0001Egg ★
2021/10/09(土) 12:07:15.25ID:CAP_USER9スペインの「ラ・リーガ」だ。何人もの日本人がはね返されてきた地では現在、久保建英(20)=マジョルカ=らが挑戦を続ける。「日本の至宝」が鬼門で輝く鍵は何か。スペインでプレーした元日本代表FWの言葉からヒントを探った。
◇あの中村俊輔も、苦戦続きなワケ
スペインで歴史を切り開いた日本人は1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)日本代表の城彰二だ。00年1月、バリャドリードで1部での日本人初出場を果たし、翌月に初ゴールを挙げた。だが、出場15試合で得点は2。挑戦はわずか半年で終わった。
その後も西沢明訓や大久保嘉人、清武弘嗣らがスペインへ渡ったが、継続して結果を出せなかった。スコットランド・セルティックで国内リーグ3連覇を果たし、09年にエスパニョールへ移籍した中村俊輔も、故障もあって約7カ月で退団。日本を代表する攻撃的な選手たちに立ちはだかる壁は高く、「成功例」はエイバルなどで6季プレーし、リーグ通算166試合で16得点を挙げた乾貴士くらいだろう。
こうした中、スペインで3季目を迎えたのが久保建だ。10歳から3年半、強豪バルセロナの育成組織で過ごし、18歳で初ゴールをマークするなど早くから存在感を発揮している。現在は膝の故障で戦線離脱しているが、復帰後のプレーからは目が離せそうにない。
◇元日本代表FWが痛感した言葉の壁
なぜ、スペインで日本選手は輝けないのか。元日本代表FWのハーフナー・マイク(34)=東海社会人リーグ2部・FCボンボネーラ=も壁に当たった一人だ。オランダ1部では通算51ゴールをマークした長身ストライカーが、スペインでのプレーをこう振り返る。
「対戦したことないレベルでした。普通なら勝てるシンプルなロングボールの競り合いでも、3回連続でやられて、『あーどうしよう』と」
14年8月。42年ぶりに1部に昇格したコルドバに加入したハーフナーは開幕戦の先発に名を連ねた。デビュー戦の相手は名門レアル・マドリードで、スペイン代表DFセルヒオラモスと相対した。「お互い人間。通用するところも絶対ある」と思っていたが、「実力的に完璧に違いました」。世界のスターが集う憧れの地は、予想以上にハイレベルだった。
「日本人はヨーロッパでも技術は1個上だと思います。でも、スペインはさらに上。イニエスタ選手(神戸)を見たらわかりますよね? 体は大きくなくても、相手に触れられる前にテクニックでカバーする。無名でも『こんなにうまいのか』という選手は多くいました」
これこそが、ファンや選手を引きつける理由である。「ポゼッションサッカーが魅力です。ボールを回し、徹底的に相手を崩して何もできなくする。見ている方も気持ちいい」。そんなサッカーに魅せられ、ハーフナーは27歳で夢だったスペイン挑戦を決断。オランダ・フィテッセで2年連続2桁得点を挙げ、自信を深めていた時だった。
ところが、半年間で挑戦は終わりを告げた。英語とオランダ語を話せるため、通訳なしで乗り込んだが「みんな英語をしゃべらないんです。自分の国の言葉にプライドを持っているというか……」。コミュニケーションだけでなく、戦術面でもフィットしなかった。チームは自陣深くでブロックを敷き、カウンターを狙うスタイル。「『1人で勝負してシュートまでいけ』という感じで、孤立することも多かったですね」。持ち味のパワーや高さを生かし切れぬまま、出場5試合で退団した。
ハーフナーのケースは、多くの日本選手が力を発揮できなかった点と重なる。ほとんどの日本選手は下位クラブに所属してきた。守備に重点が置かれ、カウンターが戦術の軸となる。1人で局面を打開する能力が求められ、ハーフナーは「仕掛けてシュートまでいくことを意識していれば、変わったかもしれません」と語る。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3511790caae643040576fc868ffa7597f99f9997
写真
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211009-00000007-mai-000-1-view.jpg?w=552&h=640&q=90&exp=10800&pri=l