朝潮太郎 (3代)
1958年ごろの朝潮は相撲記者からの相撲関連の質問にあまり答えず、ファンの女学生や野球の話、『ベサメ・ムーチョ』の話や冗談話などでよくごまかしており、三宅充(のち相撲評論家)に「大へん子供っぽい」「相撲の質問にも、少しは答えてもらいたい」と苦言を呈されている。そういう話ばかりするためか「童貞説」も流れていた[2]。

なんでや!