【プロレス】蝶野正洋、武藤敬司&橋本真也さんとの「闘魂三銃士」思い出写真を公開…「たまらん」など興奮の声 [湛然★]
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蝶野正洋、武藤敬司&橋本真也さんとの「闘魂三銃士」思い出写真を公開…「たまらん」など興奮の声
2021年9月12日 0時14分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20210912-OHT1T51000.html
蝶野正洋のインスタグラム(@2020chono1225)より
https://hochi.news/images/2021/09/12/20210912-OHT1I51004-L.jpg
プロレスラーの蝶野正洋が11日、自身のインスタグラムで武藤敬司、05年に死去した橋本真也さんとの「闘魂三銃士」写真をアップした。
1984年に新日本プロレスに同期入門した3人。88年にプエルトリコで「闘魂三銃士」が結成された。蝶野は「懐かしい写真」と説明をつけて、思い出の地の「プエルトリコ」などとハッシュタグをつけた。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 武藤と橋本って顔似てるのに全然武藤の方が男前なのはなんでなんだろうなー 船木も同期なんだよな
中卒で歳は離れてたらしいけど ,;:⌒:;,
8(・ω・)8 武藤は恵まれた体格にけた外れの運動神経で歴代レスラーで一番の天才だと思うわ 蝶野がブルーワーカーみたいな
器具を棒読み通販していた頃かな。 >>21
その結果歴史は新日旅館破壊事件に繫がると言うことですね 大量離脱の影響もあったけど昭和59年入門者で武藤は早く出世して
他の同期の連中が前座で出てた頃、武藤はデビューして2年ぐらいで
メイン、セミに出てて当時はゴールデンタイムでやってた
ワールドプロレスリングに何度もでてたな。
武藤が凱旋帰国してちょうど昭和61年10月からワールドプロレスリングは
金曜夜8時から月曜夜8時に変更されて武藤は藤波と連戦、
入門した時に付き人をしててた木村健吾と組んで
猪木、ケビン・フォン・エリック組と対戦して血ダルマにされたり
越中と組んで前田、高田とIWGPタッグを争ったりしてた。 闘魂三銃士までは活気と発信力があったけど、その後がダメだな
何でだ?
長州パワハラ政権とかか?? レスラーにならなかったら若くしてはげることもなかったか >>8
銀魂の星海坊主「三十過ぎたら急に来るんだよ!!いつの間にか毛根の女神が実家に帰ってたんだよ!」 武藤は父親含め親族全員ハゲだったので
若い頃から覚悟はしていたって言ってたな >>24
武藤は案の定カッコいいけど橋本けっこうかわいいな この3人は序列付けるのが難しいくらい3人共人気あったしそれぞれ活躍したよなぁ
四天王だと三沢>小橋、川田>田上は明らか >>25
パワートレーナーな
学校で棒読みものまねが流行ったわw >>42
蝶野も首とかダメージうけてるけど
プロレス活動しなくてもやっていけてるな
降ろされたけどバラいろダンディの司会とかやってた 昔は若い頃の武藤によく似てると言われた
今は今の武藤に似てるとよく言われる >>16
天山細いなー。海外から帰ってきたらやたら体大きくなってたの覚えてる >>42
蝶野は愛犬のブルドッグ二匹の喧嘩を止めたら、酷い怪我をしたらしい この頃の選手達の入場曲が耳に残るから良いよな
今はあかんね 武藤の入場曲HOLD OUTをワイドショーでは
海でサメが人を襲って危ない場所があるってニュース
のときにサメの登場に合わせて使ってたな
プロレス曲がメジャーな時代だったか >>53
この世代までの選手のテーマ曲は
何より選手コールしやすいんだよな
秋山や第三世代になると急にコールが減ってしまった 武藤の入場テーマ曲はスペースローンウルフ時代に使ってた
ファイナルカウントダウンの方が好きだった この頃の武藤はまさかハゲるとは思ってもいないだろうな 武藤の柔道の後輩が橋本の先輩だったりして意外と複雑な関係だったと橋本が生前語ってた >>20
90年代にこんな写真撮ってたなんて知らなかったそんなの… まさか長州力とバラエティ番組に出てお茶の間に怒られてるところ流されるとは思わなかっただろうな(´・ω・`) >>20
ヤヴァイ…頭頂部のパサパサ具合がそっくりだわおれ… >>32
壁を乗り越える三銃士はカッコよかったけど
壁になるには長州藤波の方がカッコいいのもあるかも >>32
蝶野曰く
長州さんがいなかったら三銃士なんか空中分解、新日本はバラバラになってたと
長州がいたから統制が取れてたってのはよく言ってるよね
下のレスラーは抑え込まれると反発するのはどこにでもある当たり前の反応だから長州力が別に悪いと言うわけじゃないと思うけど ムトちゃんは禿げる〜
ムトちゃんは禿げる〜
頭の上からどんどん禿げていく〜 某製薬会社の駐在員の家に生まれて
おぼっちゃんだったのは知ってるw この三人が同期入門とか奇跡みたいなもんだよな
それぞれが十年に一人ぐらいの逸材だったのにそれが三人同時だったんだから
人気が出ない訳がないもんなあ >>2
そうか?
当時の名勝負とかまったく思いつかない? >>16
山田恵一そんなにブサイクかな・・・
後この肉体を全身タイツで隠したのはもったいないなと思った
ヘビーやるときは脱いでたりしてたが 武藤=ジャッキー
蝶野=ユンピョウ
橋本=サモハン >>72
船木も半年前入門だし、その後のプロレス、格闘技界の流れを作った人材が集まってる。 >>78
三銃士より少しだけ先輩なんだよね
メヒコで鍛えてたから入団時既に体は出来てた >>80
この時代のヤングライオン杯は面白かったね >>81
山田は昭和58年入門だね。
その時はまだ佐山が新日にいてて
昭和58年8月にタイガーマスク新日退団、クーデターが発生した。
山田は坊主頭で、あすなろ戦士て言われてた頃の方が好きだったな 四天王プロレスはレフリーと一体でカウント2.99のつまらないマラソンプロレスだけど
こっちはスピード感と躍動感あってよかったな。
唐突な試合も多かったがそっちの方がリアリティあったしな。 >>85
子供ながら新日本の方が好きだったな。
なんだろう、全日本プロレス中継の方はなんとなく古臭く感じてた。 >>85
全日ノア系はレフリーが四天王とかフィニッシューラッシュでケツ決めを忘れる事があるので、両眼を瞑ったらカウント3と決められてた >>21
猪木は高田に対しては「一番弱い奴」、武藤には「唯一俺になれる可能性がある逸材だった」って言ってるよな
185センチを超える体格と、ムーンサルトできる運動神経、柔軟性、
柔道で鍛えた格闘経験を兼ね揃えてた
でも武藤は猪木の期待に反して異種格闘技路線には一切乗らなかった >>83
赤のロングタイツで見栄えしたよね
ライガーは代役だった訳だけど長続きしたなぁ >>32
永田中西時代がクソ過ぎたな
永田って試合もマイクパフォーマンスも爽快感がまったくない
スカッとしないんだよね
あとはストロングスタイルがアイデンティティの親日が総合格闘技にまったく通用しなかったのもデカいね 三銃士ら3人でのエース体制は、実に良く機能してたね
3人の内の誰かが団体のエースを張ってるとき、残り2人は怪我の治療に専念したり、団体内のメインのストーリーラインから外れて活動が出来た
ある意味で云うと、サボりながら、活動が出来たんだよね
坂口長州永島政権時代が、あのドーム興行全盛の黄金期を築けたのはこの三銃士らの絶妙なバランスかな 蝶野と小橋は敵がほとんどいないから引退後誰とでも対談できるのがデカいな
武藤、川田は無理そう 武藤は留学先がアメリカだったのがデカいのかもな
そこでアメリカンプロレスを身に付けてグレートムタに変身してしまった
そりゃ総合格闘技とは合わなくなる >>91
通用してたのは藤田ぐらいかな
石澤はちょっと打たれ弱かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています