ
だからリアルタイムでのファン層って実は凄く
狭いのかな? こいつはビジネス中二病歌手だからな。
プライベートはヤリチン薬漬け 昔は好きだったが小学生向けの音楽だよな
今は安全地帯の方が好き >>169
公言できない人が多かっただけかとw
自分の周りにも熱狂的なのが2人いた。
ひとりは優等生の女子。ひとりは母子家庭で勉強が苦手な男子。
ファン層はリアタイちょい外れた団塊ジュニアが多いよ。
球場ライブとかやりだした頃に中学生だった世代。 吉岡秀隆が言ってたけど、すごいかまってちゃんなんだってね。
師匠と弟子みたいな感じで接してたらどんどん増長していった
感じか? >>100
宇多田ヒカルはもちろんスゴいけど
親の英才教育があった
尾崎豊は突然変異だから
カリスマ性って
そういう背景もあるかなと >>172
爺さんの音楽だな
演歌だよあれはムード系演歌 >>179
絶対性と相対性の違いだと思う
宇多田デビュー作は時代が10年後の年に出てても凄いと持て囃されたろうが
尾崎作品は時代との相対性によるもので10年後に出てても評価や食いつきははなかったと思うね >>178
境界性人格障害、いうてキチガイやからな。こういう人は運命の人だと思ったら勝手に惚れられて依存されて自分の要求突きつけて拒否したら死んでやるーとか言って困らせてくる。そしてそんな人間関係に疲れ果てる。尾崎が死んでほっとしたって見城が叩かれてたけど親しくなった人間にしかこういう感覚はわからないと思う。 相手が反論できないのをいいことに、尾崎にかかわった人間が
故人を悪く言うのはいかがなものかと思うが。
尾崎も問題があったと思うが、自分の正当化・保身のために
悪く言う方も言う方だわ。 おそらく須藤は詞を書きたがったが尾崎は頑なに拒否したのかな?
玉置は書かせてたけど、また自作詞に戻した。 >>184-185
見城はクズだけど尾崎の話は頷ける点はある >>64
ビッグボス量産品の被害者
レコード会社が悪い ’85秋にはもうやってた説を唱えたい
自己陶酔が激しくなったのがソレ シャケって作る音楽に頑固なイメージだけど頼まれると色々やるんだよね
これとかもそう
君を守りたい PEACE BIRDS '88 ALL STARS
https://youtu.be/cRPmtKMzsJU >>173
団塊jrだけど、まわりにファンいなかったなぁ。死んだ時はショックだった。高三の春。 >>191
佐野元春あたりは1983年初頭にはレコード会社のそういうボスフォロワー量産計画の動きを
機敏なアンテナ察知してニューヨークへ旅立ったのかもしれないね
一括りにされてたまるもんかと
知らんけど シャケが田舎暮らしするわユカイがバラエティタレント化するわ
全盛期全く予想できんかったなー >>194
最初の3枚を一気にまとめ聴きする世代だね。さだまさし、中島みゆきと
並んで日本三大ファンだと公言しづらいミュージシャンだから無理もない。
みんな表向き尾崎なんてダセェなんてポーズを取りつつ、コソーリ家では聴いて
たんだよ。知らんけど。 尾崎は脇が甘かった面はいなめない。音楽業界の海千山千は金づるを
繋ぎ止めるには何だってやるヤ○ザ。ハメられたのはそうだが、そう
いう罠を華麗に回避してるミュージシャンの方が多いわけで。 >>145
青学高等部同級生の家に行ったら広いしグランドピアノはあるしで
尾崎は楽器買うためにいろんなバイトをやった
朝は新聞配達
定食屋の皿洗い等
お前は何にもわかってない 尾崎豊はアルバムは聴いたことないな
シングルでラジオやミュートマJAPANでよく流れてた曲は知ってるけど
同様にエコーズは注目はしたけどアルバム聴いたことないな
シングルの何曲かは知ってるけどね
まあ当時近くの貸しレコード屋に彼らのアルバムが置いてなかったっていうのもあるがw >>18
違う
花ちゃんに父親はいない
親は母親だけ >>199
それだけ回避するには若かったんだろう
18歳でデビューして亡くなったのが25歳なわけだろう?
エコーズ辻とかは26とかデビューだよ確か >>78
あ 確かにカッティングはカッコいいよね
言われてみればレベッカの時もカッティング効いてる曲あったわ
ありがとう >>1
スランプで渡米は嘘だろ
寧ろ絶頂期での渡米
恐らく十代で三枚オリアル出したら渡米させるって決めてたんじゃないかな?
シャブ漬けまで計算済みかもしれん >>206
まあダサさで言うとブルハと双璧なんじゃないかな
でもやっぱり響くものがあったりするんだろう
今も尚語られるということは >>208
ダサいんダサくないって言う方がダセえんだよ >>210
横からだけど、どんなのがダサくないの? >>212
ダサいのさらけ出してるからいい
>>214
あれもこれもダサいいってるのたさいわ >>193
それはコンサート映像だけどプロモーションビデオでその曲に参加してる人を見たら今も残ってるのは半分も満たない
もう忘れてしまって誰か分からない人もいる >>207
スランプで渡米じゃなくて
事務所が引き抜き(&原盤権持ったレコード会社設立ーこのインタビューのシャケの事務所)のために
渡米させた
この事務所に関しては
どんどん美談めいた話になってるから困ったもんだ >>215
ダサいダサくないって言うのがのがダサい、って自分でレスしてるけど… 大抵のヒット音楽は売りたいだけって感じだが 尾崎のは違う気がする特に二枚組のは秀一
初期のは高校生の憤懣や反発で幼いが 学校や社会が汚いのはある意味正解だからな 10代で作詞作曲やってアルバム3枚そこそこ売る
スゴいんだよ >>28
取り捨て選択wwそれを言うなら取捨選択だろ >>220
「ダサい」が死語になりつつあることをおっさんはそろそろ知った方がいいね
貶す表現がダサいと浅いと薄っぺらいしか無いのが終わってる人の特徴 中卒ヒーローも大変だよな
模したファンが付くんだよね 田所豊だって20代で死んでたら伝説のシンガーだったかもしれん
あんなにイキっていたのに今じゃバラエティーで弄ばれるなんて思いもしなかったわ >>44
街路樹買ったやつならブックレット見れば知ってると思うんだがね
問題はシャケを知ってるかどうかなんかな?
大友康平とかもファーストでコーラス参加してるし尾崎のアルバムは割とゲストミュージシャンが居た記憶がある 死んだら終わり
いつまで30年前の同じ話してるんだ?
終わったものを持ち上げても何も生まれない
未来になれなかったあの忌まわしき過去に
絶縁の詩を贈ろう
https://youtu.be/IDcxxXCO_mg
https://youtu.be/wtJcLWeY114 >>230
バラエティーにあそこまで出てくる前の消えてた時期って偽皇族事件のパーティー会場で歌ってたよなw >>3
スプリングスティーンのパクりなんだからロックだろ >>232
亡くなってもジョンレノンの曲は今も生き続けてるけどな
他にもそういう故人の歌い継がれていくべき楽曲は沢山ある >>96
首になったのは会社の方針に従わなかったからでしょ?
まだ尖ってたんだよ >>232
音楽に関しては過去はないからな
過去のものならクラシックはとっくに終わってる 誕生に禁猟区ってブッ飛んでる曲あったよね
あれ聴いて反省なんてしてないんだなと思った クラシックは時代という淘汰圧に耐えてきた作品群だからもちろん人知れず風化してしまった作品もたくさんある。尾崎豊は死後30年も経ったのに未だに窓ガラス盗んだバイクうんぬん引き合いに出されるあたり今後も残ってクラシックと化していくんじゃないのかな。 シャケってヒット曲ある?
ヴァージニティはシャケだっけ? ニューミュージックが終わってハウンドドッグ、長渕、尾崎、ボウイ、レベッカ、渡辺美里となんか面倒くさいのばっかになったなあというのが当時の スローなバラードタイプの曲になると、岸田智史と歌い方も曲調も雰囲気がソックリなんだよな
岸田智史フォロワーの一人ではあったんだろう当初は 尾崎で一つだけ残念なのはアレンジが絶望的にダサい
当時からなんか歌謡曲っぽい古臭さを感じてた >>245
スローな曲は本当にそっくりだよね
その岸田智史のインタビュー
「デビュー間もない頃。埼玉公演の会場の出待ちの女性ファンをかき分けながら、1人の少年が近づいてきて『お願いです。どうやって作曲し、どうやって歌っているのか教えてください!』と熱心に聞いてくるんです」
真剣なまなざしに圧倒された。
「少年は何度も公演へやってきました。デビュー前の尾崎豊くんでした」。 >>249
ソングライティングの基礎はやっぱり岸田智史なんだな
発声から曲調から雰囲気ソックリだもんな >>246
当時ですら大味で雑なアレンジは酷評されてた印象 >>201
だからさぁ、それは入る前からわかるんだよ。青学高等部が芸能人その他金持ちの
子息のすくつなのは。わからなかったらそれは勉強はできても頭が悪いってこと。
それで周囲に無理に合わせる必要もないし、合わせるためにバイト三昧で悲劇の
ヒーロー気取るのもまた違う。もしかしてそのためにあえて入ったのかな?と
さえ思う。父は国家公務員で母は保険の営業。世間的には裕福な部類だから。
それでも青学のボンボンには合わせられないっていうのも、これまた入る前から
わかる話で。その辺の設定の詰めが甘々だったなっていうのが残念。 邦楽だと、さだまさしと岸田智史、洋楽だとジャクソンブラウンって
わりかしマニアックなルーツだよね。 >>76
>>183
間違った、キヨシはベースだった
ドラムはコンマだわ >>255
キングスとネバギバとロイヤルは好きだけどな。 >>252
初聴で岸田智史が浮かんだもんなあ。
発声がそうだった。 >>260
佐野元春の約束の橋とイントロそっくりだよね >>261
何だか変わってしまった バンドか自分が大人になったのか?
その後 ロシアンヒルの上で と言う曲は良かった ただ30年前にあんなに大勢の若者が集ったのは驚いた。
どこに隠れてたんだろう?ってw うちの父も驚いてて
何者?って聞いてきたから、「80年代の吉田拓郎かな?」
って答えたら、あぁなるほどね…って。うちの親父は高卒
で働いてたから学生運動とか吉田拓郎が大嫌い。 >>3
訃報で大騒ぎになったとき、爺ちゃんから
「尾崎豊ってロカビリーなのか?」と聞かれて
うーん…wと答えに詰まって苦笑してしまった思い出がw 平尾昌晃やミッキーカーチスだけじゃなく、橋幸夫もロカビリーだったからな 当時CBSソニー所属のアーは全員ロックというくくりだったんだよ。 ある日、家に帰ったら尾崎の日本武道館のチケットが来てて喜んだのも束の間
亡くなったって聞いて倒れるくらいショックだった
未だに捨てられないww 当時スカしてた玉置や氷室、そして尾崎。全員素はチャラ男なんだけど
音楽誌とかではいい感じにクールに写ってたw
逮捕後夜ヒットに出た際も、無駄なこと喋るなって言われてたんだろうけど
あれはコミュ障丸出しでいただけなかった。 >>276
ごめんな揚げ足とるつもりじゃないんだ
歳はいらないよ 最近はわかりやすいように享年に歳をつけることもあるみたいだな
知ったかぶりして恥かきましたw >>280
バカが多い世の中になってしまったからね
アンタは間違っていないよ >>234
スプリングスティーンもだけど
ギターやりはじめたころに「ジャクソン・ブラウンの詩に衝撃を受けた」と言ってたな
初期のインタビューで「Running on Empty」みたいな曲を作りたいと語ってた 尾崎の曲で一番ロックなアレンジばセブンティーンズ・マップ
今聴くと野暮ったくてダサいったらありゃしないが当時は衝撃的だった
歌詞の内容は15の夜のぞくへんのようなもの うまくやれない日常から逃げ出したくてはみ出していく~ ボウイがブレイクしたんは尾崎の三、四年後じゃね?
あと自由にやってってのは具体的指示できないやつのセリフ >>283
そうかな?ドライビングオールナイトニッポンじゃね? 当時、ヒットした卒業の歌詞からツッパリwの代弁者だのカリスマだの持ち上げてたけどハマってる連中は今で言う淫キャだったなぁ 放熱の証も死んでなかったら初登場10位くらいやったろうね。落ち目だったよ。 >>288
???
最初からツッパリとは無関係だろ
優等生の鬱屈した感情の代弁者 >>291
当時メディアの持ち上げ方がそうだったよ これだけは言える
イケメンじゃなかったら売れてない >>294
ルックスの良さを隠すために1stのジャケットで顔分からんようにしたの知らんの? >>204
佐野元春、大友康平(ハウンドドッグ)なんかは1955年度生まれ(1956早生まれ)で1980年デビュー。
森山達也(モッズ)も1955年度生まれ(1956早生まれ)で1981年デビュー。
大学卒業してからだな。 スランプに陥ったから渡米したんじゃなくてレコード会社の指示やで
本人ノリノリで遊びに行ったと著書に書いてある
向こうで薬覚えて途中でグッタリだったらしいけどw 米軍人×シングルマザーとかあんなの作れる奴他にいんの? 前述は加藤登紀子の回顧記事と思われるがそこにもスランプのことなんかたいして書いてないぞ >>276
やべー倍近く生きてるわ
かなりのファンだったけど死んだ時は納得した
年取っても歌ってる姿が想像出来なかったから
ピーターパン症候群ぽい 577 衛星放送名無しさん sage 2022/04/25(月) 14:40:38.21 ID:RWX6QHpO0
嫁の手記が連載始まったが都合のいいことしか書いてなくて草 >>294
それは同意w
>>295
コアなファンですなw >>301
アルバムとしては
十七歳の地図>誕生>回帰線>壊れた扉から>放熱への証>街路樹
と見てるがどうなんだろw
なおライブに関しては全部
尾崎自身は素晴らしいがバックが今一つ
なのでランク付けはないw あと「紙切れとバイブル」は尾崎基準ではそんなに優れたナンバーではなかったw
つまり木暮は一番ダメだったアルバムの上にさほど良くなかった楽曲に参加しただけだったw
あ、俺?
街路樹、理由がよかったと思ってるw
核(CORE)、遠い空はシングルバージョンの方がよかったと思ってるw 2022.04.25
尾崎豊の妻・繁美さんが語る、夫が旅立った30年前のこと、日本を離れたときのこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94587
豊は父親になったとき、よく「僕は立派な父親にはなれないけど、いい父親になる」と言っていました。だから私も、「立派な母親にはなれなくても、いつも笑顔でいる母親になる。絶対に息子の前では笑顔でいよう」と決めていました。 >>219
尾崎はデビュー時点からマザーだしレッズは
ずっとコロムビアなんだが 沢田研二が井上陽水プロデュースで自滅
してなかったら日本のロックシーンを牽引
してたんだろうな >>282
ほんとは岸田智史なんだけどソニーの戦略的にそれはそっと伏せたんだろう 放熱聞いても92年の頃の音楽シーンからは完全に取り残されてるんだよな。小室ファミリー、小林武史、ビーイングとこれからJPOPが全盛期を迎えるのに生きてたら伝説にもならず完全にあの人は今だったと思うわ。 >>314
尾崎には音楽シーン関係ないw
全アルバムがその頃の音楽シーンから外れてるw あと放熱への証が駄作、とされてるのは歌詞が暗いのが多いからw
聴いていて気が重くなるのが多いw
あ、俺?
GET IT DOWN、ふたつの心、太陽の瞳、MONDAY MORNING
の4曲が良かったよw 辛うじて「街路樹」がその頃の音楽シーンに近かったかなw 確かにそうだな。卒業は斉藤由貴と年度被って流行歌めいたところあるけど。時代が被ったフリッパーズギター聴くような人から見れば尾崎はやっぱ化石に見えたりしたのだろうか? 団塊ジュニア世代だと上京した大学生ぐらいで渋谷系流行ってきたからそっちにハマって
田舎の中学の時に大ファンだった尾崎や長渕は黒歴史として封印したんだろう >>324
卒業はまあでもみんな知ってる感じじゃね。街路樹以降、興味ない人はマジで全然知らんと思う。太陽の破片って曲は夜のヒットスタジオで知りましたってくらいで。 >>325
ていうか「15の夜」以外知らない、とか言う奴もいるw >>323
貴方の思ってる団塊ジュニア世代って51歳くらいなの? >>329
団塊ジュニアは1971年4月〜1975年3月の四学年と定義されている >>270
もうジャンルが分からんw
尾崎は尾崎って言うジャンルだわもうw >>33
街路樹は売れたくなくて地味にしたんだってな 街路樹は、尾崎が「俺のおかげでメシ食ってる奴らが気に食わない」って理由でワザと駄作にしたってほんと?
あと尾崎は英米のクラシックロック全く知らなかったから音楽的にはデビューから成長なかったよね
尾崎が知ってる洋楽
ジャクソンブラウン
スプリングスティーン
ジャニスジョプリン
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