【芸能】中森明菜「さみしい、かなしい」 寂しきファンクラブ会報 表舞台から姿消し4年… 妹の明穂さんは亡くなり、父とは音信不通★2 [jinjin★]
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中森明菜の寂しきファンクラブ会報…
何度も「元気」の2文字が綴られる意味深
〈ねぇみんなー楽しく笑っていられるのはどんな時?〉
表舞台から姿を消して4年、その動向を心配される中森明菜(56)がこのほどファンクラブへの会報でそうつづった。
明菜は独特の筆致でこう続けている。
〈さみしい、かなしい どうガンバッテもなるようにしかならない? ほんのわずかな喜びさへあれば緩和できるのでしょうが、そうもいかず! まずはっ心の元気! 心の元気が体も元気にしてくれますぅ!きっとォ!〉
近況報告もなければ、活動予定も、ない。
ただ、「元気」と何度も書いた肉筆からは、依然として体調がすぐれず、元気を出したいと願う明菜本人の思いが垣間見える。
ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。
「昔から明菜さんは完全主義者。ひとつでもファンに喜んでもらえないようなところがあれば、コンサートのステージに立つことも躊躇してしまう。そして、うまくいかない自分を悔やみ、ふさぎこんでしまうのです。今回の会報からも、まだ思うに任せない彼女の気持ちが感じられ、ファンの方は心配でしょうね。どう見たって、いままた後ろ向きな彼女の姿、復活にはほど遠い厳しい現在を連想してしまうでしょうから」
■父親とは26年も音信不通
円満だった家族関係も1995年に実母が亡くなると、一切の連絡を絶った。
ことしで88歳の実父、明男さんは東京都清瀬市の郊外で1人暮らしをしつつ、明菜への呼びかけを続けてきたが、最近は文春オンラインでこんなコメントも伝えられた。
「明菜が会いたくないのなら、もう会わなくてもいい。もういいです」
携帯も持っておらず、連絡の取りようがないのだそうで、26年の音信不通、断絶が諦めの境地へとなってしまったか。
「かつて明男さんに頼まれて、明菜さんのマンションまで、『連絡を下さい』というメッセージを届けたことがあります。しかし、それにも全く、なしのつぶてだったそうです。妹の明穂さんが2019年、52歳の若さで亡くなったときも、葬儀にも参列されなかったと聞いています。関係者の間でも、彼女の近況はおろか目撃談さえ聞こえてこないままなのです」(青山氏)
このファンクラブ会報は、唯一、明菜の生存確認ができるものだとしてファンの間では大事にされている。
花の82年組の筆頭格にして、いまや伝説的存在となっている中森明菜。
楽しく笑う、元気な姿をそれでもファンは心待ちにしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab403a3510309352d126e2e73509d1ab602f1e0
https://i.imgur.com/gY2kxVe.jpg
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【芸能】中森明菜「さみしい、かなしい」 寂しきファンクラブ会報 表舞台から姿を消し4年… 妹の明穂さんは亡くなり、父とは音信不通
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1637245877/ 中森明菜激白 雑誌「マルコポーロ」1995年1月号
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0207/users/c88f31e014b292da4b822890b032ec3c79da5d89/i-img1199x860-1625475105hqng8a15.jpg
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「家族へ愛想が尽きたこと」
家族のために17歳で働き始めた。
87年9月・「大明華ビル」開店
(1Fには、父親、長姉夫婦、次兄夫婦のそれぞれ経営する飲食店。2・3Fは賃貸居)
88年5月・父親のお店だけが営業する事態に。
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五年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何にも分かってくれなかった。
事務所のいうことは信じても、私を信じてはくれなかったんです。
家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。
たとえば恋愛なら、たかが・・・って自分に言い聞かせられるじゃないですか。
相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。
でも、血が繋がっていると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね。
昔、長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。
でも自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。
頑張らなんですよ。
その後も四年も五年も仕事しないし、何かちょっとやっても、すぐにやめちゃう。そんなのを見ていると、私が歌手になったのが間違ってたんじゃないのか、そう思えたりして・・・。
そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。
・・・(中略)・・。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。
会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。
私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。
近藤さんには対しては、騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした。だから、数ヶ月後に彼とはお別れしました。 ■マッチの語るあの事件の事
マッチがあの事件について語ったのは1990〜91年に週刊明星で連載された「もう一杯分話そうか」とうエッセーの中での事。
このエッセーは1992年に書籍化されている。
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m94706932533_1.jpg
事件があったのは僕の部屋だという事は間違いないし、その点は何を言われても仕方ない。
当時、彼女は精神的にも肉体的にも弱り切っていて、その頃頼れるのは僕しかなかっただろうと思う。
彼女があそこまで追い詰められてるっていうことは想像できなかった。
悩みを聞いたりしてはいたけど、仕事の悩みにしても僕が解決してあげられるような事じゃなく、聞き役に回ったりもしたが、やっぱりそんなに力にはなれなかったと思う。それが残念だった。
救急車を呼んだ時は、これでマスコミに騒がれるという事は冷静に判断できたけど、
マスコミうんぬんよりとにかく彼女の事が心配だった。
彼女の姿を見て、僕はこの子を白紙の状態、何事もなかったように元のままの状態に戻してあげなきゃと思った。
あの事件に関しては、非常に微妙な問題だから加害者も被害者もない。
ただ僕は彼女に元気な元の姿に戻って欲しいと思っただけ。
翌年の彼女の誕生日にお祝いに行ったのも、早く元気に活躍してほしいと思ったから。
ちょっとした言葉からどんどん話だけが膨らんでいっちゃうのは本当に怖い。
報道の恐ろしさは何度も味わってるけど、
事件の原因から経過まで、まるで見てきたみたいに言ったり書いたりするのにはあきれた。
僕自身、世間に誤解を受けるイメージが付いた部分も確かにあると思うが、日本中のひとりひとりに「実はこういう人間です」って話して歩けない。 週刊ポスト(2013.10.4号)「孤独の研究 中森明菜とその時代 (第9回)」
https://an-fun-site.at.webry.info/201910/article_6.html
元研音社長・花見赫 氏への取材
・純粋で、そして難しいコだった。
・激しさの裏側に、滑稽さと生真面目さが同居している。誰かがコントロールできるわけもない。それが唯一できたとすれば近藤君だけだったのかも。
元マネージャー名幸房則 氏への取材
・明菜とマッチの仲は双方の事務所公認だった。
・明菜には男性からのアプローチも少なくなかった。でも、明菜はマッチ以外の男性には目もくれなかった。生真面目なくらいにマッチだけを想い続けていた。
週刊ポスト(2013.10.11号)「孤独の研究 中森明菜とその時代 (第10回)」
https://an-fun-site.at.webry.info/202007/article_3.html
元研音社長・花見赫 氏への取材
「異常にとんがったアンテナを持っているの。異常なくらいに敏感な。そう、いろいろなものを感じてしまう。だからこそ、歌に感情移入できるし、そして人一倍、傷つきやすい」
「自殺騒動は初めてではなかった。それまでに二度ほど、明菜は自殺を図っていました」
「あるとき、デパートでメリーさんと明菜が偶然に出くわした。メリーさんは、声を掛けようと明菜に近づいたのですが、なんと、明菜は『フンッ』といった感じで顔をそむけ、そのまま立ち去ってしまったのです。二十歳そこそこの女の子が、還暦過ぎた業界の大物に対して悪態ついたわけですから、そりやあ、メリーさんも激怒しますわな」 明菜がマッチの教室に...フックンが明大中野の同級生アイドルの裏話を暴露! 2015年6月14日
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1186/
「週刊現代」(講談社)6月13日号に掲載された「マッチにヨッちゃん、少年隊に明菜もいた教室で」という記事。
布川はここで同級生だった歌手の中村あゆみといっしょに「明大中野高校」時代の同級生アイドルたちの大暴露大会を行ったのだ。
〜中略〜
話は次第にあの2人のことに言及していく。そう、当時人気絶頂だった布川の先輩・近藤真彦と、その恋人・中森明菜だ。しかもビックリするのが近藤と中森の学校でのこんな知られざるエピソードだ。
〈中村 でも、私は学校で明菜さんに会ったことがなかった。
布川 たまに来てたんだけど、実は(布川と同じクラスだった明菜は)1学年上のマッチさんと同じ教室で授業を受けていたんだよ。なんでそんなことが許されたのかわからないけど。二人がまだ付き合う前の話さ〉
学年が違う近藤と明菜が同じ教室で授業を受けていた!破局から25年以上が経つ現在でも、明菜のマッチ"愛"は健在ともいわれているが、これもやはり明菜が押し掛けていたのだろうか。なぜ学校は何も言わなかったのか。謎は深まるばかりだが、いずれにしても、明菜のマッチへの執着を物語る驚愕エピソードである。
明菜の過剰とも思えるマッチへの愛を物語るエピソードは、まだある。
〈中村 フックンは明菜さんと親しかったの?
布川 10代の頃、仕事の後によくみんなで食事をしていた。その中に明菜さんもいた。マッチ先輩との待ち合わせの合間に来ることもあったなあ。お店の電話で連絡を取りあっていた。
中村 携帯電話がない時代だもんね。
布川 ところが、マッチ先輩から仕事で遅れるという連絡が入ると、明菜は一気に落ち込んでしまう。トイレに閉じこもってしまったこともあった〉
恋人・マッチが遅れるというだけで、激しく落ち込みトイレに閉じこもってしまう。その後の自殺未遂騒動や精神不安定状態を予見するようなエピソードではないか。 残酷だが悲劇のヒロインとして歴史に残るのなら、まだ足りない不幸がある。
それは望まぬほうがよい。 明菜ちゃんは元の事務所やレコード会社やめてから
素人であまり誠実ではない人間に
マネージメント全般をまかせてしまい
それが人間が入れ替わっても似たようなのばっかりで
どうにもならない 芸能人はあらゆるところから念が送られてくるから仕方ないよ 最近もパチンコ台になっていたから収入はありそうだよな。元気になってほしい 56?もっと歳食ってるイメージだったわ。意外と若いのね >>31
いろんなのが近寄ってくるからなあ
明菜ちゃんがそっちを信頼しちゃうから仕方ないな 妹の葬儀にも行かないとかあるのか・・・
父親も会ってもらえないとか可哀そう この人のピークっていつだろ?
飾りじゃないのよ涙はの頃かな? >>3
売れたことで家族にたかられるのはしんどいな
つーか事務所がどうなんだこれ。最低やんけ この人は昔から薄幸だよね
もっと気楽に生きてほしい >>5
別にいいじゃない。
話してくれただけ嬉しい >>52
2年連続レコード大賞の時だと思う。
3年連続逃した辺りからおかしくなってきた。
凄い人なんだけどなあ・・・もったいない。 おまえら記憶にあるのは10代、20代の中森明菜でしょ。
もうその頃の中森明菜はいない。 >>53
家族にたかられてたけど母親だけは大事だったから我慢してたんだよね
でも母親が亡くなったから家族との連絡を絶った
救いがないのはいまだに父親が自分が悪いと分かってないとこだよなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています