ひろゆきは「この件は差別ではなく悪口であり、悪意や強調や賞賛など様々な使われ方は辞書にも掲載された用法であり、映画等にも頻出する用例がある」と言っているだけ。
この主張は少しもぶれておらず、辞書等のネタも あ り ふ れ た 悪口であるということを証明しているだけで、別に論点ズラシなどしていない。
むしろ、専門家らしき人のほうこそ、この件の用語が い つ で も 差別用語といえるのか証明できず、論点ズラシをしている。
専門家らしき人は、クラブ側が本人から発言の意図を確かめる前に差別と決めつけ、ひろゆきの反論に論理的な再反論ができず、「論理破綻王」という下劣なレッテル貼りをした(これって、ディベートなら負けに等しい戯れ言だよ)。

そもそも、安易に「差別」と決めつけることが問題なのだ。
今どきの日本人は「馬鹿」や「死ね」や「とっとと帰れ」といった あ り ふ れ た 悪口が差別になることもあるし、それどころか「ゆとり」や「下流」や「天然」という あ り ふ れ た 言葉が、時には差別になることを知っている。重要なのは発言の意図なのだ。
ひろゆきは、発言者の差別の意図はまだ確認されていないし、法的に発言者の差別の意図を訴えようという動きもなく、現時点では あ り ふ れ た 悪口と解すべきと言ってるだけ。

人が他人を攻撃した時、それは差別なのか、悪意なのか、怨恨なのか、安易に決めつけてはいけない。
特に、安易に「さべつさべつ」とわめくのは、差別の実態を見えにくくし、差別の解決をこじらせるだけだ。

ちなみに、日本にも、やたら「しゃべちゅしゃべちゅ」とすぐにわめいて、それによって得をしようとする連中がいる。
だーれだ?

ここでひろゆきを攻撃しているのは、そういう連中だよ。
あるいはアサヒやTBSに洗脳された馬鹿ガキとか、「偉い先生は崇め奉りまつるー(土下座)」という権威主義の俗物。