>>1
無理だよ
そういうのの逆をやったのが長野
長野五輪開催の数ヶ月前の浅利慶太のインタビュー


浅利慶太
「最近の開会式はショーアップするために長すぎると思います」
「(開会式)当日の長野に行って立ってみてください。みぞれが降ったらどれだけ寒いかということです。」

「最近の開会式は娯楽性を追求しすぎてはいないかと思いました。
僕たちは娯楽を作るのが専門ですから、本当はそちらの方が得意です。
でも、オリンピックが本来持っている精神性や儀式性というものを
もっとクローズアップするべきではないかと思いましてね」

「土俵入りには地を鎮めるという意味がある。この儀式を厳粛に終えたところで選手入場です」
「土俵の神々が清めた場に世界の若者たちを迎えることができる」
(第九については)「クーベルタン男爵がこの曲はオリンピックの音楽だと言われた」

電通の会長だった成田豊
「私も浅利氏もかねてから、オリンピックの開会式が派手で娯楽的なショーに堕しているのが不満だった。
世界中で三十億人もがテレビで見ている大舞台で、日本文化を発信しない手はない」