【テレビ】フジ元祖「ひょうきん」アナの山村美智が語るたけし、さんま、島田紳助の思い出「スカートめくりの洗礼も」〈dot.〉 [湛然★]
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フジ元祖「ひょうきん」アナの山村美智が語るたけし、さんま、島田紳助の思い出「スカートめくりの洗礼も」〈dot.〉
10/30(土) 18:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8edb01b9cbab93a52fd31d118617c0bd5a5ad95?page=1
山村美智さん(撮影・上田耕司)
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211030-00000015-sasahi-000-6-view.jpg
女子アナブームの先駆けだった元フジテレビアナウンサーの山村美智さん(64)。バラエティ番組「オレたちひょうきん族」でMCとして抜擢されるや、持ち前の明るいキャラクターでたちまち人気を博した。1980年代前半のスタジオでは、芸人たちからの「スカートめくり」や「キスさせて」などの行為を続々受けるが、さらりとかわし、女子アナの地位を確立していった。同じ土曜日夜8時枠のTBS番組「8時だョ! 全員集合」との土八(どはち)戦争の舞台裏など思い出を山村さんが語った。
(※中略)
「全員集合」の裏番組としてスタートするが、「土八(どはち)戦争」と呼ばれるほどの両番組が視聴率戦争に火花を散らすようになる。
レギュラー化と同時に、山村さんは「ひょうきん族」の初代ひょうきんアナウンサーに起用された。
「ひょうきん族」のプロデューサーは横澤彪さん。出演者はビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、西川のりお、山田邦子の面々だった。
「ひょうきん族」はコント、ニュース、歌など多彩なジャンルを取り入れたバラエティを目指していた。歌の「ひょうきんベストテン」コーナの司会に島田紳助と山村さんが起用された。
台本はあったんですか?と尋ねた。
「台本はもうほとんどないですよね。構成があるくらい。私のコーナーはほとんどアドリブでした」
「全員集合」の笑いは、計画されたオチに向かっていく予定調和的なものだったが、それに対し、「ひょうきん族」はハプニングやアドリブ重視で対抗していった。
当時の山村さんは健康的でおてんばな感じ。芸人たちから突っ込まれ、それを跳ね返し、かわして司会進行していった。芸人たちもアドリブだから、スカートをめくられたり、キスをされたり、セクハラ的なこともあった。
「けっこう『スカートめくり』もされましたよ。だけど、後で謝られました。『さっきは悪かったな、大丈夫やった?』とか。セクハラ的なことはあるのだけれども、のちのちまで残っていった人たちは、必ず番組が終わった後で、気づかいがありました。彼らも仕事でやっている感じだと思います。そんなのは別に本当にめくりたくて、めくっているわけではないので。いかに番組を盛り上げようかってことなので、そういう意味ではプロですよね」
西川のりおらから「スカートめくり」されていた。山村さんの担当した「ひょうきんベストテン」のコーナーは島田紳助さんとの掛け合いが見どころだった。
「紳助さんは『ちゅーして』『ちゅーしていい?』って、隣でいつもいつも言っていたけれども、それは何というか愛情表現というか、別にセクハラしようと思っているわけではないので。必死にアナウンサーとして司会をする姿に、視聴者が共感してくれたんだと思います」
演者がどんなにふざけても、追いかけ回されても、アナウンサーである山村さんはしっかり笑顔でめげない女子アナとしての存在感を確立していった。
山村さんのキャラクターが受けたこともあり、「ひょうきん族」にとっては欠かせない存在になっていく。
「ひょうきん族」がレギュラー化した第1回の放送の視聴率は13・4%、それに対して「全員集合」は29・7%と圧倒的に水を開けられていたが、1983年に入ると、「ひょうきん族」と「全員集合」の視聴率が拮抗。ついに、83年9月18日の放送で、「ひょうきん族」が「全員集合」に視聴率で抜いたのだった。そして、84年以降は「ひょうきん族」が勝つことが多くなる。
視聴率が上昇すると、山村さんが担当していた「ひょうきんベストテン」のコーナーも変わって行く。初期の頃は芸人が本物の歌手に扮してパロディーで歌っていたが、だんだんと本物の歌手が登場するようになっていった。
山村さんも、全国からファンレターが届いたり、街を歩いていても、指を差されるようになった。いつの間にか、アイドル的な扱いになった。 (※中略)
83年2月、キャニオン・レコードからシングルレコード「ビー・スマイリング」を発売した。
「当時はまだCDがなかったから、EPレコードでした」 と山村さん。
「ひょうきんベストテン」はリクエストハガキに基づき、10位から順に発表していったが、「ビー・スマイリング」が1位に輝いたことがある。
1位になった放送では、山村さんが自分で「おめでとうございまーす」とはしゃぐと、紳助は「なんやねん、こら、経費節約か、おまえ。しらじらしいやないけ。 ヨーロッパ行って1週間休んで帰って来たと思ったらいきなり1位」と突っ込みを入れる。
山村さんは「いえ、これはですね、ファンのみなさまのリクエストの数がホントに今だに多いんです」と返す。紳助は「何がリクエストハガキや。(山村さんの出身の)三重県の組織票やないか、まあええから、歌てきや」と紹介し、山村さんが美声で歌ったのだった。
「芳村真理さん司会の『夜のヒットスタジオ』にも出演して、歌ったこともあるんですよ」
それでも、社内ではお茶くみもやったという。
「もうずーっと。入社2年目の頃、新人女子アナが入社しなかった。入社3年目には、新人女子アナが入社したけど、朝のニュース番組担当で、午前中に帰っちゃった。
結局、アナウンス室に残っている一番下っぱは私だったので、お茶くみしてました。湯飲み洗いもしていたので、手が荒れて皮膚炎になって、病院へ行ったこともあります」
お茶は誰にいれていたんですか? と伺った。
「アナウンス部の上司だった露木茂さんはアメリカンコーヒー、逸見政孝さんは玄米茶と決まっていました。ニュースから戻って来ると入れてましたね」
逸見さんは「夕やけニャンニャン」(1985年〜)に出演していた頃、女子高生らの話題にのぼり、40歳頃からブレイクした。
「逸見さんはほんとにいい方でした。後輩をいじめることもなく、お互いをリスペクトしていたんだけど、『山村くん、玄米茶入れてくれる?』みたいな感じ。ファンレターが来ると、逸見さんは必ずといっていいくらいお返事を書いていました」 「ひょうきん族」では、ビートたけしが「タケちゃんまん」「コマネチ」、明石家さんまが「アホちゃいまんねん、パーでんねん」などのギャグで人気だった。85年に入ると、視聴率で劣勢となった「全員集合」が9月28日放送で終了。
ただ、その頃は、女子アナの扱い方は確立されていなかった。
「『ひょうきん族』に出演しながら、選挙特番などのニュースもかけもち。午前2時から3時くらいまで、ドラマの撮影をしていたこともあります」
時には、女子アナとして危険にさられることもあった。
「当時はマネージャーのいないアイドル歌手みたいで、会社も守ってくれなかった。取材の電話が突然、アナウンス室にかかって来るんですよ。『取材したいから』と言われて行ってみたら、その記者はただ、私に会いたいだけだった。
また別の時には、何という雑誌かは忘れちゃったけど、何も答えてないのに、発売された雑誌を見たら、私のパンツの色がナントカカントカと書かれてました」
山村さんは84年5月26日、フジテレビの同僚でプロデューサーの宅間秋史 (たくま・あきふみ) さんと結婚。翌85年にフジテレビを退社した。
「もう、ヘトヘトだったし、会社を辞めようと思った。会社を辞めたいと思ったから、『ひょうきん族』を辞めました。ひょうきんアナを3年半というのは結構長いですよね。
何もかもやらせていただいて嬉しい反面、当時の私はもうアップ、アップ。全てをやり尽くした達成感もありました。退社した後は自分の好きな芝居の方をやろうかなと思っていた」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(AERAdot.編集部 上田耕司) この時期なるほど!ザ・ワールドのアナが孫悟空のコスプレで如意棒を頭に当ててたな ひょうきんベストテンの台本を渡された鶴太郎が自分の出番のページをめくったら、
「マッチ大あばれ。歌いながらセットを壊しまくり、最後に死ぬ」
とだけ書かれてて困惑したらしい 西川のりおに指で浣腸されて本当に肛門に指入ってしまったの寺田さんだったっけ 生のニュース読みで笑いが止まらずにクビになった、あの動画はあまり見かけないね
あといいともで有吉佐和子が電波ジャックしたのとか ブル中野さんのユーチューブで、あの吉田豪さんと対談⁉ >>1
> 「のちのちまで残っていった人たちは、必ず番組が終わった後で、気づかいがありました。
のりお
紳助
消えとるやないかい! このようにセクハラをあしらえる女性がいるお陰で
他のナイーブな女性にも、セクハラしてしまう勘違いが現れるんだな あれか40年にもなるのか
まだ頑張ってるさんまさん凄いなぁ 宝島社が煽ってたんだよな
サブカルと結びつけて
全員集合が普通の趣味 紳助がちんこを彼女の頭にちょんまげとして乗せたのは爆笑した想い出 ベストテンちょっと見て全員集合の最初のコント見て、タケちゃんマン見て、そのまま全員集合 >>18
それはスーパージョッキーでの松坂大輔の嫁
番組ルールより会社の内規を優先して今でも叩かれている >>28
会社のルールを守るのは当たり前だけどな。
薮本は何故か水着になって入ってたけど。 あの頃の上昇感、高揚感は凄かった
もう戻ってこない( ; ; ) この時代の女性はセクハラ、パワハラされまくったんだろうな
紳助とか絡んでると、ついそう思っちゃう >>1
>芸人たちもアドリブだから、スカートをめくられたり、キスをされたり、セクハラ的なこともあった
彼らも仕事でやっている感じだと思います。そんなのは別に本当にめくりたくて、めくっているわけではないので。
いかに番組を盛り上げようかってことなので、そういう意味ではプロですよね
テレビ芸人は一生懸命番組を盛り上げるためセクハラパワハラを仕事でやってるプロとか、テレビ芸人による外道行為を正当化と、もうテレビ電波は停波にした方が良いだろ。 西山喜久恵もオレたちひょうきん族に出てなかったかな
豪快でもどこかしら品のある笑い声やったわ 関係性で言えば仕事の発注元の大手取引先の受付か秘書に相当する看板社員にすらセクハラしまくりでつまみ食いの標的にしてたって事だろ?
こんな立場の女性でもあわよくば…でやってるんだから、
立場が下の女性タレント相手には逆に何もしてません適度な関係性保ってましたとか言っても説得力ゼロだな… すぶたんのハイシーBメイトのCMのお局アナウンサーみたいな人か 1980~1990年代の女子アナってド派手だったなあ。
今の女子アナはニュース読む時にスーツ着てないけど昔の女子アナは高そうなスーツ着てたよね >>7
ワシの世代はひょうきんて言えば益田アナやったね。 長野智子なんて、後ろから乳揉みまくられたからな
セクハラなんてもんじゃない >>1
ニュースの報道中に吹き出した上に、悪乗りして降ろされたのはこの人? >>51
長野は就任初回から武闘派だった
挨拶がわりに急襲してきた西川のりおにガチの金的を食らわせ返り討ちにした >>25
>紳助がちんこを彼女の頭にちょんまげとして乗せたのは爆笑した想い出
これ聞いたことある
映像残ってないのかな >>56
ひょうきん族の時代はウォッシュレットが出始めた時期だけど、どこにでも設置してるわけではなかったからな
日本人の98%は尻洗ったことなかったと思う 夜のニュース中に笑うのが止まらなくて辞めちゃったんだっけ >>57
痔も多かった
>>50
2時間ドラマや昼の帯ドラマにもよく出ていた 女優業もしてドラマにもちょいちょい出てたよね。歳とってからは薄幸な脇役が多かったイメージ。 実際めくられて悲鳴と共に白いパンツ丸見えになったシーン。食卓にオカンと小6の妹いたけど速攻トイレに駆け込んで狂ったように抜いたわ。
終わって洗面所で手を洗っているとき、横に妹のパンツが干してあるのがふと目に付いたので、それを手に取って最後もう一回抜いた。柔軟剤のいい匂いがした。
山村美智子を見ると、今でも柔軟剤の匂いを感じる。 上田晋也
「本番中に失礼なことを言いました。で、本番終わった後に、『さっきは失礼なことを言いまして、申し訳ございませんでした』って謝りに来る後輩いるだろ? ああいう後輩が一番嫌いなの。俺、そういう後輩は許せないのよ」と明かした。
その理由を「ずるいと思うんだよ。『お前さ、(謝ることで)常識的な良いやつっていう評価までもらおうとするのかい』って思うわけ。先輩をいじって笑いをとるっていうのは、『こいつ失礼なやつだ』って思われてもいいという覚悟をせんかいって、俺は思う」と説明した 昔のセクハラは、いいセクハラみたいだねw
> そんなのは別に本当にめくりたくて、めくっているわけではないので。いかに番組を盛り上げようかってことなので、そういう意味ではプロですよね」
少なくとも三村には当てはまらなさそう >>61
キモいなお前
いい歳した爺が日曜の昼間からこんなこと書いてるって
お前生きてて惨めにならないか テレビがこんなノリだったせいか
学校でもスカートめくりとか、いきなりチューとかスケベな言動全然OKだったな
80年代は風紀も倫理観も滅茶苦茶だったわ ひょうきん族の功労者はあくまでたけしで、さんまや紳助は添え物に過ぎない
セクハラしてたのは主によしもとの芸人だろうが、そいつらが我が物で調子に乗り始めてからつまらなくなった
現にたけしがフライデー襲撃事件で謹慎処分を受けてからは惨憺たる有様
それから間もなく、TBSで『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まってからは視聴率が激減してやがて終了に追い込まれた
奇しくも、自分たちが終了させたドリフのメンバーの番組に引導を渡されたわけ >>64
早速日曜の昼間から一人釣れたし満足だよ。
お前さん、世間様の都合に都度都度お伺い立てているうちに自分の心の内側が見えなくなってしまうような人生が、そんなに楽しいかい? くるみみるくは紳助に頭押さえつけられてチンコを顔に押し当てられた
そういうセクハラを「洗礼」とかって言葉で誤魔化して
フジテレビも吉本興業も腐った組織になりはてた >>71
非常に興味深いのは、キモいという言葉を連呼している事だ。
キモいとは一体なんだい? お前さんのお気持ちの表明? それって何か価値があるの教えて? >>37
ひょうきん族やってた頃まだ入社してなかったはず
多分寺田理恵子と勘違いしてるのでは 歴代ひょうきんアナで一番出世したのは長野智子でいいのかね? 山村アナは女優に転身して
当時思いっきりバラエティキャラだった
長野智子はジャーナリスト方向に行ったな 当時のVTR見るとかなりキツイよな
まだドリフのほうが今でも見られる 空で覚えているのはマンダムと日本香堂
ギャッツビーと毎日香と森田公一が歌う青雲 >>43
90年代くらいまでは女子アナの衣装は全部自前。
給与は高給取りとはいえ他の社員と変わらなかったから、
日テレの木村優子なんかは志願して残業で稼げる報道に異動になってた。 初期のメインコーナーはタケちゃんマンとひょうきんベスト10だよね
最初の頃のオープニングタイトルにもたけしと紳助が2人で出てた >>77
当時のパロディが多いからなぁ。
今みても分からん。 ニュースキャスターに抜擢されるも、伊豆大島・三原山噴火のニュースで
「こんな島に住まなければいいのに」と暴言を吐いたとして、
降板させられたんだよね。
でも実際の発言は、
「『こんな島に住まなければいいのに』と言う人もいますが、住民の方にとっては
大切な故郷ですから」。
それを一部だけ切り取って拡散された。いつの時代も、やってる事は変わらんね。
もっとも、その前にはスタッフがクシャミをしたのに笑いが止まらなくなって、
ニュースが読めなくなるという失態を犯しているので、
それも大きかったのかも知れないが。 ひょうきん族で一番好きなコーナーはベストテンだったわ >>73
色々書いてるけど、理性を失ってる時点で立派な変態だよ
書いてること家族に言えるのかい? >>31
バブルへ向かっていく時代の空気感ともリンクしてたね ひょうきん族で一番好きなコーナーはベストテン〆ののりおとおさむちゃんの悪ふざけだったわ ひょうきんアナっていわれるのは益田由美しか知らぬかった >>89
随分遅くにレスがついたようだが。
89のお前さん、時と場所はわきまえるもんだよ。
タイトルに「スカートめくりの洗礼も」ってわざわざ書いてあるスレにノコノコ入ってきた事実を、お前さんは家族に言うのかい? この人何でアナになれたんだろう
可愛さゼロだから、バラエティにはハマってたけど 寺田理恵子もメチャクチャやられてた
後のとんねるず時代とはまったく別物のやられ方 セクハラはオス猫のマーキングみたいなもんよ
芸人はガマン汁を全世間に公開してお金を得ていたんですよ >>77
別に面白くないものを「これが面白いんだ」みたいなブームで笑わせてたものは、時代が変わるとツライ
とんねるずやナイナイ、はねるもこの路線だと思う
結論︰リアクション芸が最強 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています