0001朝一から閉店までφ ★
2021/12/09(木) 11:53:16.57ID:CAP_USER9北村 泰介
タモリの「オールナイトニッポン」(以下ANN)から「なぜか埼玉」というヒット曲が生まれて40年。同曲を歌った歌手で芸人・さいたまんぞうが東京・浅草の「音のヨーロー堂」で40周年記念ライブを11月下旬に開催し、今月9日に73歳の誕生日を迎えた。「芸能界のツチノコ」と称されながら、折に触れて自身の「生存証明」を続けてきた「さいたまんぞう」の生き方とは…。本人や盟友に話を聞いた。
ニッポン放送の深夜ラジオ番組「ANN」で、タモリは1976年からパーソナリティーを務め、木曜午前1時から2時間枠(リスナー感覚は水曜深夜)の放送が83年まで続いた。81年2月26日放送の「思想のない音楽会」コーナーで、謎の男性歌手がこぶしをつけずに淡々と歌うムード歌謡調の曲が流れた。高校生が「父親が飲み屋から持って帰ってきた」という自主制作盤を番組に送ったことで火が付き、4月にフォーライフ・レコードから同曲でメジャーデビュー。売り上げ12万枚といわれるヒットとなった。
まんぞうは「当時、桑田佳祐さんがその背景を知りたがったと伝え聞きましたが、本当に何の仕掛けもなく、タモリさんが番組で毎週流してくださったおかげ。お金は一切使っていない」と証言。ちなみに、本人は岡山県出身だ。
その後も「埼玉オリンピック音頭」(81年)や「東京カントリーナイト」(87年)などシングル曲を出し続けるがヒットには至らず。88年秋にリリースした「津軽海峡冬元気」に至っては昭和天皇の病状悪化を背景に「元気」という言葉がNGとなって放送自粛に。「CMで井上陽水さんの『お元気ですか?』というセリフが流せなくなった時です。発売2か月、『元気』でダメになりました」と振り返る。
一方、タレントとしてプチ・ブレークもあった。「東京カントリーナイト」が使われた縁で、TBSの情報番組「そこが知りたい」内のコーナー「通勤線途中下車の旅」で首からラジカセをぶら下げた「歌う駅員さん」として出演。「テレビに定着していた時期が87年からバブルが終わる91年まで。4年間稼いだ金を全部パチンコと風俗で使い果たした」。バブル期の脚光は泡と消えた。
2年前には再浮上の気配もあった。2019年公開の映画「翔んで埼玉」の挿入歌として「なぜか埼玉」が3度も流れ、映画の大ヒットにあやかれるかと一部で期待されたものの、世の中は甘くない。「この映画のために作られた曲だと思っている人が圧倒的に多かったそうです」。世代的に元ネタを知らない観客が大半だった。
===== 後略 =====
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