【芸能】 『できるかな』“ノッポさん”、高見のっぽが明かす「僕はぶきっちょ」長寿番組の裏側とおしゃべりな素顔 [朝一から閉店までφ★]
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2022/4/15
週刊女性2022年4月26日号
教育テレビのはずなのに、なんだか不思議な内容で、忘れられない番組のひとつに挙げられるのが、『できるかな』。番組名を見聞きすれば、ノッポさんとゴン太くんの微笑ましいやりとりがよみがえってくるのでは。
そんなノッポさん、実はとっても“おしゃべり”だった!? 87歳になられた今、あの当時を振り返りつつ、“小さい人”たちへの思いも語っていただきました。
https://www.jprime.jp/articles/-/23724
新学期を迎える4月には、テレビも新番組体制になるもの。将来ある人たちが新たな気持ちで見る番組といえば、NHK教育テレビ(Eテレ)の番組もその1つだろう。
そんなNHK教育テレビで忘れられないのが、1970年にスタートし、20年間放送された長寿番組『できるかな』の顔、“ノッポさん”こと高見のっぽさんだ。謎めいた雰囲気で子どもたちの心をつかんで離さなかったノッポさんは今、どうしているのか。
「ノッポさん」誕生までの“暗黒時代”から、現在の暮らしに至るまで、たっぷり3時間以上! 週刊女性にこれまでの人生と、近況を語ってくれた。
私たちはみんな、ノッポさんと一緒に育った“小さい人”だったーー。
華々しいデビューも、いきなり失職
映画村として有名な京都・太秦の役者長屋で、6人兄弟の4番目として生まれた高見さん。父親の高見嘉一さんは奇術師や芸人のみならず、照明などの裏方までこなす生粋のエンタメ業界人だった。だが、高見さんは父の仕事には興味を示さず、本好きな少年として10代を過ごした。
「小さいころはもの書きになりたいなんて思ったこともあったんですが、本を読んでいるうちに文豪たちの変人ぶりに気づいてしまって。こりゃあ俺には無理だと諦めて。いろんな職業を考えたけれど、あれもだめこれもだめ、結局芸人に否応なく引きずり込まれちゃった(笑)。
芸事に関していえばですね、こんなことを自分で言うのははばかられるけれども、ずいぶんと素質が……あったんですよ(小声で)。でも、気取り屋さんのくせに弱虫なところもあったりして、本来の性格は芸人に似つかわしくなかった」(高見さん、以下同)
高校卒業後、芸人として活躍する父親のかばん持ちをする傍ら、稽古に励む日々。声楽やバレエなど、いろいろな稽古を積んだけれどもどれもしっくりこなかった。
「でも、タップダンスの神様、フレッド・アステアが大好きだったのもあってね、これはまあまあ続きました。いい先生が京都にいるって聞いたから、その先生のところに布団だけを先に送りつけて、住み込みとして転がり込んじゃった(笑)。
でもね、稽古で習う基本のリズムって……面白くないんですよ。見かねた先生が、私にだけ、レコードに合わせて踊るという特訓をしてくれて、はまりましたね」
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鬱々とした日々を送った20代
https://www.jprime.jp/articles/-/23724?page=2 目が笑ってないとかよく言われるけど、子供向け番組で
心の底から笑ってるおっさんが居たら逆に怖い あの独特のほのぼの感出せるのこの人しかいないんだよな
ポンキッキの面白い部分もこの人の演出だし 数年前にお会いしたけど本当に背が高かった
もうお年だから杖を使ってたけど >>12
ポンキッキで作家やってたんだよな
スタッフクレジットで名前見てあれ?ってなった 子供の頃ナレーションの声がゴン太くんの声でフゴフゴ言ってるのがノッポさんの声だと思ってた
最終回でノッポさんがしゃべったとニュースになってその時初めて自分が勘違いしてたと気づいた >>16
1990年終了だから30代中盤まではギリ見てるはず >>5
目が笑ってないはワクワクさんとかよく言われてたやつ できるかなってゴン太くんのイメージしかないけど最初の3年くらいずっと違う変なキャラがゴン太ポジで出てたんだな ゴン太くんが「あらーゴン太くーん」ってしゃべってるのかと思ってた。フガフガはノイズだと思って気にしなかった。 ノッポさん不器用ってあちこちで自分からネタにしてたのに、まだネタにしてるんだ
そういやわくわくさんの後継者っているの? 視聴率が重要な民法なら誰も見向きしないぐらいツマラない番組だったのに、全国放送の国民テレビのお陰で長期間全国放送されて、それなりのファンがついただけ 別番組出演解禁された時
態度がデカくて子供心にモヤモヤした のっぽさん87歳!
俺も年取るわけだ
ゴン太君も50歳くらいかな? >>31
もう30年以上前に亡くなってる。つかせのりこ。 >>32
そっちもそうだけど(天の声だけど)、そうじゃなくてゴン太くんの中の人 ゴン太くんの中の人とゴン太くんの声の人は分からないけど、おしゃべりのつかせのりこはかなり前に亡くなってる
86年生まれはワクワクさん世代
ノッポさんを見た記憶はあると思うが覚えてないと言ってた
今アラフォー以上が覚えてる世代かな 35年くらい前の都市伝説でのっぽさんが唯一発した言葉が工作中にハサミで指を切ったときの「痛っ!」だったってのがあったな
最終回では唐突に喋ったんだっけ ノッポさんは、ウチの高校(岐阜県立加納高校普通科)に2年生まで在籍しとったわ!
3年次からは東京の高校に転校されたらしい。
在学中当時 ウチの高校の文化講演会にも登壇されたわ!
「ノッポさん、母校にお帰りなさい」という見出しで地元版の新聞記事にも載ったよ。 確かにノッポさんはダンボールの組み立ても雑に組み立てていた印象。もう中くらいの雑なクオリティ。 長身の人間をノッポって言うネット用語いまだに見かけるよね 50代の自分が子供の頃におっさんだったのにまだ元気なんか >>41
へぇー加納か、小中高と俺の先輩なのか
母校の笠松小にもノッポさんショーとして来たことある のっぽさんと亜土たんはいつか結ばれるものだと思っていた ノッポさん、まだ生きてたんだってのが正直な感想
そのあとを引き継いだわくわくさんって人、全く記憶がないんだよねぇ
@50代 教育テレビの名番組
できるかな
たんけんぼくのまち
ふえはうたう できるかなの特番でジャンクルジムの上から紙飛行機飛ばすノップさんが声出したのがいまだにショック 著書で読んだな、不器用だから喋る余裕が無くてあの形になったとか こういう偽善者大嫌いだった
あとチョーとかいうやつも嫌いだった 最終回でノッポさんが何かしゃべってつかせのりこさんの「あれ?、ノッポさん?」ってビックリした声の後
ノッポさんが「ああ、しゃべっちゃったw」って笑いながら言ってたのを見たような覚えがあるわ まだ生きてたのが凄い。
伊丹十三のタンポポに出てたのは51歳の時だったんだなあ。 >>25
顔がポリバケツのキャラ
声が、後のゴン太君時のナレーション 井浦新って中年になって一気にのっぽさん似になったな ノッポさんがフガフガ言ってゴンタくんがお姉の声なんだと思ってた ノッポさんは幼い頃にゴンタ君に目の前で両親を殺され
ショックで声が出せない人になったらしい ノッポさんみたいな外人が、上手いのか下手なのか良く分からない一本調子で歌ってるYouTubeを探してるんだが見つからん。 ノッポさんって聾唖で発達障害の一人だと思っていて見るのが辛かったアノ頃 会社でなぜかノッポさんの話題になったとき、ワクワクさんしか知らない若者が多くて年の差を感じたわ ノッポさんやってた頃は30-40代ってことか
いつまでも若々しくて余りイメージ変わらないけど最後の方はアップになると少し老けてたもんなあ
年齢のわりには背が高くて足が長くてカッコいい人だ
工作してる指先が細長くて綺麗に見えたのに不器用だったとはw ノッポさんが言葉がしゃべれない障がい者で
ウゴウゴウゴウゴ、意味不明な声にならない声を発しているが、子供番組に出演して頑張ってる人
天の声がしゃべれないノッポさんとゴンタくんを暖かくフォローしている人、みたいに見えてた。 >>1
でっきるっかな でっきるっかな
40過ぎの子宮〜〜 >>26
自分は動物キャラが人間の言葉をしゃべるのと鳴き声を使い分けてるみたいのものだと思ってた。
「あ〜らのっぽさ〜ん。ゴホゴホ」みたいな。 >>60
>>9
眼?歯?
スティーブン・キングの小説に出てきそう。 ゴン太くんのちっさい帽子ってウーマンなんとかの相方が形見としてかぶってるんたろ。あと赤鼻が持ち上がって見える前歯が邪魔すぎて子どもながらにトラウマに。 >>41
>>49
私も同窓生
笠松中学校か小学校の体育館でやったステージなら見に行ったわ
岐阜には疎開してきたと言ってたような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています