【プロレス】コロナ直撃『デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』デンジャー松永 ステーキハウス ミスターデンジャー [砂漠のマスカレード★]
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プロレスラーが書く本は現役時の試合や所属団体、他の選手との人間模様が多い。その中でステーキ店の経営の裏側を生々しく公開し、エッジききまくりの内容と話題なのが、『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』(ワニブックス)。昨年夏に発売され、プロレスファン以外の間でも話題となっている。
1997年の開店時や独自のメニュー、目玉商品の作り方、肉の仕入れや仕込み、価格設定、お客さんへの告知、集客、売上、資金繰り、チェーン展開の失敗、社員などの採用や定着、育成などをゼロから作ってきたことがリアルにわかる。ここまでステーキ業界の裏側をおおやけにした本は相当に少ないはずだ。
著者は、1990年代にデスマッチなどの過激なプロレスで注目を浴びた元プロレスラーの松永光弘さん(55歳)。通称「ミスター・デンジャー」。現役だった1997年に都内下町に「ステーキハウス ミスターデンジャー」を開店。社長、店長として幾多の危機を乗り越え、昨年からのコロナウィルス感染拡大にもデスマッチで培った経験や工夫を生かし、しなやかな強さで闘う。
松永さんの素顔とは…。
「プロレスラーならばできる」なんて幻想
「デンジャーステーキ」
新型コロナウィルス感染の影響も深刻ですが、20年ほど前の狂牛病のほうが僕らの店にとっては厳しかった。今は、被害を受ける範囲が広いじゃないですか…。感染拡大で飲食店の営業が従来通りにはできなくなりました。役所からの協力金支給の仕方に不公平なものがあったのかもしれませんね。都内で数十人を雇うお店に1日6万円のお金では焼け石に水でしょう。従業員数人のお店で6万円ならば、通常の1日の売上よりも多いくらいじゃないかな。ある意味、コロナバブル。
お米屋さんやお肉屋さん、酒屋さんの経営が大変だと思います。協力金をもらえないから…。うちも昨年春にはやめようか、と嫁さんと話し合ったんです。法人化して正社員として10人くらいを雇っているから、正直、楽じゃない。それでも社員や多くのお客さんに支えられて、なんとかやっている。店頭販売(テイクアウト)や地方発送もしています。
『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実 』は昨年、休業の時などにまとまった時間ができたので書いてみたのです。業界やうちの店のことを赤裸々に紹介しています。好評だったようで、たくさんのお客さんが「おもしろく読んだ」と話してくれました。
うちは、仕込みの時間が他のステーキ店の少なくとも5倍くらいは長い。筋がものすごく複雑に入っているところを包丁で丁寧に1つずつ取るのです。体力も必要。包丁の技術も高くないといけない。他の店ではほとんど使われていない部位(ハンギングテンダー)で、正確に言えば内臓になります。ここを使うから、お手軽な値段で提供ができるのです。目玉商品の「デンジャーステーキ」は1ポンド(約450g)で、ライスとスープが付いて2550円。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c52d2c1fdf674ddba86a7988d756883c604cb79c
5/27(木) 12:23配信
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https://stat.ameba.jp/user_images/20181225/10/kenchan-time/de/ab/j/o1080073514326889730.jpg 「プロレスラーならばできる」なんて幻想 するんじゃなかったと思いました
仕込みに時間がかかるハンギングテンダー
「デンジャースステーキ」の形はごつごつしているように見えるけど、ものすごく柔らかい。だから、女性もお子さんも大丈夫。他のお店の経営者も視察に来て、仕込みの大変さを知るとまねるのはあきらめるようです。1997年の開店時から「デンジャースステーキ」を目玉商品にしているんですが、今はソースを10種類にしています。味のバリエーションを無限にしたいんです。
国産の肉は、うちとしては扱いずらい。本来、肉は1カ月ぐらいは冷蔵庫で寝かせておくと、とてもおいしい。海外産は、船で運ばれてくるものが多い。成熟した頃に来るからちょうどいい時期。だから、海外産にしています。特にうちで使う部位は傷みやすい。だから、お店に来たら早いうちに仕込むんです。
仕込みは、本当に体力勝負。開店の頃は慣れないこともあり、1週間で体重が10キロ減りました。1週間で550人のお客さんが来てくれたんです。プロレスよりも労働時間ははるかに長い。開店当初は、一睡もできない日があった。地獄ですよ。「プロレスラーならばできる」なんて幻想。するんじゃなかったと思いました。
だけど、引退すると他にできることがない。僕らの頃のプロレスは、そんなに収入が多くない。引退の時に300万円しか、手元になかった。もう、ステーキ店で生きていくしかないんですよ。開店前にあるお店で見習いとして働いていた。髪の毛を黒く染めて、わかんないようにしたんですが。
引退したのに「元プロレスラーだ」なんて、こだわっていられない。開店2年前に結婚し、嫁さんがいたし。開店するとあまりにも肉体的に激務だから、一時期は足の裏がものごく痛い足底筋膜炎になって、普通に立てないし、歩けない。厨房に椅子をもってきて、そこに膝をついて調理をしていましたよ。完治までに4年もかかりました。 プロレスをやめても、戻るところがなかったんです
現役の頃にお世話になった選手は多いですね。その1人が、ディック・マードックさん。1980年代には(アントニオ)猪木さんと名勝負を繰り広げたけど、晩年(特に1990年初頭以降)は苦しかったようですね。アメリカ、日本でも大きな団体では活躍の場が少なくなって。新しい選手が次々と出てくる。技もどんどんと変わる。新陳代謝の激しい世界だから。
49歳で(1996年に)突然死した時は、ショックでした。でも、僕にとってはある意味ではよかったのかもしれません。引退後に、あの方が何をできるのか…。僕は、想像がつかない。みじめな姿は見たくない。他にも、お世話になった選手が若くして亡くなったと聞くと、正直、ほっとする。すごく憧れて、とても尊敬をしていたからそんな思いになるんでしょうね。プロレスの選手は引退すると、消息不明が多い。その後の生活は大変なんじゃないかな。僕もですが…。
プロレスファンは、うちのお客さん全体の5%くらい。これが、25年も経営できた理由の1つだと思います。「プロレスラーが来た!」と宣伝はしませんが、桜田(一男)さん(ケンドー・ナガサキ)や田上(明)さんが引退後によく来てくれていたんです。「おいしい」ってね。桜田さんは亡くなる数か月前にも。田上さんには、肉の仕込みもお教えしました。大相撲力士の頃にちゃんこ鍋を作っていたみたいで、包丁さばきが上手い。その後、つくば市でお店「ステーキ居酒屋チャンプ」を奥様と経営されているんです。
桜田さんとはピラニアデスマッチをしましたね。リングの真ん中に水槽。ここに100匹のピラニア。頭を殴られ、血を流す僕が水槽に頭から入れられる。桜田さんは規格外。大きいし、強い。パイプ椅子で殴る時、手加減しない。他の選手は、気を多少使うんですけどね。
デスマッチの内容は、僕が考えることが多かった。毎回変えないと、お客さんが飽きてしまうから、大変だった。アメリカでは、今もデスマッチが盛んで、現役のたくさんの選手が来日した時、この店に来てくれたこともあります。「レジェンド!」と僕のことを言ってくれていました。
もともと、プロレスに強く惹かれたきっかけは大仁田厚さんとの試合。1989年に日本初の有刺鉄線デスマッチをした時です。当時の僕は空手。大仁田さんを蹴ると、ふらふらと体を自ら有刺鉄線にぶつけにいく。お客さんが喜ぶ。ああ、これがプロだって。とても感動しました。所属していた誠心会館に「空手をやめて、プロレスラーになります!」と言ったら、館長の青柳誠司さんから怒られて。しばらく疎遠で、今は仲良くさせていただいていますが。
会館には同級生の斎藤彰俊がいて、僕がプロレスに誘ったんです。斎藤は早いうちに新日本(プロレス)で小林邦明さんたちとの抗争で有名に。悔して、なんとかしないといけないと思い、1992年に後楽園ホールでの試合に臨んだんです。対戦相手をめがけて2階バルコニー(約6メートル)からダイブをした。これで人生や世界がガラっと変わりました。いちやく有名になって。あの時、けがをしたところで失うものがない。ひるむものはなかった。泣かず飛ばずで、誰もがすぐに消える選手と思っていたはずですから。
子どもの頃に町内でも1、2を争う貧乏な家に生まれて。それを友人たちに隠すのに、子どもなりに必死だった。プロレスをやめても、戻るところがないんです。もう、這い上がるしかなかった。 あの頃に失敗したから、まだよかった
静かな町並みに構えた店。東武亀戸線・東あずま駅から徒歩4分
現役を振り返ると、ベストバウトは(ミスター)ポーゴさんとの試合。有刺鉄線バットを日本で初めて使った試合ですね。最後は、ポーゴさんが僕の頭に灯油をまいて火を燃やす。あの試合は、中身が濃い。全部がポイント。僕のプロレス人生は、ポーゴさんとの試合で始まり、ポーゴさんで終わった気がする。
ポーゴさんは1980年代半ば、新日本で前田日明さんや高田延彦さんたちといい試合をしていたけど、希望通りには活躍できなかったようですね。初めから、シリーズでの最終順位が決まっていて、それに不満があったみたい。「俺はいつも6位だよ」って言っていました。その後、デスマッチに移り、大活躍したからよかったんじゃないですか。
ポーゴさんは引退後、事業をしたんだけど、失敗し、晩年に復帰。体はボロボロで、眉毛が白くなって。ご本人は「もう、やめたい。みっともない」と話していました。引退後はごく一部の選手を除いて、多くは生活が大変なんですね。
僕も店の経営をしてから、失敗の連続。初期の頃に店舗をチェーン展開し、1000万円程の借金に。ラーメン店も経営したけど、うまくいかずに1000万円程の借金に。嫁さんと「あの頃に失敗したから、まだよかった。今の年齢では取り返しがつかないかもしれない」と話し合うことがあります。もう、絶対に手は広げません。
開店当初に比べると、社員も育ち、それぞれの仕事をきちんとこなすことができます。肉の仕込みを専門にする担当者もいて、以前よりは僕の負担は少ない。20歳前後の彼らは、僕がプロレスラーだったことを詳しくは知らない。関心がないようです(苦笑)。社員や嫁さんには恵まれているんでしょうね。僕は今もほぼ毎日、お店には行って厨房で仕事をしています。70歳までは、続けたいんです。
僕はフェイスブックの「昭和のプロレス」などに時々、書き込みをしています。よろしければ、ご覧ください。この前、ある方が「覆面レスターで最も強かった選手は?」と書いていた。「エルネック。海外で試合をした際、僕の体を軽々持ち上げた。あれは本物」と答えたんです。そんなやりとりを喜んでくれる方が多いみたい。マスクド・スーパースターとも晩年に試合をしましたが、強かったですね。昭和のプロレスラーは規格外。
『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』もぜひお読みください。 >>1
デンジャー嫌いじゃないけど、
別に食わんでもいいレベルやからなぁw >>1
ここ美味かった
名古屋レスラーが暖簾分けで支店出してほしい >>6
ハンギングテンダーってどこだろうと思ったら、サガリなのか 安くて固い肉を大量に仕入れて社長本人が毎日明け方から筋を取りまくって柔らかくして安く出すんだよな
これはプロレスラーの体力じゃないと真似できないし、流行廃りで潰れない店だわ
と本を読んで思った 現役時代は遥かに格上だった田上が引退後には弟子入りして独立開業したのにじわるw
まあ成功させた田上もすごいが。 企業としてやっていこうとしてるのにリスクゼロはないよ この人のブログだか読むと空手やプロレスの世界がいかに狂ってるかよく分かる。
この人は常識人ぽいがあんな狂った世界にいたということは
この人もやはり非常識なところがあるんだろう 俺も水道橋店には行ったな
本店行ってみたいけど立地的に厳しいんだよなぁ 松永の店は昔からいい評判ばかりだな
川田も最初の頃はいろいろ言われてたけどかなり良くなったみたいね >>17
元々空手家出身だから礼儀はしっかりしてるし、大仁田始め狂人連中を反面教師にしてきたから
根はすごく真面目な常識人。
だからこそハチャメチャ路線のヒールとして確固とした地位を築けたんだろうけど。 デンジャーが現役の頃、風呂付きのアパートに住めるようになったと記事に出てたが写真見たら真四角のすげー小さい風呂に体育座りみたいにして入ってる
ああ、苦労してんだな、いいやつだなこいつと思った 焼肉屋でハラミと言ってしまったらそれだけで売りにはできないし
デンジャーステーキと銘打った上でのハラミ肉だから上手く行ったよ
アイディアだなあつくづく飲食は >>26
いきステなんてグリーンボーイ
顔じゃねえよ >>24
あったあった
週プロのW⭐︎ING同盟特集な
ムジナの目
みんなで凶器振る練習したり「ムジナの目は自給自足」とか言って目の前の畑からネギ盗んだりという狂気性溢れるページでゲラ笑いしたよ この人プ板だとちょっと変わり者の老害扱いされてるな
葛西の映画でも偉そうに喋ってるとかで批判されてた UFCに松永が出た時に対戦相手のダンスバーンが松永を研究するためにビデオとりよせたらデスマッチばっかりで「こいつは痛みを感じない人間なのか!?」とスバーンが死ぬほど警戒した話は草 デンジャーステーキ食べに行ったけど横浜からだったから行くの超大変だったな
うまかった
ライスの中盛り大盛りが常軌を逸した量なので注意 リベラとどっちが美味いの?
リベラの方がだいぶ値段が上だけど。 >>31
しかも出場時には有刺鉄線ハチマキと有刺鉄線バット持ち込み
すぐレフェリーに取り上げられたけど >>33
リベラは普通にサーロインだのTボーンだのといった高級部位を豪快な量で出す店。
だから値段はずっと張る(とは言えこの種のステーキハウスとしては良心的な部類)
デンジャーは仕入れ値が安いサガリを手間暇かけて仕込んで豪快な量を安く出す店。
だからそもそものコンセプトが別物。
とは言え、松永始めレスラー連中にとって「いつかはリベラ」という感じで一人前に
なれたら行ける店という憧れがあったそうだから、開業の際に手本にはしてただろうけど。 > 『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』
なろう系かな? お客さんが少ない時は、厨房からニコニコしながら客席眺めてるんだよね
デンジャーステーキはニンニクありなしで大分味が変わる
個人的にはニンニク有りの方がいいね
あと、タレが最高に美味いよ >>4
長いよw
要約すると、プロレスラーには決してなっちゃいかんということだな >>37
田上はここで肉の処理勉強して自分の店で仕込みやってんだよな
田上の店のステーキも旨い 東京本社に行くときに帰りに立ち寄ろうと毎回思ってるんだけど
結局本社の人から飲みに誘われて毎回行けない
コロナ禍なので東京には行ってないけど落ち着いたら死ぬまでに1回は行ってみたい 微妙に立地が良くないと思うんだが(川田のラーメン屋よりは全然まし)
それでも繁盛してるんだから凄いよな
車で行きにくい(駐車場が少ない)のが俺みたいな車人間には難点
でもまた行きたい店ですよ 懐かしいな
小学生の時Tシャツにサインしてもらったわ 都会はこんなステーキハウスがあっていいな、俺も東京行った時は行ってみたい 安い肉を加工してるんだったな。
其のノウハウって真似できないのか?
時間がかかるとか、仕入れが特殊とかなのかね?
店員が10人もいるとは思わなかったが、加工技術のあるのは松永と何人なんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています