【音楽】LOUDNESSの高崎晃が語る、80年代メタル全盛期と世界進出 [フォーエバー★]
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LOUDNESSのギタリスト、高崎晃(Photo by Yulia Shur)
40周年イヤーのLOUDNESS。2021年の最後を飾るEX THEATER ROPPONGIでの二夜連続ライブ<Ampan Night><Dragon Night>も発表され、コロナ禍を経ていよいよ彼らが本格的に動き出す!というわけで、ここでは以前Rolling Stone Japanに掲載した高崎晃(Gt)のインタビューをお届けする。
【画像を見る】1985年5月、全米ツアー中のシカゴでのLOUDNESS
16歳でLAZYのギタリストとしてプロデビュー。1981年結成のLOUDNESSでは、日本でヘヴィメタルという音楽を牽引しただけでなく、アメリカのメジャー・レーベルのアトランティックと契約して、海外進出も果たし、アルバム『THUNDER IN THE EAST』を全米74位、『LIGHTNING STRIKES』を全米64位にチャートインさせ、モトリー・クルーとともに全米ツアーを回り、日本人として初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ち、AC/DCとツアーしたり、自らのツアーのオープニングにポイズン、シンデレラを起用したりするなど、全米、ヨーロッパを股にかけてのワールドワイドな活動をしてきた。2010年代以降も海外からのラブコールが絶えず、再び海外でのツアー、フェス出演を活発化してきたLOUDNESS。ヘヴィメタルの黎明期も、80年代の全世界的なメタル全盛時代も、今の海外のシーンもすべて見てきた高崎晃に、ヘヴィメタルについて語っていただいた。
ー高崎さんのロックの入り口は何でしたか?
高崎 小学校6年の時に聴いたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム、ディープ・パープルの『MACHINE HEAD』。あと、クリームがちょうど解散した後で、ライブ・アルバムを出したんです。そのぐらいがロックの入り口かな。俺には姉と兄が5つ、7つ上でいて。小学校高学年の時からそういう音楽が普通に家の中で流れてる環境で育ったから、ちょっと早かったんですよ。当時は来日ラッシュで、レッド・ツェッペリンも2回来たし、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、シカゴとか、いろんな外タレが来てて。うちの兄弟はほとんどのライブに行ってたので、家にはコンサートのパンフレットもあったんです。
ー日本の音楽も聴いていました?
高崎 最初は吉田拓郎さんが好きで。それからチューリップとかに行って。中学生の時はバンドでキャロルとか好きで演奏してましたよ。
ーギターのある音楽が好きだったんですね。
高崎 まずエリック・クラプトンを好きになって、そこからディープ・パープルのリッチー・ブラックモアになって、ジミー・ペイジですね。一番スタンダードな流れですよ(笑)。
ーヘヴィメタルを意識したのはどこからですか?
高崎 ヘヴィメタルというと、81年ぐらいからの、いわゆるアイアン・メイデン、デフ・レパード、サクソンとか、そういうイギリスから出てきた俺らと同世代のアーティストたちで、いわゆるメタルの中でもニューウェイブな感じになりますよね。
ーNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)ですね。
高崎 伊藤政則さんがよう言うてましたよね。LAZYの最後の頃、80年12月に出した『宇宙船地球号』で、LAZYも「ヘヴィメタル宣言」という風にやって、自分たちで曲も作り出して、歌詞の世界はまだアイドルから脱却できてない感じはあったと思うんだけど、サウンドはだいぶハードで、自分らの理想としてたものにだいぶ近づくことができたんです。けど、ヘヴィメタルやるぞと言ってから3カ月ぐらいで、LAZYは解散しちゃったんですよね。ただ、解散して数カ月後にはもうLOUDNESSを立ち上げてて。ちょうど世界的にも、イギリスからもアメリカからも、俺らと同世代のアーティストがたくさん育ってきてたんですよね。たぶん俺らと同じで、ツェッペリンやディープ・パープルを聴いてきた連中らが、20歳ぐらいになって出てきてたんやと思うんですよ。それが後にアメリカではLAメタルになっていったりするんです。だから、ヘヴィメタルっていうワードで展開していったのは、80年代になってからじゃないのかな。
10/17(日) 10:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7eeb7e4a1cb59f8b481c57f2b945792b3cf1be0?page=1
https://i.imgur.com/TaSJqgx.jpg 赤いバンダナはアメリカではヤバいって二井原の本で知った LONELY PLAYER
ANGEL DUST
WE COULD BE TOGETHER
SHADOWS OF WAR
DANGER OF LOVE
がすこ(´・ω・`) ちゃら〜へっちゃら〜
ってレイジーの人だったんだなw シャドウズオブウォーまでは
本当に熱心に聞いてた
この歳でも超絶プレーやってるのが凄い
普通めんどくさくて手数減る レイジーはよくドリームランドに来てたな
見に行けばよかった メタル界隈のメンツの変わらなさは、共産党並みだなw。50過ぎのオレが、高校大学時代に聴いてた時と変わらん。 ブリティッシュ系がルーツなのか
てっきりエドワードバンヘイレンかと思ってた ピンクレディー 松田聖子 宇多田ヒカルなど、妙な資金を持ち込んで全米進出を謀るも、瞬時に討ち死に。
全米チャートで、初の米国籍以外の1位の坂本九さんは別格として、徒手空拳で実力だけで日本では不人気の、ヘビメタでアメリカでチャート最高20位。 だから、30年以上経過してもアメリカのプロモーターから、引き合いがある凄いバンド。 コロナのせいで、短期就労ビサが薄給されないのが、とても残念。 80年代はメタルに限らずいい音楽いっぱいの時代だったなあ 結局、世界的に愛される音楽になったのは
影山ヒロノブの方だよねw 関西メタルシーンってのがあったな。ラウドが筆頭で、シェイカー、マグナム、マリノ、ラジャスとか。
関東勢が追従というか対抗で、アンセム、ブリザードとか。雑誌のロッキンfなんかはこういうバンドで
埋め尽くされてたなw なつい。。 ほとんど既出の話だな
ソロを録るときに何も考えないで一回感じるままに弾いてみればみたいなことをポンと言われた云々は
SOLDIER OF FORTUNEのレコーディングの時じゃないかたしか 小4くらいの時に友達の姉ちゃん(7つ上)がレイジーの大ファンだったんだがラウドネスになってからは全く聴かなくなった
んでレイジーってw とか言ってた俺らはラウドネスを聴くようになって
あの姉ちゃんはなんでレイジー好きだったんだろ。ルックスそんなんでもなかったろ ラウドネスに影響受けた海外バンドなんて皆無だろうけど
影山ヒロノブのドラゴンボールに影響受けたバンドは多いだろうね
このバンドもそのひとつ
https://youtu.be/PTVgUrRNM7E レイジーのアイドル路線があったせいでハードロックファンには寄り付きにくかった ジャパメタは80年代半ばくらいまでだな
ボンジョビがスリッペリーで大ブレイクする頃に向こうのシーンについていけなくなった気がする >>27
かっぺのドルヲタやアニヲタが音楽語ってないでチーギューでも食ってロッテ アメリカ進出はヘアメタル方面じゃなく
スラッシュ方面に進んで欲しかった >>30
ボーカルが教師になる夢を諦めたくないって 80年代…メタルという音楽が一番カネになった、メタラーにとっては一番幸せな時期だったな。 >>37
今、世界の音楽のルーツは
日本のアニソン、ゲームミュージックだったりするわけですよ
欧米の猿真似してても
他へ影響を与えるようなオリジナルの音楽は作れない
日本の欧米猿真似コピーバンドたちは
それを心に留めるべきです >>44
お前のくだらない価値観をこんなところで披露しないで良いんだよ。キモいわ マイク・ヴェセーラの頃の路線で英語が完璧なヴォーカルとドラムがもう少し強かったらもっと上に行けた
樋口さんの人柄は好きだったけワンバスにこだわりすぎてリズムが単調でタッカンのギターに負けてたから 92年の山田雅樹が加入した「ラウドネス」は好き。80年代メタルを充分消化(昇華)して
さらにヘヴィな音に寄せた。横尾忠則のジャケットワークもなかなか様式的でひとつの世界を作ってる。 >>48
それは思わない
樋口さんのドラムがカッコ良かった
ツーバスに拘る必要ないし いくら服装を決めても、顔が東洋人だと冷めちゃうよね >>18
ピンクレディーは日本で流布されてるより意外と売れていて(1979年のBillboard Hot 100で37位)、当時のアメリカ人は覚えている(向こうでやっていた番組のDVDもUS盤のみ販売されたり)。
後、LOUDNESSはコロナ関係なく2017年に商業公演するにも関わらずビジネスビザじゃなく観光ビザで入国しようとした件でアメリカには出禁状態(解除時期不明)なんで。 80年にはSlayerすらデビューしてなかったもんね メタルという分野がまったく完成されていない >>18
一時期パフィーが人気あるような噂があったけど
どうだったんだろ? マサキとタイジがいた時のヘヴィな路線をもっとやって欲しかったなー こういう話を聞くとレイジーなんかやらせちゃいかんだろとは思う
ZEPやりたいのにBCRだもんなw アメリカ進出・成功とか
日本でカッコつけるために
言ってるだけだろうな
ラウドネスなんて実際
誰も知らないだろ、向こうでは >>36
その頃から殆どのヘアメタ連中はブルースだのブルージーだなどと言い出して数年後にグランジに駆逐された NWOBHMをニューウェーブオブ…って読むのが面倒臭くて
いっつも「ニュウオブーン」とかに脳内で略して読んでるわ >>27
まだ無名時代のイングヴェイマルムスティーンは
アメリカツアーしてたラウドネスの楽屋に来て高崎晃にサインをねだった
豆なこれ 自ら乗り込んで格闘した歴史自体は認めるけど、外人コンプレックスありすぎ&ミーハーで主体性無くて今でも音楽性がブレブレなのが糞ダサい ボーカルボロクソ言われてるけど
何で??
発音悪いから? >>71
まあ30年以上経って
日本人で一番海外で認められてるのは
山下達郎だからね
シティポップブーム凄い タッカンのスタイルというと昔ながらのリッチーやゲイリー、シェンカー、エディらの
いいとこ取りみたいな印象で止まってるな。ヴァイやペトルーシあたりが出てきてもう追いつかなくなった感じだ。 >>72
10年くらい前にライブで見た二井原すごかったよ
声量にビビった 氣がどうこう言い出した時期があったけどまだ言ってる? ラウドネスのアメリカ進出アルバム
サンダー・イン・ザ・イーストは思いっきり旭日旗ジャケなのだが、あの五月蝿い輩からは特にクレーム来てないよね
知らないだけか
でもこのまま押し通してほしい
てかクレイジーナイツのCityの発音はシティじゃなく歌っぽく、スィレーみたく発音した方がかっこいいとか、ホームステイしたときファミリーのメタル好き兄ちゃんが言ってたっけ
確かに他のアーティストもスィレーって発音してるんだよね みんなD.T.Rってバンドしらない?
実家に置いてたアルバムも処分されちゃってサブスクにもでてこないし困ってる このアルバムの頃は旭日旗は何も問題無かったな。韓国人は死ねよ。 コイツ、マイケルシェンカーに自分が作った曲のタイトルつけてくれってしつこく何度もおねがいして
何度も断られてた奴だろ、それしか記憶にない >>18
ラウドネスは2017年に米国のフェス出演しようとして観光ビザだったので
入国拒否されたから就労ビザ降りるのかねぇ?
あとベビメタはWiki見たらUS13位。 二井原のボーカルじゃないとLOUDNESSって感じがしない
撃剣霊化で初めてLOUDNESSを知った時
一番衝撃だったのは二井原のボーカル 二井原ってなんでここまで叩かれてるのかよくわかんねーんだよな
最初からあれがラウドネスのボーカルだと思って聴いてたから何の違和感もない
アースシェイカーのマーシーがラウドネスのボーカルだったと考えると二井原以外考えられんとなる >>27
若き日のポールギルバートがラウドネスの曲を弾いてる
動画がツベにある 何で二井原クビにしなきゃいけなかったんだろ後継の外人ボーカルが良かったわけでもないし
山田の時はアクが強すぎて迷走のはてにインドに墜落したという
しかしその後によくオリメン再結集してやれたよ
樋口亡くなるまでのその期間は率直に凄いと思う >>88
日本のファンはみんな二井原好きだよ
ラウドネスのメンバーが米国でうけないのは二井原のせいって結論づけたから二井原が可愛そうな扱いになったんよ ロックフジヤマのアーカイブでポールがレーサーXの曲でラウドネスをパクったと話してる メタルって教養のない馬鹿が好む音楽らしいな
アメリカでは
ハーレー乗って
トランプ支持で
プロレスが八百長だって信じない人が
聞く音楽らしいw >>90
当時の海外のプロデューサーやレコード会社から二井原の英語の発音が悪くて通用しないと言われた
どうしても海外成功したかった高崎は電話一本でいきなりクビにした ギター買ったら必ずコピーしようとするクレイジードクター(´・ω・`) >>96
日本語で歌ったベビメタが全米13位だからな
英語で歌わなくても曲が良ければ売れるんだよ
それに気付くまで何十年もかかってしまった >>95
けっこう
そういう傾向はあるな
有名どころのバンドはほとんど大統領選挙で
ファンに共和党に入れろって表明する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています