0001征夷大将軍 ★
2021/07/13(火) 16:06:11.26ID:CAP_USER9https://www.niigata-nippo.co.jp/moretoku/20210708627355.html
全国高校野球新潟大会が10日に開幕し、球児たちが熱戦を繰り広げる。高校野球といえば勝った後に歌う校歌も楽しみだが、新潟日報社の「もっとあなたに特別報道班(モア特)」に、読者から「連合チームはなぜ一つしか歌えないの?」という声が寄せられた。どうして歌えないのか、校歌への思いなどを連合チームや関係者に聞いた。
連合チームの出場は2012年から認められた。メンバーが少なければ他の部活から助っ人を借りて出場することも可能だが、連合チームの参加は全国的に増え、今夏の新潟大会は74チームのうち五つが連合チームだ。
日本高野連の規定では、連合チームは勝利後に歌う校歌を、一つに決めることになっている。では校歌はどうやって選んでいるのだろう。
加茂、分水、阿賀野、白根、吉田の5校による連合チーム「加分阿白吉」は、メンバーの中で最も人数が多い加茂の校歌を選んだ。加茂の加藤芳宏監督(50)は「他の学校の校歌も選べれば良かったが、監督同士で話し合って決めた」と話す。
豊栄と加茂農林でつくる「豊栄農林」も人数の多い加茂農林の校歌にした。「助っ人を呼んで単独チームで出るより、連合の方が勝てると思った」と豊栄の小野柊人選手(17)。勝てる可能性が高まるなら、自分たちの校歌が歌えなくてもいいという。
そうは言っても、高校球児にとって校歌は特別な存在。勝ったチームにしか歌うことが許されない。サッカーなど他の団体競技にはない独特の文化のようだ。
私の父は1984年、新潟南の選手として夏の甲子園に出場し、県勢で戦後初の8強に進出した。父に校歌について聞いてみると、「仲間と校歌を歌うため、厳しい練習にも耐えた」という。その言葉から、校歌の重みを感じた。
当時、新潟南の監督だった関川弘夫さん(73)=新発田市=は甲子園で校歌を歌い、感激して涙がこぼれたという。「ここまで来られたという思いと、支えてくれた方への感謝でいっぱいだった。校歌は選手や学校関係者、地域などみんなの心を一つにする」と打ち明ける。
連合チームの校歌も何とかならないのだろうか。地方大会では試合前のシートノックで校歌を放送する。その時に参加校全ての校歌を流せないか、県高野連に問い合わせると「放送機器の点検が目的。申請以外の校歌を流す時間はない」と言われた。
昨秋の県大会では、見附と三条商の連合チームが初めて16強入りを果たした。三条商の小林豊監督(55)は「校歌を歌うことも大事だが、別々のチームの選手たちが一つになり、大きな力を発揮できた」と連合チームの意義を語った。