【音楽】『ザ・ベストテン』600回の平均視聴率は20%越え!司会者が語る「伝説のおばけ番組」 [フォーエバー★]
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『ザ・ベストテン』は、レコード売り上げ、有線放送リクエスト、ラジオ放送のリクエ
ストチャート、番組に寄せられたはがきのリクエストの合計ポイントによって、毎週独自のトップ10(=ベスト10)を選定していた。
生みの親と呼ばれるプロデューサーの意思
視聴者が求めるリアルなランキングを届ける情報性……言わば、“視聴者ファースト”を徹底したことが、人気の要因だと語る。
ランキングだからこそ、選ばれたアーティストを追うため、地方のライブ会場まで押しかける。“追いかけます、お出かけならばどこまでも”を売りにした中継は、『ザ・ベストテン』の名物の一つになったほどだ。
「ベストテンは少数精鋭で作っていた。どんな中継先でも、基本的にディレクターは一人。そのディレクターが現地のスタッフ、つまり全国各地のTBS系26局ネットのスタッフとタッグを組んで、アーティストを追いかけていた。TBS系列のネットワークを駆使して、毎週生放送でお伝えしていたわけですから、構造的には情報番組や報道番組と同じなんです」
ときには、冬期休暇中の黒柳さんを追うためにニューヨークへと飛んだ。「TBS の音楽番組で衛星中継を最初に行ったのはベストテン」と松下さんが語るように、『ザ・ベストテン』は視聴者のための流汗淋漓(りゅうかんりんり)をいとわない番組だった。
そういった姿勢は、『ザ・ベストテン』の生みの親と呼ばれるプロデューサー、故・山田修爾さんの存在が大きかったという。
「記念すべき第一回目放送の際、当時絶大な人気を誇っていた山口百恵さんが、集計の結果、トップ10外になりました。『山口百恵を登場させない新番組の歌番組があるか』と局内でも大きな議論を呼んだと聞きます。
しかし、山田さんはインチキはしないと譲らなかった。また、山田さんはベストテンを始める際にゴルフを辞めたと仰っていた。芸能プロダクションに誘われてゴルフをすると私情が入ってしまったり、特別な関係になってしまう……あるいはそういう噂を立てられるからとゴルフを断った。
黒柳さんは、そういった番組の姿勢や方針を気に入って司会を引き受けてくださった」
それゆえ、「口パクの類も一切なかった!」と松下さんは断言する。
9/26(日) 16:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d08203064047c95a24d1af77c331415f706187c1?page=3
https://i.imgur.com/cBIgUMD.jpg 小室哲哉はせっかくランクインしても出演しなくてガッカリだったな。
TMの3人だと出てたっけ、 >>93
関係ないが、アルフィーの星空のディス「タンス」というのもあったな
一位のプレゼントだったっけか スポットライトの1回しか出てないのに印象に残ってるのは、THE GOOD-BYEと安田成美 本当に口パクなしか?
おニャン子はフジテレビだから出演しなかったんだったっけ? 和田アキ子が司会の歌のトップテンって番組も他局であったよな。 >>92
ありがとう
モーニングムーンの後、SAY YESの前ぐらいかな?
リアルタイムの印象があまりないなー >>103
「タンスインオールナイト」の時は何かやったんですかね? ベストテンは年に一度だか全国のどこかでコンサートみたいな形式で特別番組やってなかった? >>10
いや司会ではなく演出の力だと思う
堺正章&榊原郁恵(今一瞬芳恵と書きかけたw)の司会はなかなか健闘してたぞ >>39
桑田さんは番組の盛り上げ役というかガヤ的な存在だった記憶ある
そのせいか今は大御所扱いされてるの見るとほんの少し違和感を感じてしまう 初回放送山口百恵ランクインできなかったけどガチでやったエピはもう聞き飽きました 出演拒否する人って今から思えば久米宏が嫌いだったんだな >>102
小室のソロでぶーはベストテン終わったあとでは?
でなかったのはトップテンでは? >>39
一番覚えてるのは、桑田にのせられて、黒柳徹子がプールの中でヨガポーズで浮かぶ
だ
あと、どっか地方での公開生放送時、ガチで切れしてるとんねるず サザンとツイストがほぼ同時期に登場して当時はツイストの評価のが高かったんだよね
桑田さんと世良さんはボーリングでもライバルって感じだった >>106
そっちのほうは「00さんは今日はお休みでございまーす」
とチンスケが簡単にすませてたなw
ベストテンは出演拒否理由や病欠なら診断書まで見せてた 久米宏が安住の朝の番組のレギュラーになるのの前振りだぞ
おまえら 釣られんなよ 上にもあるけど、ベストテンとトップテンは何から何まで差がありすぎたね
トップテンはなんというか、演出美術がらとにかくダサかった
ベストテンは美術は凝ってるし、なにより演出が良かった
しかし山田演出は今見ても?はあるけど >>106
和田アキ子の前に石野真子が司会やってて(相方は徳光)
よりによってその時に長渕がランクインだかもうすぐトップテンだかで出たのが一番のハイライト >>122
アイドルぺんぺん草も刈り取ったおニャンコ軍団とローラースケート軍団じゃね >>125
トップテンは、渋谷公会堂での生放送だからセットに限りがあったね
電飾が多かった
夜のヒットスタジオも割と電飾多かったけど >>105
河合その子は出てた
boowyが1位とっても、リハーサルで出演拒否
布袋はベストテン見ながら、「俺ここにいるよ」と言った 久米さんこの番組に出てた頃は黒柳さんが隣にいたせいかさほど気にはならなかったけど
ニュースステーション始めてからなんとも鼻につく嫌な性質の人なんだなと分かった >>4
つべ大コケ。細々とラジオやってれば良かったのになw >>109
>>114
100回ごとのキリ番の時だな タイマーズの放送事故は衝撃的だったよな!
日本のロックってココで止まってるな。 ベストテンが初めて長崎で公開放送するという回
それまで何週か1位が中森明菜「禁区」2位が杏里の「CAT'S EYE」で
長崎の翌週もまたそうだったのだけど
長崎でやった週だけ1位と2位が入れ替わってた
その週杏里は出演、中森明菜は欠席だったので
記念すべき回の1位が欠席では格好がつかないと順位を操作したのかと思った >>105
最初は出てたんだけど
後ろ髪がドタキャンしてから関係がこじれた気がする >>129
確かにそうですね
生放送で舞台転換もありつつだから、トップテンも制限の中で頑張ってたんだろうね >>120
静岡日本平の「お前ら湯気だしてんじゃねーよ」事件? >>112
したところでランキングがどうなるかなんか予想できるだろ?
それでも見たい? >>129
TBSの旧Gスタジオは上下両側にホリゾントがあり、スタジオ中央にセットの搬入口があったから、生放送中でもセットの搬入がしやすかったんだよ。 >>120
トンネルズは客がいる番組だといつもキレてる お約束キャラ >>11
アイドル、ニューミュージック、演歌とか各ジャンルがまんべんなくトップテン入りしていたもんな >>141
昭和で死んで平成も97年頃はけっこう活発で
多様化してCDも100万突破の時代だったけど
今はおニャンコジャニの時代と同じだわな >>144
組織票は無視してたじゃん 舟木一夫とかの 村下孝蔵はもったいなかったよなあ・・・
出演してたら初恋はオリコン1位を
取れたろうに。 >>125
そうかな?南野陽子はいいセットで歌ってたよ「話しかけたかった」とか
逆におニャン子常連期あたりからベストテンは「おっかけ」の中継に力入れてた気がする
だからこそアルフィーのカラオケテープヘロヘロ事件もあったりw 80年代中期後期のとんねるずチェッカーズはスーパー台風 演歌・歌謡曲からアイドル・ロックまで
様々なジャンルの曲がランクインした昭和50年代だからできた番組 最近CCBの出演回をツベで見ているんだけど、ベストテンはことごとくアテフリなんだよな。
シモンズドラムなんて鳴ってないもの。
ライプ会場から中継でもアテフリ。
今考えれば無謀だって。
それでも夜ヒットはちゃんと演奏もしている。
1番感心するのはCCBのアテフリ力。 昭和57年の秋に上から出し入れする中古のVTRデッキを買って、「まつわ」から500曲ぐらい録画した >>139
トップテンは「公開生放送」ていうのがメインだというのもあるよな
親衛隊の声や姿の見切りがあったのがオリジナル ベストテンとかトップテンは割と和気あいあいとした雰囲気
夜ヒットなんかはすげーピリピリしてるのが伝わってきた YouTubeでALFEEの犬山事件見たわ
なんでノーアポで行くんだよ >>149
いたなあ
めぞん一刻のOPの歌とか良かった
俺の母親がそのOP見てゲラゲラ笑ってた 聖子ちゃんのロックンルージュの歌詞忘れはめちゃくちゃ可愛かった 深夜ラジオのコッキーポップで流れてた曲がベストテンに入るとなんか嬉しかった世代
昔は10代後半になるともうアイドルに興味持つのはダサいみたいな風潮があった 生放送てのはすごいね
今やってもそれなりに取ると思う
でも野球さん考えたら平均20%どこじゃない時代の話だよね 五木ひろしがリクエストハガキの山を階段にして歌うシーンを覚えているけど、物凄い数のハガキが来るんだと思った記憶がある ベストテンも夜ヒットもそうだけど、
歌手がバックバンド従えるようになった
80年代は技術スタッフ大変だったろうな
マイクのセッティングとか出演バンドごとに
やってたんだろうしね
平成入ってからアテフリが多くなったのも
それが一因かと思ってる 杏里が『悲しみがとまらない』をセットの猿(!)に笑っちゃって歌えなくなったのがベストテン
石川優子CHAGE『ふたりのアイランド』でCHAGEが転んだのが夜ヒット?
堀ちえみが『稲妻パラダイス』で振りのついでにサンダル飛ばしたのがトップテン? >>166
今みたいにディジタルミキサーでワンタッチアサインではなく、いちいちパッチ盤抜き差しの時代だからね。 面白かった
楽しませていただきました
>>164
大川栄作さんです チャゲアスと雅夢って同時期に出てきて、似たような男二人組だった。ひとり咲きと愛はかげろう、どっちも売れたけどその後はかたや一発屋、かたやスーパースターだったな ラジカセ持って来てカセットテープに録音とかしてたよな 懐かしの特番が次々と爆死する中で
ベストテンだけは長続きしたからな
往時のクオリティーで本気で作れば
一時期の水ダウみたいにオワコンテレビでも
旋風が起こると思った
けど、歌自体が死に体じゃどうしようもないか >>165
それパクったのかな?『ひょうきんベストテン』で明石家さんまがオリジナル曲「いくつもの夜を越えて」で1位だったとき
ハガキの見えるシースルー階段を登りながら歌ったな >>176
母親の「早くお風呂に入りなさい」とかいう声もいっしょに録音されてしまうんだよな 紅白歌のベストテン(1969年〜1981)
キャプテン
白 堺正章(1969〜1981)
紅 水前寺清子(1969)倍賞美津子(1970)今陽子(1970〜1973) 岡崎友紀(1974〜1979)大場久美子(1979〜1980)榊原郁恵(1980〜 1981)
渋谷公会堂から公開生放送 ジュディ・オングさんが魅せられてで1位になった時に長い階段のすごく金かかってそうな凝ったセット用意してもらって
結局登ってる途中マイクにたどり着く前に歌が始まっちゃてたのすごく悔しがってたのとかおぼえてる ザ・トップテン(1981〜1986)
司会 堺正章、榊原郁恵
『紅白歌のベストテン』のリニューアル版
渋谷公会堂から公開生放送 歌のトップテン
司会
徳光和夫、石野真子(1986〜1987)
和田アキ子、島田紳助(1987〜1990)
『ザ・トップテン』をリニューアル
渋谷公会堂から公開生放送 >>172
パッチ盤とやらを調べてみました
こりゃ音声さん大変だわ(笑)
ネットワーク全て頭に入れとかなければならないのか当時は >>178
アイドルのイベントにいったら
ハガキをかかされたわ
そのハガキで抽選会もしたけどw >>162
円ひろ志『夢想花』やクリスタルキング『大都会』、あとポプコンで中部地区が強かった時期はそれは連チャンだったな
雅夢『愛はかげろう』伊藤敏博『サヨナラ模様』アラジン『完全無欠のロックンローラー』
そして大ヒットのあみん『待つわ』 >>185
短命なベストヒット83とかザ・ヤングベスト10もあったな アルフィーやたら見かけるけど
3人とも独身なんだっけ??
当時は言えなかったトランスジェンダー? スマホもインターネッツも無い時代だし
レンタルビデオ屋もようやく広がり始めた頃だろ?
おそらく歌とドリフぐらいしか娯楽が無かったのよw >>193
櫻井は妻子あり高見沢独身坂崎は私生活が見えないw >>95
松下アナがとっさに
そのドラマの俳優を
オーストラリアの森繁久彌みたいなこと言ってたなw >>48
テレビサイズの1コーラス半にしてるだけで本来の長さは変わらんだろ >>135
懐かしいな。そん時杏里のステージ(大学祭)の前で見てたぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています