発言をぼかして書く、といった手法も検討しました。 また、 一切 書かないという道も考えました。 しかし、 最終的に取材で得た音声 の主要部分は書くという判断を私がしました。

かつてないほど悩みました。 タイトル決めの時にデスクたちと話 し合うのはいつものことです。 しかし、 今回は、 締め切りの日、 最 初の原稿が出来上がった後に、 再度デスク全員を集めて、 それぞれ の意見を聞きました。 また、 発行人である編集局長も意見を伝えて くれました。 彼らの意見を踏まえて原稿を修正し、 最後の校了の直 前に、 担当デスクともう一度、ゼロベースで考えようと徹底的に話 し合いました。

記事を、恋人俳優は、読者は、 そして沙也加さんの関係者はどう 受け止めるだろうか。 「ここまで書く必要はあるのか」 「金儲けの ために人の死を利用するな」 といった批判は当然、 予想されます。 それでも掲載に踏み切ったのは、この事実があったことを知ってい して、 我々だけで握り潰すことはできないと考えたからです。

沙也加さんはなぜ音声を録音し、 何人かの関係者に送っていたの か。 沙也加さんの死は、 精神的な不安定さが招いたことだったの か。 スターである母との関係に悩み、葛藤と努力を重ね自らのアイ デンティティーを確立し、 幸せを求めた沙也加さんの死を、 批判を 怖れて封印するのは、 「週刊文春」 としてあってはならないと判断 しました。

さまざまなご批判、ご意見がある記事だと思いますが、 上記のよ うに考えて掲載に踏み切りました。 記事を読んでいただき、 皆様の 判断を仰ぎたいと考えています。

「週刊文春」編集長 加藤晃彦