元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネル『JOチャンネル』で、最後の在籍クラブとなった横浜FC時代のエピソードを明かした。

 現役最後のシーズンとなった2006年、足達勇輔監督が第1節に敗れた後に電撃解任され、後任に指名されたのが高木琢也コーチ(現SC相模原監督)だった。

 前年に加入し、シドニーFCへのレンタルを経って復帰していた三浦知良にとっては、日本代表で2トップを組んだ時期もあった高木監督は1学年下の後輩。そのため、監督に就任した後も最初は呼び捨てだったという。

「カズさんも悪気はなく、監督になっても高木と呼んでいた。先輩後輩だし、一緒に代表も戦っているからそう言うよね」

 だが、「若手などが『監督に向かって高木はないでしょ』みたいになって、少しおかしくなった時があった」ため、キャプテンだった城氏が指揮官に、その思いを伝えたという。


「高木さんも偉いよ。俺が伝えたら、カズさんに話しに行って。『これからは高木と呼ばないでくれ。監督と呼んでくれ』と言って、カズさんも納得して『そうだよな。悪るいな』となって、監督と呼ぶようになった」

 城氏は「もし俺が監督だったら、カズさんに『監督と呼べ』なんて言えないよ。でも高木さんは線を引いて、『調子が悪かったら使わない。だからモチベーションもコンディションも上げてくれ』とまで言った。凄いなと思った」と続けている。

 そして、このやり取りは、“キング”を燃えさせる効果もあったという。「カズさんも言われたらモチベーションが上がる人だから、『よし見とけよ、やってやろう』となる。その辺もうまかった」と振り返っている。

 そんな高木監督の下で結束した横浜FCは、このシーズンにJ2で優勝を飾り、クラブ史上初のJ1昇格を成し遂げたのだった。  

サッカーダイジェスト 12/13(月) 5:17
https://news.yahoo.co.jp/articles/08050c02f168011bfbf9f8c0acd3e98e57eadaa9

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