国籍は違っても、幼少期からの夢を実現した。オーストラリア出身のニナーは日の丸のユニホームを身にまとい、東京・お台場を疾走した。14位という結果にも「ベストなパフォーマンスを出せた。とても興奮している」と充実した表情を見せた。
オーストラリア人の父、日本人の母を持つ。パース育ちで、7歳からテニス、サッカー、体操に励み、2000年シドニー五輪を見て、母国の英雄、競泳2冠のグラント・ハケットに憧れた。「競技は何でもいいから」と五輪出場が夢になった。
18歳から本格的にトライアスロンを始め、日本連合の人材発掘で見いだされた。「日本の代表選手として、ホスト国の五輪に出場できれば素晴らしいのでは」。もう一つの故郷で五輪挑戦を決め、4月に日本国籍を取得したばかりだ。
5歳から毎年、東京都内の親族を訪れた。日本人が寺院や神社に参拝する姿に感銘を受け、日本文化に強い関心を示すようになった。五輪で多くの海外選手に伝えたいことがあるという。
「日本では、他人やお年寄りを敬う。思いやりがあり、尊敬しあう姿に西洋の人たちは驚くと思う。日本文化は素晴らしい」
3年前から山梨県内を拠点にし、漫画「GTO」や「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を読んで日本語を勉強した。記者会見で必死に日本語で話そうとする姿は愛着が伝わってくる。
五輪のレースではバイクで一時は一桁順位に上げるなど、見せ場はつくった。「ランで脚がけいれんしかけたが、最後まで頑張った」。目標のメダルには届かなかったが、ホスト国の五輪を経験し、笑顔が広がった。