0001征夷大将軍 ★
2022/03/20(日) 07:39:50.18ID:CAP_USER9https://rugby-rp.com/2022/03/19/domestic/81320
大好きな部活から少しずつ、少しずつ気持ちが離れていく。グラウンドにも行けず、仲間にも会えない。オンラインでミーティングもやったが、そもそも大会があるかどうか分からずモチベーションは落ちる一方だ。
「今年は違う」と思っていたのに。こんなはずじゃなかった――2021年秋、都留文科大学ラグビー部でキャプテンを務める梶原顕(かじはら・けん)はやり場のない怒りと戦っていた。
山梨県都留市にある都留文科大学は教員養成系大学として60余年の歴史を持つ。ラグビー部は1960年代後半に創部された伝統があり、関東の5部リーグで戦う。チーム運営は選手主体。自分たちで練習メニューを決め、練習相手を探し、秋の大会を目指す。山梨県側の富士山麓、自然豊かな都留市で楕円球を追いかける家族的なチームだ。
新型コロナウイルスの世界的流行が始まって2年目の春、21年4月の都留文大ラグビー部は活況だった。キャプテンを務めていた梶原は当時を楽しげに振り返る。
「例年より部員数が多く『今年は違う』という雰囲気でした。新歓(新入生歓迎会)は例年4、50人の新入生を集めて盛大にやるのですが、コロナ対策で3人1組など人数制限をしました。新歓の甲斐あって新入生も入ってくれて、部では最上級生になる3年生だけで20人。今年はイケる、と思いました」
目標は4部昇格。達成すれば部史上初の快挙だ。しかし梶原キャプテンの猛る想いは、コロナによって挫かれた。
「夏の初めから、コロナ対策で部活の対面活動が禁止になりました」
恒例の菅平合宿は2年連続の中止になった。長期の対面活動中止が始まると、2年生が大量に辞めてしまった。彼らは入学時からコロナに打ちのめされてきた世代だった。
「2年生はコロナが流行りだした20年からほとんど練習ができておらず、基礎もしっかり教えられていませんでした。練習をしても試合があるか分からず、何のために身体を痛めているのか、となるんです。徐々に人が減っていって、秋には15人ギリギリになりました」
部活の対面禁止は晩秋まで続いた。部活に入っていないかのような一日が淡々と繰り返されていく。キャプテンの梶原でさえ、ラグビーから気持ちが離れ始めていた。こんなはずじゃなかった。春に感じていた高揚感は跡形もなかった。
そもそも都留市出身の梶原にとって、都留文大での大学生活は念願だった。梶原の祖父と祖母は、都留大で出会って結婚した。みずからも教師への「漠然とした憧れ」から教員養成系大学の都留文大を志し、一浪して掴んだ地元での大学生活、ラグビー部生活、のはずだった。
「ラグビーから気持ちが離れていく感じがしました。まったくボールに触れない、仲間にも会えない。そうなると、どうしても関心が薄れてしまう。それが悲しかったです」
のちに22年度のキャプテンになる当時2年生の金子飛鳥(かねこ・あすか)も、色褪せていく情熱を眺めることしかできずにいた。
神奈川県出身の金子は高校時代、ラグビー部を途中で辞めたことを後悔していた。都留文大で覚悟をもって楕円球を手にしたから、同級生が大勢辞めても自分は残った。そんな金子でさえ、気持ちが冷めた。
「団体競技のラグビーは一人じゃ練習しづらいのが実状です。都留市で一人暮らししていますが、近所をランニングするくらいでした。気持ちはだんだん離れていきました」
大学の対面禁止は10月中旬に明けたが、しかし所属するリーグ戦5部はすでに10月3日に開幕していた。月末の7人制大会への出場を考えたが、大学の出場条件に該当せず。
ようやく手元にボールが戻ってきた時、都留文大ラグビー部の行く手には何もなかった。あるのは自動的な引退を待つだけの日々だった。このまま引退なのか。いや、このままでは終われない。せめて、1試合だけでも。
「もう出場できる試合がないと分かった時点で、最後に1試合だけでもやりたいと動き始めました。特に4年生は去年2試合しか試合をしておらず、4年生のためにも『みんなの引退試合』を組もうと考えました」(梶原)
近隣にラグビー部のある大学がないこともあり、梶原たちはTwitterでの拡散に賭けた。リツイート数は130件超。大きな反響だった。
しかしここでもコロナが障壁となる。他大学のラグビーサークル2チームから練習相手の申し出があったが、その後に調整難航の知らせが続いて断念。大学側と協議したがグラウンドが取れない等のコロナ事由だった。
もう諦めようか。そんなムードも漂っていたという21年冬だった。ラグビーグラウンドを保有する一橋大学から声が掛かった。
(以下略)