【大河ドラマ】『鎌倉殿の13人』ドラマでは触れられない細部への並々ならぬこだわり「首ちょんぱ以外は99%史実通り」 [爆笑ゴリラ★]
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1/30(日) 6:05配信
SmartFLASH
頼朝を乗せて疾駆する義時。馬の扱いに精通した坂東(東国)武者の姿をよく伝える(写真提供・NHK)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が好評だ。視聴率(関東地区)は初回17.3%、第2回14.7%を弾き出した。
三谷幸喜脚本による「予測不能エンターテインメント」という宣伝文句そのままに、早いテンポで飽きさせない展開だが、それだけではない。「風俗考証」にあたった佐多芳彦氏(立正大学教授)が、「もうひとつの見どころ」を語る。
佐多氏が大河ドラマで風俗考証を担当するのは『平清盛』や『麒麟がくる』などに続いて5回め。そもそも、風俗考証とはどんな仕事なのか。
「今回は鎌倉時代初期の設定に合うように、人物や描かれる場面と史実との検証をおこないます。『時代考証』と違うのは、衣服や小道具、人物の所作なども含めて、映像となる部分を忠実に再現するところです。そのために、当時の文献資料や、絵巻物、肖像画、屏風絵などの絵画資料にもあたります」(佐多氏、以下同)
小栗旬が演じる北条義時ら、鎌倉武士たちの服装も風俗考証を経て再現された。
「今回、武士は頭に『烏帽子(えぼし)』を被っています。戦国時代や江戸時代の武士は、髪を剃って月代(さかやき)にした頭を露出していますが、鎌倉武士は、まだ(京の)朝廷の風俗習慣に従っていて、みんな必ず烏帽子を被っているのです。
衣服でいえば、『裃(かみしも)』が出てくるのが戦国時代の終わりで、江戸時代になると『忠臣蔵』で描かれるように、袴が異様に長いものも現われます。
一方、鎌倉武士は、ほぼ全員『直垂(ひたたれ)』を着ています。この直垂が発展して、裃や羽織になりました。初回を見た視聴者から、服装はもっとピンとしていたんじゃないかという声が多く届いたそうですが、直垂に烏帽子が現実です」
鎌倉武士は質素だった。それを再現するために、着物の材質にまでこだわったという。
「直垂は植物繊維の布製でした。だから “ツヤ消し” に見え、しかも縫い目が粗いので、貧乏くさく感じます。対する都方は、朝廷も平家もお金があり、絹をふんだんに使った服を着ていました。テレビ画面でもツヤがあって高級品に見えるように仕上げ、鎌倉武士との差を強調しています」
女優陣の服装にも注力した。
「小池栄子さんが演じる北条政子は、『小袖』という着物を身に着け『湯巻』という前掛けをしています。洗濯や料理をするのに都合がいい服装です。いわば召使いの姿。その格好は、後の『武家の婦女子』のイメージとはだいぶん違いますが、鎌倉のころの武家は、半分は農家でもありました。それが女性たちの服装にも影響しているのです。
政子と対照的なのは、新垣結衣さんが演じる八重の衣装。政子と違って湯巻は着けておらず、きれいな小袖を重ね着しています。これは、八重の伊東家が北条家より格上であり、高貴な姫であることを表現しています」
武士が住む館も、史実に基づいて復元した。
「当時の地方武士の屋敷は、屋根が板葺きで古びた暗い家でした。館の中で義時が木簡を削る場面がありましたが、当時は武士といえども、畳の上で机に向かって仕事をしているわけではなかったのです」
第一話の最後で、八重の父・伊東祐親(浅野和之)が兵を率いて北条家の面々と向かい合う場面があった。
「攻めてきた伊東の軍勢は、大見得を切ったわりに迫力がなかったと思われるかもしれません。これはエキストラが足らなかったわけではなくて、実際にあの程度の人数だったのです。これ以外にも、視聴者の皆さんが『あれ?』と思うところは、史実に寄せて描いている場合が多いのです」
史実に忠実であろうとした結果、視聴者の期待に反してしまうこともあるようだ。
「たとえば大泉洋さんが演じる源頼朝。今までの大河では、武家の棟梁ゆえに金色っぽい服を着たりして、派手な演出がなされてきました。しかし、実像は質素を好む人。たとえば、平氏追討の命を下した『以仁王の令旨(もちひとおうのりょうじ)』を読み上げるときは『水干(すいかん)』を着ました。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220130-00010002-flash-000-2-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/61b49f914bfcb1ee6bb1e6b65966d6f4c2ef9916
【場面写真複数あり】小袖に湯巻を着けた姿で家事に精を出す北条政子など。地方の下級武士の家の女性の姿をよく表わしている(写真提供はNHK)
https://smart-flash.jp/entame/170855 頼朝が北条の館から逃げるとき、女装したのも実史なんだろうか >>201
女装しても、逃げてる時点で「怪しいから捕まえろ」にならんのかな >>199
増長慢になれるほど周りが言う事聞いてくれるなら早々に挙兵して大兵力揃うわ
坂東八平氏とか田舎者とはいえ歴とした平氏の一族や
お前みたいに頭お花畑じゃねーんだよ 日本の戦なんて盆地でもみ合いするくらいのもんでしょ >>21
後の世の将軍権力、幕府の魁って意味ではやっぱ1192だろう
実質的な権力基盤がどうのこうのなんてどこを画期とするかなんかいかようにも言える >>206
京の外に政所を設ける根拠として遠征軍の将軍職である令外官の征夷大将軍就任をを幕府の開始にするのは全然おかしくないからなあ
時代区分なんてどこまで言っても後付けでしかないから無理に変える必要性全くないというね >>156
大河じゃないけど吉右衛門の武蔵坊弁慶オススメ 鎌倉幕府の本質って
やれ守護だやれ地頭だと分かった風な事を言ってる人が多いけど
一番重要な事は将軍を担ぐ事で皇族や公卿から離れ武士自身で管理できる荘園の本所としての機能なんじゃねーのかと思う 貝むきナイフみたいなので首切断するんだろ?
これから戦争で捕虜になった徴兵ネトウヨもなるのだから斬首は隠さずお知らせするべき >>209
荘園の機能は鎌倉の幕府も保証していたはず
頼朝も御家人たちへしつこく本所へ納税しろと厳命していた
結局は幕府の能力が足りずに押領されていったけどw >>212
そういう事じゃなくて「政所」という機関が示す通り幕府自身が荘園の本所になってるって事
幕府による土地所有承認の仕組みの根本は荘園の延長にあるんじゃねーのか?という事 >>214
そりゃあ荘園制が完全に終わるのは秀吉の時代だし >>215
だからそういう事じゃなくて
鎌倉幕府がやろうとしてた事って荘園制を利用した武士自身による領地(荘園)管理なんじゃねーのか?って事 >>216
武士が荘園を押領しまくったのは事実だけど、幕府がそう考えた形跡は無いかと
むしろ御成敗式目とかで抑制しているじゃないか? >>217
形跡も何も「政所」って機関は皇族や公卿が持ってた「本所として荘園を管理する」家政機関なんやけど? サラブレット馬な訳ないし、
身長も高すぎ栄養も取れすぎてるねん >>218
自分の中で結論が出ているんならそれで良いだろw
実際には将軍家が本所として所有する荘園なんて全体の一部(平家没官領)だったけどな 北条宗時があと数日の命なのが惜しい
いいキャラなのに >>220
じゃあ頼朝(幕府)が御家人の本領安堵が出来る根拠は何でそれを何処が管理してたんや? >>194
そのぐらいできないと天下はとれないよ
あの信長だって必要な時は人たらしやってたよ >>196
三浦氏と千葉氏が味方になる予定だったからだろ
実際は天候が悪くて石橋山に間に合わなくて敗戦したが >>222
頼朝の武家の棟梁だからだな
それでも将軍家は他の本所が自分の荘園で行う行為には関与しなかったよ
鎌倉時代の武士は2重に仕えているとか普通
将軍家の御家人の身分と摂関家とかの荘官である身分は並立する 御成敗式目に明文化されたいわゆる奉公にあたる大番役も元々は荘園の本所に対する大番役の延長上に有ることは容易に想像出来るし
幕府の仕組みの根幹が荘園経営の仕組みから生まれてるって事をもっとシンプルに考えても良いと思うわ >>226
武家の棟梁がそんな権限を持つ根拠ある?
政所って何を管理してたのかな? >>228
他人を試すような質問は不誠実だよ
一つ一つ用語のクイズに答えないと駄目なのか?
朝廷の権威と従えた鎌倉武士の武力の両方が将軍家の力の根源 >>229
そもそも所領安堵という行為自体が荘園領主の行ってた行為
彼らは別に武家の棟梁ではない >>231
権門ではなく流人のに安堵してもらう事の意味
一面的にしか考えられないならその一面にこだわればよろしい
木曽義仲くらいにはなれるかもしれないね >>230
来週からでしょ
本格的な命のやり取りは
日本人のお名前がお約束の大河タイアップやってたけど
最初百人坂から移動しながら膨れて万人坂だからね
序盤の武力衝突は地味になるはず >>233
だからその意味と構造をもっとシンプルに考えてもいいじゃね?と言ってるんだが?
侍所だって元々は皇族や摂関家の家政機関だし鎌倉独自に発達したのは問注所や引付衆といった裁判を取り扱う機関ぐらいだし
鎌倉幕府の組織を変に特別なものと考えなければ鎌倉幕府が全国的な支配組織でなく皇族や公家寺社と並列に存知してた事も自然に理解出来るなと思ってるだけや これドラマじゃなくて芝居じゃん
延々数人の会話だけで話進めてる
今年は見てみようと思ったんだけどねー
あかんわ、早くも脱落しそう
染五郎だけは見たいので アンテナだけは張っておくかな >>231
実際、自分らで開墾して権門に寄進した荘園を武力で奪いにくる奴がいて、
それに対して権門がなにもしてくれないのなら
「武家の棟梁」とやらに頼るしかないだろ
そうこうしてるうちに実権は武家の棟梁に移るわな
今で言えば「警察がなにもしないからヤクザやマフィアに頼る」みたいなもんだ 1192年、源頼朝が鎌倉幕府を開いた
のではなく
1192年に征夷大将軍になった源頼朝をかついだ
北条一族が
鎌倉幕府を開いた それも本当かどうか分からんやろ
書物オンリーの歴史に 後白河法皇の夢演出やるなら清盛との確執やれよ
後、政子をガッキーにしとけ、色々きついわ 大泉頼朝 なんとなく肖像画に似てるなって感じに見える時がある 平清盛の大御所感と違いすぎるのは狙いか いろいろ軽いギャグ飛び交ってるし >>208
あれは古き良き時代の弁慶&義経モノだから
最終回まで見ると涙が止まらなくなり頼朝が大嫌いになる 千葉市はこの大河に関係なく結構前から千葉常胤を推してて
漫画まで作って配ってるのでドラマに登場するのを今か今かと待っている様子
岡本信人より田中泯の方が良かっただろうけどね >>246
ヒストリアが歴史探偵になる時代だからねぇ
あの番組も最初はブチ切れだったが
今じゃ渡邊あゆみのクーデター待ちだわ
佐藤二朗だけが要らない 史実通りなら見ないでいい
他にいくらでも知りようがある あれだけNHKのドラマによく出てる國村隼が大河は清盛と鎌倉殿の2作だけってのが意外だわ いつから『一族郎党皆殺し』のやり方はなくなったんだろう?
とにかく恨みを晴らすことに命をかけてる時代はいつ頃終わったのかね >>245
裸になって湯に浸かるのが普通になるのは、戦国時代ごろ。浴衣もそもそもは入浴中に着る物。 >>257
鎌倉幕府滅亡で北条皆殺しが大規模なものだと最後
南北朝や室町は皆殺しがなくなるかわりに戦争が長期化してグダグダになる
関東なんて鎌倉→古河公方と上杉氏の争いで中央より早く戦国時代に突入した ところで鎌倉武士の刀はあんなだったのか?
なんか妙に優雅な曲線なんだけど 首ちょんぱでダメならセリフの現代語ほとんどダメじゃね? やっぱ、今度の大河は面白いな
渋沢のは全然見なかったけど 99%史実通りなんて書いたら歴ヲタがマウント取りたくてワンサカ沸いてくるだけなのにアホやなぁw
歴ヲタなんて自分の知識凄いだろ?って言いたいだけだぞ? >>266
ニワカの歴オタより遥かに専門的な研鑽を積んだ研究者が監修についてんだから何の問題もない そういう奴らは5CHなりSNSなりで矛盾をお披露目して気持ち良くなりたいだけだからね >>269
それは明らかに史実。
俺でも知ってた。 >>261
鎌倉時代の方が馬上で使う事を目的にしてるから曲線的なのは間違いじゃないですね 一緒に平家倒した仲間の豪族も源氏の血を引く人達も身内といえども容赦なく粛正した北条氏
血で血を洗う残酷物語なんだけどね >>275
そうなんだ。テレビで見るとそんな感じはしないけど。 >230
本当に相手を滅ぼすためにに戦うのは政権を取った後だから >>269
パンツ脱いで寝る派は烏帽子も取ったかもしれんな >>266
文句を言ってるのは戦国時代・江戸時代のドラマに慣れちゃってる人みたいよ >>262
「首ちょんぱ」は現代語からも外れてるでしょ >>262
首チョンパはドリフが語源じゃなかったか >>273
見てないんだけど、ちゃんと打刀じゃなくて太刀を使ってる? ガッキーが眉毛剃ってお歯黒入れたら史実通りと認める 時政役の歌舞伎役者が大泉より笑いに走っているのが良い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています