【芸能】田村正和さん、死の公表が遅れたのは「本人の遺言だった」マネージャーが語る“ミステリアスな私生活” [爆笑ゴリラ★]
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4/6(水) 5:01配信
週刊女性PRIME
4月3日は、田村正和さんの一周忌だった。
「亡くなっていたことが公表されたのは、1か月以上がたった5月18日でした。プライベートを見せないという“美学”を最後まで貫きました」(スポーツ紙記者)
田村さんが暮らしていた東京・成城では、今も故人を偲ぶ声が聞かれる。近所に住む女性に話を聞いた。
「子どものころ、田村さんの娘と仲よくさせてもらっていて、自宅にも遊びに行っていました。当時は今の大きな家の敷地に3軒の家が立っており、田村さんたち兄弟がそれぞれ住んでいたんです。たまに田村さんがいると、優しい笑顔で私たちが遊んでいるのを見守ってくれて。スタイルがよくてカッコいいおじさんだと思っていました。最後に会ったのは、亡くなる2か月前。朝の散歩をしていて“お父さんとお母さんは元気?”って、ニコッと笑ってくれました」
いつも違う花が添えられていて
現在は、残された妻が成城の家を守り、娘もよく訪れているという。
「奥さんが1人だと広すぎるかもしれませんが、今もお住まいです。会えば挨拶もするし、変わらずお元気ですよ。田村さんは晩年、軽井沢に所有していた400坪超の土地にある別荘で過ごす時間が長くて、そちらに引っ越すという話もあったんです。でも、やっぱり田村さんは“成城で死にたい”と言って、引っ越しはやめたそうです」(別の近所の住民)
田村さんの墓は、横浜市郊外の霊園にある。山を切り開いた広大な敷地の中、高台ではなく、低い場所に位置している。周囲の墓の5倍はあろうかと思われる広さだが、隅に五輪塔があり、その隣に小さな墓石が据えられている。
来ていた人に話を聞くと、
「いつも違う花が供えられていますよ。霊園との契約で、年5回の草むしりと、花も毎月替えてもらえることになっているようです。ご家族を見かけたことはありませんが、ファンの人が来ているのを見たことはあります」
田村さんは'88年に“生前墓”として、この区画を購入。しかし、四十九日に納骨されても、墓石はないままだった。墓石が建てられたのは、亡くなって4か月以上がたってから。田村さんは墓の造りにこだわりがあり、専門家からアドバイスを受けていたという。
「この墓は“吉相墓”と呼ばれるものです。一般的な墓は、先祖が建てた1つの墓に代々入るのですが、吉相墓の場合は、代が替わるごとに子が墓石を建てます。敷地内にどんどん墓が建つことになりますが、今は田村さんの墓石があるだけ。田村さんの名前は黒で刻まれていますが、奥さんの名前も生きていることを指す赤文字で入っています」(墓地の関係者)
墓地代は“数千万円”
墓の向き、石の色や文字などにも細かい決まりがある。高低差のある霊園内でも低い位置を選んだことにも理由があった。上のほうに墓を建てると、財産が増えないとされているためだ。
「田村さんは“墓相学”を大事にしていたそうで、京都の専門家に聞いていました。墓石が小さいのは、高さがあると金銭的に“凶”といわれるから。土は、田村さんの本家の墓がある京都の業者から『備前土』という黄色い山土を運びました。砂利や小石は、子どもが病弱になるとされ、土を敷くことをこだわったそうです。広い敷地の隣にある区画には、祭壇のような笠石があって、墓地代は合わせると数千万円になります」(前出・墓地の関係者)
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220406-00023653-jprime-000-1-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/baaffd56146c9ce0df7e30d8fce46384cda5017e 3月下旬、週刊女性が田村さんの墓の前にいると、男性2人と女性1人がやってきた。聞けば、そのうちの男性1人は田村さんのマネージャーだったという。
そこで、一周忌の予定について問うと、
「特に何もないと思いますよ」
亡くなってしばらくは墓石がなかったことについては、
「そっと送ってほしいということだったんだと思います」
と語る。
田村さんの父・阪東妻三郎さんの墓は京都にある。熱心なファンが墓参りをしやすいようにと、道すがらに立っていた“案内板”を見た田村さんは、怒って引っこ抜いたという逸話が残っている。自分の死は、そっとしておいてほしいと考えたのだろう。
この男性マネージャーに田村さんとの思い出話も聞いた。
「私は50年前から正和さんを担当していました。いちばんの思い出深い作品といえば『古畑任三郎』になるのでしょうが、若いころは『眠狂四郎』ですね。木村拓哉さんが古畑任三郎のものまねをしていましたけど、嫌がる様子もなく、笑って見ていましたよ」
「これで仕事を辞めたい」
最後に会ったのは5年ほど前だったそう。
「『眠狂四郎 The Final』というドラマで、これで仕事を辞めたいと言っていました。でも、最後に話をしたのは昨年の2月で“コロナが落ち着いたら、ご飯食べよう”と言っており、声も元気そうだった。まさか、その2か月後に亡くなるなんて、本人も思っていなかったはずですよ」
それでも田村さんは死を予見していたのか、その発表を遅らせたのは、本人の遺言だったと明かしてくれた。
「そう奥さんがおっしゃっていましたから。亡くなったときに、私にすら連絡はなかったんです。四十九日が終わった5月18日に連絡があって、急きょ、私が発表したんです」
長年の苦楽を共にしたマネージャーにも死を知らせないという徹底した管理。生前は仕事でロケに行ったときなど、外に姿を現すことを避けていたのは有名な話だ。
「外食はせず、食事は個室。付き人が食べ物を運んでいました。私と、時々部屋で食べるくらいでしたよ。打ち上げも個室でした」
晩年は軽井沢に移住しようとしていたという話についても聞いてみると、
「確かに、軽井沢には毎年、夏になると行っており、そっちに住むという話もあったと思います。でも、軽井沢はあくまでも別荘という感覚だったのでは。正和さんは、やっぱり成城にいたかったんじゃないでしょうか」
軽井沢での生活より、住み慣れた成城で最期を迎えることを選んだ田村さん。今、その成城の家は妻が守り、本人は自らデザインした墓所で安らかに眠っている。 芸能界以外じゃ絶対生きていけなかったろ気持ち悪いわあの人 素敵な俳優さんだったなあ
まだ亡くなったって感じがしない
あの演技や表情や声、忘れられない 辛坊治郎がヨット航海から日本に戻ってきたとき過去の新聞読んで驚いてたな >>13
渡瀬恒彦も野際陽子も弱ったとこ見せずに逝ったから
そんな感じ >>11
行旅死亡人ていいよね!
眠狂四郎はあまり記憶はないが『パパはニュースキャスター』や『うちの子に限って』
『ニューヨーク恋物語』『古畑任三郎』まで子供の頃から大人になっても楽しませてもらいました。 誰かが楽屋を開けたらラーメン啜ってたらってエピソード好き >>13
俺も、古畑任三郎のイメージのまま生き続けてる 近くの物件見に行った時にあそこが田村さんの家ですよって不動産屋が教えてくれたわ 子供の頃キザなイメージがあったが、うちの子に限ってからイメージ変わったな >>22
あれも30年近く前なんだよな
50歳くらいの時だし とんねるず石橋のモノマネはどんな表情で見ていたんだろう きちんと綺麗に終わって良かったって感じだったけど、古畑任三郎が終わったのはまだ63歳とかだったのね 少し前にJoshin Webで古畑任三郎BOXが安かったから買ったぜ
シーズン1見終えたけどやっぱええな
陣内孝則だけは数学者に見えんけど >>13
ほんとそんな感じ
他人だからと言えば済んじゃうけど悲しいって感じもない
ちょっと不思議に思える人だなと 一昨日に泊まりにきた義母がコロナ感染者と接触していたということで昨日は急遽仕事を切り上げて家に帰って来ざるをえなかった
帰宅して何しようと思ったが、ふと4年前くらいに光TVで取りためていた古畑任三郎のことを思い出して観てみた
ランダムに3話観たけど凄く面白いな、色褪せない 総理と呼ばないでが好きだったなぁ
本人もダメ総理の役がすごく気に入ってたらしい
昨年BSで一挙放送してくれたのが嬉しかった
実況も賑わってたし 本人の美学には反するのかも知れないけど一度おじいちゃん役でのホームコメディも見て見たかった >>1
近所の人とも交流してるし
全然プライベート謎じゃないじゃん >>5
一般社会でも普通にやっていけてない自分の気持ち悪さにも
早く気づいた方がいい 今は遺産があるけれどそのうち遺産効果もなくなり維持できなくなる
時々問題になっている不良債権 >>38
そんなに悔しいほど好きなのか、田村さんを
それにしたって他人をいちいちサゲるのやめたほうがいいよ
不毛 >>32
「オヤジぃ」「おとうさん」も良かった
たぶん脚本で出演作を選んでるから田村作品には外れがない 晩年は見た目はキープしていて綺麗なお爺ちゃんになってたけど
声の劣化が酷くてセリフが聞き取れなかった 晩年は松本清ちょい原作のスペシャルドラマしかやんなかったね。
広末涼子共演の地方紙を買う女をBSでやってたから見たら声がぜんぜん出てなくて役者としてはもうダメだと思った。 三谷幸喜が倒叙ドラマを書くことはお前らも歓迎するやろ?
その主人公の名前が古畑任三郎やったら嫌やというだけで うちの子にかぎっての再放送をキボンヌ
なんでもチェッカーズの不仲が原因で再放送が出来ないって話
嘘が本当か知らんけど 遺作の眠狂四郎の時点でもう駄目だって分かる演技だったよ。あれは撮らない方が良かった。 井森美幸には遠く及ばないな
住所はガチで事務所の人間誰も知らないらしい
どうしても郵送する必要がある書類関係は実家に送る徹底っぷり >>13
ホント、その通りだわ
志村けんもそうだけど、なんか亡くなったって感じがしない人いるよな 「芸能人」の典型みたいな人だったもんな
この人が便所で下痢便してるとこなんて想像できないし 高倉健と言い田村正和と言い、抑揚の無いぶっきらぼうな言い回しは
一体何処から出て来たんだろうね。
キムタクが物まねをして普段から芝居に取り入れてるようだが、全然だ。 60歳過ぎてからの作品は、蚊が鳴くボイスで、音量上げても解りにくい。
私生活、謎ではないでしょ。表参道のマンションから堂々と出てきていたし(←キャリアハイ時代)、成城4のご自宅至近を歩いているし。
徹子の部屋出演時に、歯医者の話で笑ってましたよね。残念なのは持病での途中降板や、存続できない作品があったこと。 晩年はしょうがないよ。心臓やっちゃって声が出にくくなったから。だからフジの度重なる遺作古畑
のオファーを足蹴にし続けたと云われる名優かくありきの代表みたいな人だし 誰がモノマネやってもウケるタイミングで木村がやってた >>57
役者としては変だけど
人としては普通だからな こういう昔のスターってカッコイイわ
今はSNSでプライベート切り売りしてCMで発泡酒や歯磨き粉勧めるようなスターばっかり そりゃすぐ知らせたらマスコミが押しかけてきて家族がゆっくりお別れできないもんな
中にはお節介な奴がマスコミに連絡するから家族とごく一部の関係者限定が賢明 本物のスターだったから気配を自由自在に操れてた
連ドラやめた時期から髪型変えて普通に余生を過ごしてた感じだが? 長渕の嫁さんと出てた風呂屋のドラマ
評判悪かったそうだけど好きだった マスコミが政府が殺した!!
って難癖ブームやったのもありそうだがなw 97?98頃だったか
当時ファンだったラルクのhydeが音楽雑誌でおれ田村正和大っすき!って絶賛してたなあ
私生活がわからないのも凄いって
亡くなっていた報道あった時に自分が悲しいとかよりhydeは悲しんでるだろうかって考えてしまった
今はもう追わなくなったから何も分からないけど…
随分時間が経ってしまったなあ 亡くなって自宅醸されたが、立派な巨木のある立派な豪邸だったな。流石だなと。 上沼恵美子が劇かドラマで一緒になり、打ち上げのスナックかなんかで、一口も食べ物に手をつけず僕らが知ってる田村正和のままいるのを、
パイナップルどうですか?これ美味しいですよ?
と口元まで持っていっても苦笑いではぐらかされ決して食べなかったと言うてたな >>1 私生活を商売道具にしない=本物のスター
>>78
大阪、新歌舞伎座の舞台「眠狂四郎」
田村が舞台に出て来ると、客席がキャー!
エミリー曰く”それはそれは妖艶で〜”
共演女優から逆ナンされてたらしい、田村さん >>1
テレ朝「黒革の手帖(山本陽子Ver.)」の田村
TBS「岸辺のアルバム」の竹脇無我
これぞ二枚目。 >>78
兄弟だったと思うがが徹子の部屋で食べ物を人前で云々という話は、あれは、誇張されてる
とか笑って話していた記憶が・・・
あと、兄弟の家が近く同士で急に来て
ツマミ食いして帰るとか話もしておったような・・・ >>86
冒頭橋爪功と角野卓三3人で奥さんの愚痴言いあってるの
リアルな感じで本当楽しそうだったw >>88
コロナ禍に関係なく
死にましたって通夜や葬式の
連絡くるほど迷惑なことないからな。
渡哲也や田村正和も義理で相当
弔事に行っただろうが、大したもんだよ。今は一流の芸能人だけでなく
一部上場の社長を務めた人でも
家族葬で済ます人が多いからな。
うちの親父も家族葬だったが
それから町内会で何々さんがなくなりましたっていう回覧板が回ってこなきなった。 軽井沢に別荘があったんだね
海辺とかじゃらじゃらしたとこじゃなく本当に静かなところを好んだんだ
さすがだね >>15
このレスを見て渡瀬恒彦が亡くなったのを思い出したわ >>91
朝ドラに目黒祐樹そっくりの爺さん俳優が出てて、似てるなと思ってたらご本人でびっくらこいたなぁ。すでに他界してると思ってた
ご存命か、亡くなってるか、わりと勘違いしてたりするよね 正和さんドラマで料理作ってるシーンあるけど
思ったより出来てる印象
お家で必死に練習したのかな? >>82
それある。
生前も、事務所だか本人に連絡つかなくて、権利関係の確認とれず、版権持ち関係者が苦労してた、と書かれてた。
某TV局は投げたらしい。
知人が某局にいるけど、それが一番面倒だと言ってた。 アンチエイジングとかやってる芸能人に爪の垢を煎じて飲ませたい。
天然の美の素晴らしさ。
男が見ても艶っぽいよなあ >>11
俺もだな、無縁仏の上にそれなりに残る遺産を相続する人もいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています