ジャンボ鶴田、アントニオ猪木、三沢光晴、ゴタツ プロレス史に残る「バックドロップ」の名手たち★2 [牛丼★]
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バックドロップはプロレスを代表する投げ技。多くのレスラーが使用してきたが、バックドロップの名手と呼べる選手は誰だろうか……。一撃必殺、説得力抜群の技が生み出した至極の名シーンを振り返る。
まず、バックドロップといえばジャンボ鶴田は外せない。
72年ミュンヘン五輪のアマレス日本代表は、五輪後に「全日本プロレスに就職します」の名言とともにマット界へ。米国での武者修行を経て73年に帰国、「若大将」と呼ばれジャイアント馬場に次ぐ次世代エースとして期待された。
国内リーグ戦などでは結果を残したが、国外メジャータイトル戦における外国人トップレスラーたちの壁は厚かった。ルール等を巧妙に利用されるなど寸前でタイトルを逃すことも多く、ファンから「善戦マン」と呼ばれたほどだった。そんな鶴田のプロレス人生を左右したのもバックドロップだった。
若手時代から使用していたが、鉄人ルー・テーズから「ヘソで小さく弧を描くように投げろ」とアドバイスを受け、破壊力が増した。のちに「岩石落とし」とも呼ばれる説得力抜群の必殺技となった。受け身が上手くない選手には致命傷になりかねないため、相手に応じて落とす角度などを変化させていたというほどだった。
そしてバックドロップを巡る忘れられないシーンがもう1つある。90年6月8日、東京・日本武道館での三沢光晴とのシングルマッチだ。大量の離脱者が出るなど、全日本プロレスの非常事態に立ち上がった三沢。シリーズ開幕戦で虎のマスクを脱ぎ、素顔でのファイトを続け最終戦でエース鶴田と激突した。
エンディングにつながるスリリングな切り返しはプロレスの醍醐味だった。鶴田のブレンバスターを空中で返した三沢がバックドロップを仕掛ける。これを再び鶴田が空中で返し三沢に被さってフォールへ。しかしカウント2から三沢が再び返して24分6秒ついにカウント3が入った。
「三沢が勝った」(日本テレビ/若林健治)という歴史に残る名実況も、間接的だがバックドロップが生み出したものだった。
アントニオ猪木もバックドロップを代名詞としていたプロレスラーの1人だ。延髄斬りや卍固めなどのイメージが強いが、新日本プロレス旗揚げ当時などの70年代は柔軟な身体を生かした「反り投げ」系技を多く用いていた。バックドロップもその1つで当初はオーソドックスな「抱え上げ式」を使用していたが、ルー・テーズ来日以降は「ヘソで投げる」ものを使い始めたとされる。
鶴田、猪木の他にも強烈なバックドロップの使い手はいる。
後藤達俊(新日本他)のものは真っ逆さまに落とす、まさに「殺人バックドロップ」だった。90年6月12日の福岡国際センターでは、8人タッグで対戦した技を受けた馳浩が試合後に心臓停止に追い込まれた。そしてスティーブ・ウィリアムス(全日本他)や川田利明(全日本他)も、相手選手の命を心配してしまうほどの危険な角度で投げていた。その他にも小川良成(ノア他)、諏訪魔(全日本)、永田裕志(新日本)などバックドロップの名手を挙げれば国内外キリがない。
https://dot.asahi.com/dot/2021092700009.html?page=1
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1632738587/ ジャンピングバックドロップってのはショボかった。
腰に悪そうなのに武藤がよくやっていた。 バックドロップの説得力が無くなって垂直落下開発競争が始まったと思うと色々感慨深い >>35
鶴田が相手にそんな気使うわけねーだろ
肝炎持ってるのにリングに上がり続けた史上最悪のヒール >>100
そういうのも広い心で受け入れて活躍のチャンスを与えるのが全日。 お前らファイプロ知ってるか?各レスラーのバックドロップの再現度はかなり高い
鶴田→元祖バックドロップ
ウィリアムス→殺人バックドロップ
後藤→地獄バックドロップ
長州→ぶっこ抜きバックドロップ
川田→垂直落下式バックドロップ
天龍→抱え式バックドロップ
三沢→旋回式バックドロップ
技モーションも本物そっくりで〜バックドロップのネーミングセンスが良い 後藤達俊がいた頃の新日の会場でのファンのやりとり
(試合開始早々に)「後藤、バックドロップ」「早いって」 >>107
良いゲームだな
操作せずにひたすら試合組んで観てた >>110
まあまあ、ここの人たちは全日がそこまでいい加減な団体だって知らないんだよ。
健康診断なし、海外行ってる奴に給料払ったことにするために社会保険や年金まで払う
脱税団体だって知らないんだよ。 ジャンボのバックドロップホールド
樋口ワン、ツー
テリー、スリーw ジャーマンの方が魅せるし綺麗だ。
そしてフィニッシュとして見栄えするから上 今は亡き志村けんが若い頃
加藤茶にコントで放ったバックドロップ
抱え式だったがしっかり上まで持ち上げて落としていた >>107
マサさんが隠しキャラだっけ?
あと初代じゃないがケロちゃんが戦えるのもあったな
技本が分厚くて高かったw >>119
PCエンジンで最初の(コンビネーションタッグ)に長州とマサのコンビで出てて
テーズ(バックドロップ)とゴッチは(ジャーマン)隠しキャラだった 野球の話だが、KKコンビで野球に興味持った世代であれが1984年あたり。親父が酔ったらグダグダ言ってた長嶋茂雄の天覧試合サヨナラホームランが1959年。25年前の話を大昔の神話のように聞いてたけど、今の若い子がこのスレ見たらそんな感想なんだろうな 藤波ってドラゴンスープレックス以外投げ技のイメージ薄いな。ここでもあまり名前が出ない
腰に爆弾抱えてるし元々身体も硬い方だったからブリッジもそんなにキレイじゃなかったしな >>121
昭和60年に阪神タイガースが昭和39年以来
21年ぶりにセ・リーグ優勝して初の日本一になり、
競馬だと昭和58年ミスターシービー、
昭和59年シンボリルドルフが三冠馬になったが
その前の三冠馬は昭和39年シンザンで、
プロレスだと力道山が昭和38年12月に死んで
昭和39年から豊登、吉村、遠藤、芳の里の新体制になって
19〜20年後の昭和58年8月にタイガーマスク新日退団、新日クーデター発生して
昭和59年になってユニバーサルプロレス(旧UWF)誕生、新日本プロレス興行が
長州らを引き抜いてジャパンプロレスになるとか大きな出来事が起きてるね 鶴田がバックドロップホールドでニックから
AWA世界ヘビーを奪取したのも昭和59年だった >>122
ドラゴンスープレックスをやらなくなってた(その後、解禁してストロングマシン、猪木に使用)が
ジャーマンスープレックスはやってたな
ブロディにジャーマンスープレックスやってた >>121
CS再放送や動画でいくらでも見られる時代と一緒にするなよ 藤波はドラゴンスープレックスで猪木をフォールした後はやってないっけ?
前田が藤波にドラゴンやった事あった気がする。ジャーマンだったかな? タイガースープレックスって自分の頭が先に当たるよな。
絶対やりたくない。 フルネルソンからのスープレックスって誰もやってなくてレスラー間でも藤波スゲーってなってたな >>108
あの頃って8人タッグとかで次いつ出番が来るかわからんから早々にフィニッシュホールド出してた気がするw フルネルソンスープレックスの凄さは分かるけど、ハーフネルソンスープレックスって正直意味がわからなかった ラリアットからのサソリっていうイメージが強いけど長州のバックアップって綺麗だったよな >>132
たしかに蝶野は小橋からオモチャのように投げられてたけどねw >>131
自然と捻りが入るから危険技
汚い投げ方ほど実はヤバい >>133
奇麗っていうか、ヘッドロックに来たところをあっという間にぶっこ抜く感じ
とにかく早い 小橋のハーフネルソンだのスリーパーだのなんてのもそりゃ大概なんだが、
もっとヤバいのはジョニーエースのコブラクラッチスープレックスだろ
あの体勢から投げるってだけでもう相手の事なんてこれっぽっちも考えてないw >>136
藤波との名勝負数え歌での一連のムーブだったからね 初期のノーザンライトスープレックスも受身が取れないことをウリにしてたな。半端なブリッジだと相手はヤバい落ち方をしてしまう
キャプチュードに至っては高橋レフェリーが「こんなの受け身の取りようがないじゃないか!」と激怒して試合中にも関わらず前田に詰め寄ったらしいな ハーフネルソン、スリーパー、コブラクラッチ
協力しなけりゃ投げられるワケないってことわかってないのかね >>141
後ろに引っこ抜く感じの技は、それなりの力があったら出来るよ 坂口のアトミックドロップはあれだけ高く上げたら後ろに投げた方が効くと思ってたがプロレスのシステム理解したら危険だと考え直した 高田のバックドロップはどうだろうか。あまりイメージない? いや俺が真っ先に思い浮かんだのが高田だわ
uインターでデカイ相手に出していたバックドロップはかっこよかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています