https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/292330

抜粋

 彼らにとってオリンピックはおいしい仕事だ。スポンサー各社と政府を取り次ぎ、関連イベントの制作進行を請け負い、テレビの放映権と各媒体の広告掲載を管理して莫大(ばくだい)な手数料を手にする。Aさんがいた代理店の社長は全社員に向けて、「東京オリンピックで1兆円を稼ぎ出す」と号令したとか。オリンピックは4年に1度の大きな商機。これにどう食い込むかに社運を懸けているのだろう。

 一方、オリンピックで政権の支持率を上げ、次の選挙で勝ちたい政府にとって、広告代理店は便利な存在だ。政治家や役人が表立ってできない面倒なことの一切をカネ次第で丸投げできる彼らを、大いに頼みにしているところだろう。つまり両者の思惑は一致しているというわけだ。国民はまったくの置き去りである。

2016年のリオオリンピックのとき、私はドイツにいた。ホテルでテレビをつけると、100チャンネルもあるのに大会の全中継をしている局はなかった。時代は変わり、もはやオリンピックはヨーロッパで視聴率を取れるコンテンツではない。しかし関係者はその開催に固執し躍起になっている。

 来日したバッハ会長を菅首相らが歓迎し厚遇するさまは、まるで黒船でやってきたペリーを出迎える江戸幕府の役人のようだ。バッハ会長たちにあるのは古いヨーロッパ人のエリート意識で、日本人を完全に下に見ている。植民地を視察に訪れた貴族にでもなったつもりだろうか。

 開会式の音楽担当の小山田圭吾さん辞任にも呆れたが、今回のオリンピックをめぐっては、競技場の設計と大会のロゴマークのやり直しや総合演出の交代など、選ぶ側の見識を疑うことばかりが続いている。売れることを優先して人間性などのチェックをおろそかにするからこうなるのだ。

 開閉会式総合演出の小林賢太郎さんがお笑い芸人時代にユダヤ人虐殺をネタにしていたことで解任された。若気の至りで済まされることではない。ドイツはいまだにナチスの犯した罪を悔い、謝罪を続けている。

 成り行きのひどさに言葉もないが、制作チームの人選も広告代理店に丸投げしていたためだろう。広告代理店はマーケティングや流行りを見込んで企画を立てるから、知性や文化的な意味づけなど期待すべくもない。

 ロンドン五輪では英国を代表する指揮者のサイモン・ラトルが演奏し、北京五輪では国際的映画監督のチャン・イーモウが演出した。どちらもその国の文化の顔ともいえる人物で、スポーツと文化の大国であることを十分にアピールしていた。

 東京五輪の人選にはそうした文化への深い理解がまったく感じられない。元文科相や政府首脳らのお歴々が、歴史、哲学、芸術などのリベラルアーツを知らないからこうなるのだ。

 日本人の知性は、ここまで低下してしまったのか? まったく恥ずかしい。モラルも消え失せた。政治家も官僚もウソを重ね、私利私欲に走って弱者を食い物にしている。いい加減に目を覚まし、早急にモラルと“知”の構築をし直さないと、現実問題として、この国の行く末は危くなる。

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★1:2021/07/24(土) 14:47:50.80
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