東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で昭和30年代に総合6連覇(1959〜64年)を果たした中大の主力として活躍し、近年は同駅伝のテレビ解説を長く務めている神奈川工科大学陸上競技部監督・碓井哲雄さんが9月11日、死去した。79歳だった。今年6月から体調を崩して入院していたという。

碓井さんは1941年10月生まれ。東京・中大杉並高(現・中大附高)2年時の57年全国高校駅伝4区で区間賞を獲得した。60年に東急入社し、61年には東急の所属のまま、中大に入学。この年の日本選手権5000mと10000mでいずれも2位に入った。

翌62年に東急を退社して中大陸上部に入部。箱根駅伝の総合6連覇のうち、2年時の5連覇ではアンカー、3年時の6連覇では2区を務めた。4年時も2区を走ったが、チームは総合2位だった。

65年の卒業後は名鉄で競技を続け、現役を引退。83年度から本田技研(現・Honda)で監督として指揮を執り、1992年バルセロナ五輪10000m代表の浦田春生氏らを育てた。一方で81年〜94年まで母校・中大でコーチを歴任。低迷していた母校を復活させ、96年の箱根総合制覇への礎を築いた。その後は神奈川工科大で監督を務めていた。

箱根駅伝では日本テレビの生中継の解説を務め、95年から2003年まで移動中継車(1号車)、04年からは放送センターを担当。今年も復路の解説として、豊富な経験や知識を元に学生駅伝の後輩たちにエールを送っていた。

月陸編集部2021年9月11日
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