桐谷さんが『夜ふかし』に初出演したのは2012年ごろだが、その少し前からテレビ出演をしていた。きっかけを作ったのは、投資家の深田萌絵さん。
「彼女が毎日放送の『カンニング竹山の銭ナール』に出演していて、そこに出てくれないかと言われたんです。
まぁ、しぶしぶ出演したのですが、竹山さんは私をすごく褒めてくれました。“私の事務所に入らないか? 桐谷さんは有名になれるから”とも言ってくれて」

次にオファーが来たのは、『笑っていいとも!』。これも3か月ほどは出演を断っていたという。
「番組を見てみると、出演者がみんな笑ったり、踊ったりしてるんですよ。私には絶対無理だなと思っていました」
だが、懇願されると断りきれない桐谷さん。結局、『いいとも』の出演も決めてしまう。
「事前に履歴書を書かされたんですけど、そこに株式投資を始めたこととか大失恋のこととかを記入したんです。
それで生放送のスタジオに行くと、ナレーションがいきなり“失恋をきっかけに株式投資を始めた”とか言い出して……。
そこに、千原ジュニアという人がいてね、“失恋相手はどんな人でしたか”って聞いてくるんですよ。
“年上で水商売の人です”と答えたら会場にドッと笑いが起きて。そしたら、その千原ジュニアが女性の話ばっかり聞いてくるんですよ。
本当はVTRも作っていてクイズを用意していて、爆笑問題さんとかに質問する予定でした。
でも、この千原ジュニアのせいで女性の話ばっかりになっちゃったんですよ」

「『いいとも』を見ていた『夜ふかし』のスタッフから出てほしいと連絡が来ました。」
だが、最初からモメていたという。
「ギャラがいくらなのかを確認しないまま、何度もスタッフと打ち合わせを重ねました。
そしたら、撮影前日に日テレの経理から電話があり、“明日のギャラは1万円だ”と言うんです。
終日撮影で1万円なんて冗談じゃないと言うと、では2万円にしますと言われて」

金額的に納得していなかった桐谷さんは“明日来ても帰ってもらいますから!”と伝えたという。すると翌日に、
「チャイムが鳴って玄関に行くと、菓子折りと現金10万円を持ったスタッフがいて“これでお願いします〜”と深々と頭を下げるんです。1万円が10万円になったら、ヤル気が出ましたね」

彼の独特なキャラクターと、60代とは思えない猛スピードで自転車をこぐ姿が話題に。『夜ふかし』はこんなことを言い出してきたという。
「“今後は他番組への出演はすべて禁止”と言われました。さらには、雑誌の取材を受けても“私と自転車が一緒に映った写真はダメ”とか。私の書籍が回収騒ぎになるほど、厳しかったんです」

すっかり人気者となった桐谷さんに、日本将棋連盟から“桐谷さんのうちわを作りたい”という依頼も来たが、
「せっかく言ってくれたけど、私と自転車が映っている写真が使えないとなると売れないから止めようと。
そうしたら連盟の役員が“顔写真だけでもいいから作らせてほしい”と言ってきたんです。その心意気に感動して、『夜ふかし』とは絶交しようと。これが絶交1回目ですね」
すると、喫茶店で『夜ふかし』との話し合いが行われ、日本将棋連盟のイベントを『夜ふかし』で放送するということで手打ちに。

だが、それでも規制は緩まなかった。
「講演会なら自転車に乗ってもいいですよねと聞くと、すぐにダメだと返事が来ました。これでまた絶交しちゃいました」
再び、喫茶店で話し合いが行われた。
「なぜ、そこまで規制されなければならないのかと聞くと、“メディアに消費されてしまう。桐谷さんには息の長い芸能人になってほしい”なんて言うんですよ。
私は当時すでに63歳 別にずっと芸能界にいるつもりはないと伝えると、“まぁまぁ”と諭されましたけど」
例の自転車で颯爽と走るシーンにも不満がポロリ。
「スタッフらはロケバスに乗っていて、私は必死で自転車こいでるんです。
それで、“ハイ、立ちこぎして!”とか指示を出してくる。彼らはバスの中でサンドイッチを食べてくつろいだりして、みんな遊んでるだけなんですよ!」

「ニューヨークロケを提案されて、私も忙しいので“拘束4日間ならOK”と言ったのに、いざスケジュールが来たら8日間になっていた。
私が怒って“もうヤメだ、スタッフが遊びたいだけでしょ!”と伝えると、“ハイ、そのとおりです”と開き直って……。
それで話し合いになって、“ロケ日数は7日間”“好きな食べものをおごる”という条件を出されました。
なので、リーマンショック以降、お金がなくて何年も行けなかった『かに道楽』でカニをごちそうになりました。ニューヨークも行ってみたら、楽しかったんですけどね」

いちばんの大ゲンカとなったのが引っ越しだ。