『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)のるい編では、なにかと映画が話題にあがる。特に「時代劇」作品は、のちのヒロインひなた(川栄李奈)編のテーマでもあり、第53回の放送でるい(深津絵里)と錠一郎(オダギリジョー)が観に行った“駄作”の『妖術七変化 隠れ里の決闘』も時代劇映画の一つである。B級好きの自分としては、どこか80〜90年代の香港映画にありそうな設定とチープさに惹かれたのだが、とにかく劇中での言われようといったらひどい。
シリーズの最新作であるその作品は、お侍である棗黍之丞(桃山剣之介/尾上菊之助)が流れ着いた里が妖術使いに操られていた、という設定から始まる。里の民は彼に助けを求め、彼はその妖術使いと戦うことに。しかし、その相手とは妖怪にされてしまった人間だった。そしてその悪の親玉である妖術使いを演じるのが、これまでのシリーズを含め数々の映画で斬られ役(大部屋役者)をやってきた、伴虚無蔵(松重豊)という役者。その謎の無名俳優の抜擢から、妖怪の作りがちゃちでお粗末だとまで、ラジオパーソナリティにして映画評論家のキャラクター、磯村吟(浜村淳)がボコボコに酷評する。
少しこの時代の映画について振り返ってみよう。2人が映画デートをしたのは、1963年のこと。この時、日本では黒澤明の『天国と地獄』、『ハワイの若大将』や『マタンゴ』などの作品が公開されていた。ベリー(市川美日子)が錠一郎を映画に誘った時に出たタイトルが、後者2作(しかも同時上映)だったのが記憶に新しい。一方、洋画の方はというと、スティーヴ・マックイーン主演の『大脱走』から『アラビアのロレンス』、『鳥』、『シャレード』と映画史に残る名作揃い。そして何よりこの60年代初頭になってくると、50年代に『大アマゾンの半魚人』や『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』、『吸血鬼ドラキュラ』『フランケンシュタインの復讐』など海外のクリーチャーホラーが公開され、邦画シーンでも化け猫映画が多く流行っていたこともあり、“妖怪のつくり”の良し悪しについてはハードルが上がっていた頃合いだろう。そういった文脈で磯村は『妖術七変化 隠れ里の決闘』を酷評したのかもしれない。
しかし、どんな駄作にもいいところはある。そして、どんな駄作でも誰かにとっては名作だ。
錠一郎はこれを気に入って食い入るように見つめていた。なぜか、普段ならベチャベチャにこぼすホットドックのケチャップも、真剣に映画を観ているせいか(逆に)食べ方すら真剣になり、シャツにシミひとつ付けなかったのが面白い。一体この映画の何が彼の琴線に触れたのか。
錠一郎(オダギリジョー)が棗黍之丞に重ねた自分
そもそも、『妖術七変化』、そして主人公の棗黍之丞を演じるモモケンこと桃山剣之介と錠一郎の立場は同じである。両者とも、磯村という評論家、つまり第三者からジャッジされ、批判されているのだ。“月”と形容して持ち上げておきながらも、トミー(早乙女太一)の方が圧倒的とこき下ろされてしまった錠一郎。落ち込む彼の気分転換のためにも観に行った映画が『妖術七変化』だった。そして、なにより黍之丞のあるセリフに彼のホットドックを食べる手が止まる。
「暗闇でしか 見えぬものがある」
「暗闇でしか 聴こえぬ歌がある」
ここで回想されるのは、戦争孤児になった頃の自分の記憶。彼はずっと、“暗闇”の中にいた。トミーと違って、環境に恵まれることなく孤児としてある家のレコードから流れる「On The Sunny Side Of The Street(サニーサイド)」を窓から盗み聞きしたのが一番古い記憶だという。そして潜り込んだクリスマスパーティ。ジャズのおじさんたちに連れて行ってもらった喫茶。両親も亡くし、何も持っていなかった、未来なんて見えない暗闇の中で育ってきた錠一郎だからこそ聴こえた歌。それがあの時流れてきた「サニーサイド」であり、彼が初めて見えた一寸の光だったのではないだろうか。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/492bdba979620e8eb9c8d4f1734c43896fb7b383
『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)
https://i.imgur.com/NHPSV6Q.jpg