【TBS】伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績★2 [征夷大将軍★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、1981年9月17日に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。
「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20〜30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。
「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。
しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん)
こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。
「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。
ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」
同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。
「ランクインが予想される20〜30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」
紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。
スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。
「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。
「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。
また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」
取材・文/北武司
※女性セブン2022年1月20・27日号
ポストセブン2022.01.08 07:00
女性セブン
https://www.news-postseven.com/archives/20220108_1718449.html?DETAIL
前スレ
【TBS】伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1641599155/ ミュージックステーションはモーニング娘。がオリコン1位なってるのに絶対に呼ばないからな
変な力が働いてるのか?どうなってんだ? >>3
それは追っかけマンの松宮さん
松下はとんねるずと喧嘩してたやつ >>2
価値のない1位だからだろ
ファンが一番わかってるだろ そういえばどんな基準で
ランク付けてたのかなw
誰も知らないのでは 歌番組の生バンド奏者でもハネケンさんと同じピアノ演奏は出来ないからテレビ用には簡易バージョンの編曲に変えてたらしい 聖子&明菜の貢献度は高かったと思う
現にこの二人と番組の失速期は見事に被ってる としちゃんから聖子へのリレーで相合傘は物議をかもしたな これ例えばロングヒットを飛ばしたら毎週出るハメになるのかw >>8
レコード売上・ラジオへのリクエスト・有線放送・番組へのリクエストを「独自の方法」で集計 ニューミュージック、と呼び慣らされたアーティストたちが、揃って
「出演拒否」
という行動に打って出たムーブメントがありました
詳しくご存じのネラーの解説を希望します。 順位はなんか番組独自調査の4つの指数の合計だった記憶
レコード売上、有線リクエスト数、・・・・
いくらでも操作出るやろ テレビしか家での娯楽が無かった時代だから視聴率が高かっただけ まあ、、
集計がどんなに公平かとか言われても、お茶の間にとっては永遠にうかがい知れない裏事情だしなあ。。
それらしいエピソードを創作してアレコレ今だから言える話なんだろう。
夢がないよホント、芸能界ってw 山口百恵 最後の出演時に黒柳さんが
「百恵さんもたくさん一位をとられて」というと
「そうでもないです笑」と答えてた 「昔はよかった」を言い出したね、もうそろそろか?早く逝け ぶっちゃけベストテン潰したのは光GENJIだと思う。 >>8
どういう集計方法だったかは公表されてる
確か毎回オープニングで久米さんがそんなようなこと早口でまくし立ててたはず
しかし早口すぎて聞き取れなかったw ド演歌が上位にランクインしだして番組は急降下していったな
長良川艶歌とか、さざんかの宿とか勘弁してほしかった
着物着て歌う演歌歌手で本当の大スターは
美空ひばり、北島三郎、石川さゆり、細川たかし、全盛期の都はるみ くらいまでだろうな?
ほそか >>17
当時小中だったが「本当のシンガソングライターの
人たちこそ本当の音楽家なんだあ、やっぱり
「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜ではなく井上陽水が
歌う方が通である」
と本気で思っていました。実際浜省とか佐野元春の
ようなアーティストはベストテンでは歌ってないので
フリフリの衣装着て歌うだけの歌手を通ぶって
嘲けていました。でも今は人それぞれと思ってますがね。 >>17
ムーブメントというほど記憶が定かではないが
若き日の松山千春が何度ランクインしても出演しなくて
1位になったとき1回だけ出演したことがあったな。
「ファンのいないカメラに向かって歌うのは寂しい」と
出演しない理由を1分くらいとうとうと語って、「歌います」と
寂しそうに言ってから一曲だけ歌ったのをよく覚えてる 今なら簡単に操作出来るな
レコード売れなくても有線リクエストとはがきリクエストで桁違いの大砲ぶっ込めばいい >>12
聖子の結婚休業のころから下降期に入り
明菜の自殺未遂休業の後に終了した 大川栄策の箪笥担ぎ&アゴ鳴らし
アルフィーの星型のディス箪笥
山本譲二のシロふんどし >>24
確かにそれほど取ってない
リクエストの多い男性歌手が有利だった この生番組で「透明人間」を歌ってたピンクレディが本当に消えた時は衝撃を受けたな 出演NG歌手でベスト10埋まったら番組的にはどうしてたのか >>29
上がりたい上がれない
気持ちウラドラ
戸惑いはテンパイね
そろそろリーチ
麻雀しながらよく聴いてたなw 良かったのは10位以下でも急上昇中の歌手も出していた事。
こういうところから、次のヒット歌手が生まれていた。 ザ・ベストテン有ってのレコード大賞だったんだけどな。 凄かったのは年間ベストテンで小林幸子の「おもいで酒」が1位になったことだな
演歌恐るべしって感じが見事だったわ。まあ歌謡曲の黄金時代だよね >>43
番組終了近くは数組しか出演せず
トークを長くしたり変な企画したりして
苦肉の策だった >>46
初期のサザンがまさにそうだった
初出演は衝撃的だった レコードやCDの売上枚数だけだと
AKBみたいに握手券商法で正確な人気がわからない
有線ハガキラジオとたくさんの指標を混ぜることで
楽曲そのものの人気が少しは公平に出せる >>48
リアタイで観てて
いとしのエリーが2位だったので
誰が1位なのか予想がつかず
小林幸子でびっくりした
そして幸子が涙ポロポロ流して登場
レコード大賞獲ったような喜びの涙だった
番組の価値が上がった あーラジオとかテレビとか余った年賀ハガキ使って書いて出してたなあ。
ラジオで名前呼ばれた時は感動した。 >>36
レコード以外の組織票は判別しやすいから
ベストテンの時代でも既に組織票除外されてたよ >>52
番組初期はレコードデッキが一家一台で
若者は貧しくて簡単にレコードは買えなかったから
聴くためにはハガキや電話リクエストに頼らざるをえなかった >>35
あれは松山千春が国民のカリスマになったシーンだよ
めちゃくちゃカッコよかったね
ただ、それまでの千春のラジオリスナーからは
「普段着のままの」朴とつだが気さくなチー様ではないとブーイングだったんだよな 事務所がファンにお願いして有線にリクエストさせまくるとかハガキ出させまくるとかの組織票はあったよ 全ての得点を集計した総合1位は五木ひろしの「長良川艶歌」だったかな
それとも山本譲二の「みちのくひとり旅」だったかな
総得点集計した場合は息の長い演歌が有利だよな おニャン子、フジとの軋轢後、最後はあの時間帯でとんねるずぶつけられて終了って感じだったか 日本の良き時代
もう日本に良心はない
YouTuberが何百万もする物を買って見せびらかすのを見るだけの国にまで落ちぶれてしまった
もう糞です、この国は >>59
その数年後に「長い夜」で再出演
そのパフォーマンスがモノマネの題材になる >>1
テレ朝の「ベスト30歌謡曲」はなかったことにしてるな 80年代のシングル盤には歌詞カードの隅っこに「ラジオやザベストテンにリクエストして○○ちゃんを応援しよう!」みたいなこと書いてあるな >>60
たしかハガキの比重がダントツで一番高かったんだよね
それにあのころの演歌歌手の事務所は有線のリクエストバイトたくさん雇ってたんだよ
喫茶店ハシゴして優先リクエストの電話しまくる要因
俺の友人は都はるみの弟子の女性歌手担当してたわ >>63
初期に番組作ってた秋元康が
フジに移って結果的に番組を潰してしまった >>35
でもその翌年か翌々年に「長い夜」がヒットした時には普通に出ていたようなw >>48
演歌というのは一度ヒットを飛ばした曲があれば
ジジババが聞いてくれるのでその曲だけで食える
ヒット曲が多数あれば御殿が建つそうな
だが若い人向けのポップス系の曲は流行り廃りが
激しくてファンも飽きやすいためヒット曲を
続けざまに出さないと生活できないそうだ バブルの華やかな歌番組また見たい
完全生中継、海外あり、衣装もセットも超豪華、金の使い方が凄まじかった >>69
みんなソレやってたから
結果的に公平は保たれてたなw >>53
去年だか、小林幸子がラジオで当時のことを喋っていたが、スタッフからは「残念ですが「おもいで酒」、年間ベストテン圏外でしたが、せめて番組の打ち上げには参加してください」と騙されて呼ばれたらしい。 演歌がランクインしたらチャンネル変えるか
トイレタイムだったが何故か「よせばいいのに」
だけはそのまま見てた ランキングったってなんか出所不明な係数とか入ってるからマジで公正かとか言い出すとどうかなとしか思えんわ >>76
それで泣きながら崩れ落ちての入場だったのね まあ自分はアーチストと名乗っただけで激怒するような業界だったからな 公正かどうかは関係なくて
アメリカはビルボード、日本はオリコンなのよ >>74
今でも四半期ごとに各局で何時間も長々とやっとるだろ モラルのない売り方してたからだろうよ
誰もマジメにやらないに決まってんじゃん カックラキン大放送収録後の調布グリーンホール〜調布駅前の光景が懐かしい。
松宮さんには生きてて欲しかったよ。 全然公正じゃなかったぞ
堀ちえ●のファンクラブのやつがホリプ●に呼ばれて、ベストテンへのリクエストハガキ何千枚とタダ働きで書いていた
お礼は生写真一枚w 久米と黒柳徹子の司会者としての華やかさでこの番組の成功は約束されてたと思う
久米は長身でスマートでタキシードが良く似合う
だから黒柳徹子のお洒落が更に引き立つ >>81
オリコンも結局信頼なくして
配信やSNSトレンド等々を加味したビルボードが日本でも主流になりつつあるね 俺が今でもすぐ思い出せるのは
・サザン「勝手にシンドバット」初登場
・松山千春の季節の中で初登場でファンにメッセージ(その後長渕も真似?)
・甲斐バンド、酒飲みながら登場
・ジュリー「TOKIO」パラシュート(ジュリーの暴走で井上大輔バンドが匙なげた)
・南野歌詞忘れて号泣
・松田聖子ウソ泣き 紅白歌のベストテンってマチャアキ司会でやってなかったか? 前週には20位以内にすら入ってない状態で、本当に初登場1位だったのは菊池桃子セイイエスだけ? 全然流行ってないが
売れてるものを前に出しすぎた
ソシャゲみたいなもんでしょうよ
アレはゲームとはいえ
変わり種だもん >>14
五木ひろしの長良川艶歌も結構長くなかったっけ? ビルボードは90年台前半に集計方法見直しでガラリと変わっちゃってからチャートへの興味薄れちゃったとこあったなあ 集計方法は今でも可能。
レコード、有線、ラジオ、はがき。
各30位まで出す。
1位は30点、2位は29点・・・30位は1点と点数付け。
それに比率を掛ける。
番組スタート時は、はがき4、ラジオ3、レコード2、有線1。
末期はレコード6、はがき1.5、ラジオ1.5、有線1。
最後に点数を合計して番組の演出上33.3倍して完成。 毎週ルビーの指輪とか歌うグラサンのおっさんが不快で堪らなかったよね 雪国の夜を 汽笛は低く鳴る 今帰りゆく ふるさとに
あ〜 あ〜 ねむるあなたは *小さな胸に〜
待ちわびただろ 春が来るのを もう一度 笑顔見たかった
野(々)村どうでもいいから 笑い 複合チャートの走りだったんだよな
最初はハガキリクエスト主体だったのが、オリコンの売り上げ至上主義が
もてはやされ失速(ほかの放送局から疎まれたんだろうな)
でオリコンは秋元さんのランキングハッキングが行き過ぎて疑問視もたれてるなか
複合チャートのビルボードにポジションとられた
(去年の紅白の感想いくとランキングそのものが無意味で、昔の曲ながせ
新しいものなんていらねーってことまできた) >>70
ベストテンに出ていた頃のとんねるずは好きだったがベストテンを潰して以来、嫌いになった。
結局、ベストテンは番組の寿命だったと許せるようになったのは野猿あたりかな。
今の枯れたとんねるずは結構好きだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています