創価学会の人たちって自分たちは正義の振る舞いを主観的には行っているつもりなんだろうね
まあ彼らの悪行は世間一般で周知となっているので、その主観は笑い話にしかならないけど

でも本当に悪い人を主観的にも客観的にも正しく糾弾する行為というのはどう評価すべきなんだろうか?
僕的には危険だと思う
個人の考えでも集団としての考えでもその能力には限界があるから必ず間違う
だから、そのために裁判所があり、有能な人が厳しい研修を受けて配属されている
そういう裁判官ですら、判決を下した後でも、間違いはなかったのかと何度も反芻し、ときには長らく苦しむという。

賢くもない地区の幹部に洗脳されて、STK行為や誹謗中傷を繰り返し、裁判官や警察にでもなったつもりで、
正義の行いをやっているつもりなのがどれだけ愚かしいのかを肝に銘じておくべきだよ