2021.5.29 11:30週刊朝日

 半世紀ほど前に出会った99歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

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■横尾忠則「『今』が全てで『今』が最高です」

 セトウチさん

 満99歳おめでとうございます。ついに人類未踏の地の一歩手前に立っちゃいましたね。頂上を目前に見る風景は如何ですか。僕だったら「99」と書いた旗をアトリエの屋根に立てちゃうかも知れませんね。

 ところがセトウチさんは百歳が近づくに従って、喜ぶどころかぼやいてばかりいましたね。長生きしたのが恥ずかしいとか、時には早く死にたい、なんて勿体ないじゃないですか。「100歳だもん」と胸を張って自慢して下さい。そして高齢者に希望と勇気を与えて下さい。

 北斎じゃないが、100まで生きて宇宙の真理を描いてみたいですよ。僕みたいなチンピラ老人でも、年を取るごとに、若い頃には見えなかった珍しい風景が見えてきて、延命もいいもんだい、と思うことがあります。だから百歳なんて目前にすると、セトウチさんと違って「どや、まいったか!」と自慢したくなるように思えるのに、セトウチさんはどうして百歳人生を嘆くんですか。

 夭折の芸術家もいますが、芸術家はやっぱり長生きするべきですよ。体力が弱ってヘロヘロしながら描く(書く)作品は元気な若い芸術家には描けません。太郎さんみたいな元気そーに見せる芸術よりは、ヘナっとしたキリコの晩年の作品の方が味があって見てても飽きません。

 よく、代表作は? と聞かれますが、そんなもんはないですが、強いていえば今描いている作品ですね。明日になると今日の代表作は過去のもので、新しい代表作は明日描くものに変ります。芸術家は常に「今」を生きているのです。「今」が全てで「今」が最高です。ですから、セトウチさん、99歳はもう古いのです。次の100歳が新しい肉体です。ヘロヘロ、ヘナヘナの作品こそ「今」の代表作です。飽きたとか、恥ずかしいとか、死にたいとか、そんな状態こそ最高の「今」じゃないでしょうか。
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