前衆議院議長の町村信孝氏が鬼籍に入ったのは2年前の6月1日だった。
三回忌を迎え、安倍総裁誕生のキーマンが氏であったと、親交のあった政治解説者の篠原文也氏が明かす。
「2012年の自民党総裁選。立候補しながら、脳梗塞で倒れ、十分な選挙活動ができなかった町村さんから、
投開票前日、9月25日に電話をもらったのです」
清和研(当時の町村派)からは、復活を期す安倍氏も出馬。分裂選挙となり、町村氏は安倍憎しの思いを持っていた。
また、地方票で絶大な人気を誇る石破茂氏も立候補していた。

「町村さんは“おそらく安倍君と石破君の決選投票になるだろう。どちらに投票すべきだと思うか。
私が派閥会長であるにも拘らず出馬した安倍君は、気持ちの上では許せない。
かと言って、石破君とは飯を食ったこともなく、全く付き合いがないんだ”と。私はこう言いました。
“血は水よりも濃し。福田赳夫さん以来続く同じ派閥ですから、恨みは飲み込んで、安倍さんに投票してはどうですか”と」
町村氏は“わかった”と言って電話を切ったという。

「当日、町村さんは1回目の投票で落選。決選投票では、自身を支持した20人以上の議員票の大半を安倍さんに振りました。
結果は、安倍108票、石破89票。19票差でしたから、町村票がなければ、安倍さんは総裁になれなかったのです」
篠原氏は後日、総裁室を訪ねて経緯を話しに行く。
「安倍さんは“わかりました”と言って、その後、町村さんは衆院議長になった。議員生活の最後に花を持たせたのでしょう。
逆に石破さんは、日ごろの付き合いを大事にしていれば、総理になっていたかもしれない」