【サッカー】「海外へは行くことが成功じゃない」小野伸二がフェイエノールト移籍から20年を回想 [首都圏の虎★]
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18歳で98年フランスワールドカップ(W杯)に出場した小野伸二(札幌)。世界中から注目された若きタレントが初めて海外移籍に踏み切ったのが2001年だった。
当時オランダ3強の一角・フェイエノールトへ赴き、移籍1年目にはUEFAカップ(現UEFA欧州リーグ)を制覇。クラブレベルで欧州タイトル獲得時の主力選手となった日本人は後にも先にも彼だけだ。
小野は「ホームスタジアムでボルシア・ドルトムント(ドイツ)と決勝を戦えるなんて幸せなことはない」と偉業達成の瞬間を回想する。
彼が欧州で存在価値を示さなければ、その後に訪れた日本人選手の大量移籍時代もなかった。
この20年間で日本サッカーの立ち位置や環境はどう変わったのか。先駆者が思いを激白する。
中田英寿に刺激を受けて海外に挑戦
93年のJリーグ開幕後、最初に欧州移籍に踏み切ったのがカズ(三浦知良=横浜FC)だった。94年に当時世界最高峰と言われたイタリア・セリエAの古豪・ジェノアへ。日本のエースの挑戦はケガも災いして1年限りで終止符が打たれたが、日本人選手が本場でプレーする道を開いたのは間違いない。
その流れを確実にしたのが、98年フランスW杯直後にペルージャへ赴いた中田英寿だ。新天地デビューとなったユベントス戦での2発は伝説となり、ローマ移籍後の00−01シーズンのスクデット獲得には日本中が歓喜した。
小野は彼らの後を追うことになったのだ。
――海外への意識が最も高まったのは99年ワールドユース(ナイジェリア)準優勝ですか?
「ヒデさんがペルージャで活躍したのがいい刺激になりましたね。僕らの世代は若い時から外国人選手と戦ってきたんで、自信は持ってましたけど、日本代表になるともっと上のレベルの人がたくさんいる。怖さも多少感じるところがあったので、『これは海外に行って慣れるしかない』とも考えていました」
――フェイエノールト移籍の経緯は?
「清水商業(現清水桜が丘)高校の時に一度、アヤックスから練習参加の打診がありました。当時は事情がよく分からず行きませんでしたけど、2000年の年末にフェイエノールトから練習参加の話が来た。99年7月に負ったヒザの大ケガから復帰していた時だったんで『そろそろ行ってもいいかな』という感じでした。でもウインターブレイク期間の練習で周りもならし状態だったんで、グッとくるものはなかったんですが、加入後にレベルの高さを痛感しましたね」
――チームや現地の環境にどう適応したんですか?
「新たな環境に溶け込もうと思うならピッチ外が大事。ピッチ上の言葉なんて僕からすると必要ない。どの国に行っても、人やプレー、性格を見れば何をやりたいかは把握できるんで、それ以外のことで努力しましたね。例えば、仲のいい選手とご飯を食べに行ったりしましたけど、そういう場だと人間性や性格がよく分かる。僕はそうしました」
全力を尽くしたUEFAカップ制覇の記憶
――ベルト・ファンマルバイク監督も「日本最高の選手はシンジだ」と断言するほど、強い信頼を寄せてくれました。
「そんなに多くを語る人じゃなかったけど、自分の意図を練習の中で理解できてるかはよく見ていたと思います。それに少しずつ出場時間を延ばしてくれたのがよかった。特に大きかったのは、移籍3〜4試合目でアヤックスとの試合に45分間出してもらったこと。オランダダービー的な試合のレベルを体感し、やれると感じたことで弾みがつきました」
――その1年目の集大成が、2002年5月のUEFAカップ制覇でした。
「オランダにとってドイツはライバル。日本にとっての韓国のような存在です。その相手と本拠地・ロッテルダムで戦うというのは特別な試合。当時の僕はその試合の大きさをよく分かってなかったけど、プライドのぶつかり合いですごい雰囲気でしたね」
――2−2で迎えた後半5分、エースFWトマソン(現マルメ監督)の決勝弾をアシストしたのが小野選手でした。あの芸術的なパスは多くの人々の脳裏に焼き付いています。
「そのアシストよりも、意識していたのはマークについていたロシツキー(元チェコ代表)のこと。『同世代(実際には1つ下)には絶対に負けられない』って気持ちが強かった。試合自体は特別な緊張感もなく、優勝するために全力を尽くした。ただそれだけです」
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/byline/motokawaetsuko/20210526-00239506/ https://youtu.be/By40ptR6bQI
小野さん、カードゲームしないか
今度はデュエルマスターズたのむ >>72
本山はWY後のJでドリブルが全く通用せずにスタメン取れなくてパサー転向だから元々そんなもんだったよ 蹴鞠(ケマリ)
マリか〜
ラブリーに削られた腐ったミカン 当時の2ちゃんでサッカー経験者すら「ドリブルするな!」だろ
下の奴らがホラ吹きサッカーファン
俺だけ「ドリブルしろ」でした
俊輔や本山は若い頃はガンガン仕掛けるドリブラーっぽかったのが、マークがキツくなるにつれどんどん縦に仕掛けなくなって、いつ間にかパサーになってたのは惜しかったな
小野にしてもスピードや推進力、体幹が無いから中央突破や鬼キープとかそういう個人能力が無かったのが二列目としては痛かった 当時の2ちゃんでサッカー経験者すら「ドリブルするな!」だろ
下の奴らがホラ吹きサッカーファン
俺だけ「ドリブルしろ」でした
人間力「15秒サッカー」
縦ポンサッカーの時代よ?
ドリブルする?ww
クライフ金子が「ドリブルしろ」とか本ですら書いてない時代だろww
お前らが選手を迷走や下手くそに誘導するよなww
⇩↓↓⇩こんな馬鹿
俊輔や本山は若い頃はガンガン仕掛けるドリブラーっぽかったのが、マークがキツくなるにつれどんどん縦に仕掛けなくなって、いつ間にかパサーになってたのは惜しかったな
小野にしてもスピードや推進力、体幹が無いから中央突破や鬼キープとかそういう個人能力が無かったのが二列目としては痛かった https://youtu.be/a3NAJlh77NA
だいたい
この時代にドリブルしてないだろ?
ヨーロッパ
当時
オルテガぐらいだぞ、ドリブラー
馬鹿がドリブルするなってウルサイんだよな 小野が天才なのは間違いないんだろうな。
ただ、個人的にはここぞの時に不在の男という印象の方が強い。
怪我のせいもあるんだろうけどね。 >>109
少なくとも代表ではアジアカップにもワールドカップ予選にも出てないし
代表への貢献度とかそういう意味では低い
俊輔、遠藤、福西、中澤、中田浩あたりだな貢献度が高いのは >>97
キープ力、ポストプレーに関しては大迫は歴代最高の日本人FWでしょ
本田の世代なら岡崎が高原よりも得点力は上だし >>107
フィーゴとかギグスとかもいたけどな
2002年頃ならロナウジーニョが日韓大会で既にがんがんドリブル仕掛けてたし >>113
そいつの言ってること適当だし。
他にもメンディエタとかキューウェルもドリブラーだったろ。 >>111
クラブでは主力だったけど、浦和は怪我で居なくなって2部落ちしちゃうし
フェイエでUEFA制覇したのがキャリアハイで結局四大リーグには行けず仕舞い。
代表ではアジアカップ、五輪、ワールドカップのどれかで輝いて欲しかったけど、どれも不在かダメだったからね。
特にオーバーエイジの王様待遇で迎え入れられたはずのアテネ五輪で全然ダメで予選落ちしたのは失望した。
トップ下としてもボランチとしてもチームリーダーとしてもダメで、後から五輪のオーバーエイジ枠には反対とか言ってたのはガッカリ。
まあ、クラブで長い間レギュラーでフェイエでUEFA制覇しただけでも天才と呼んでも良いんだろうけどね。 小野はW杯ベルギー戦のパスが大きいわな
鈴木も決定力カスだったけどあれ1本で許される キューウェルがドリブラーって新説だぞwww
ニワカwww
https://youtu.be/cB-guSLyt9o
カウンターなら誰でもドリブルするだろww ドリブラー、オルテガだけ
ギグスも昔に俺が言ったけど
他の奴なら
オーフェルマルスとラウドルップとか言うけど、ウイングやサイド
トップ下はアルゼンチンだけドリブラー
他の国は違うね
ブラジルはリバウドがトップ下だろ?
FWならドリブラーって言わないわニワカオツ ドリブラーとはあまり言われないがジダンも結構よくドリブル仕掛けてたよ
なにせルーレットがトレードマークだったしね そりゃあフェイエノールトごとき下級クラブじゃ成功なんて言えないわ リバウドにしてもジダンにしてもトッティにしてもドリブラーとは言われなくても普通に個人技でも打開出来るトップ下の選手だったでしょ >>124
小野は個人で打開というより、来たらかわすというドリブルだね
彼の能力的に出来ないことは無いはずだけど、怪我のトラウマもあろうが優しい性格がドリブルにも表れちゃってる >>1
芸能人になって売れたい!ていう初期メンに比べて、モーニング娘。になりたいってきた5期以降の質やモチベーションの低下。これ人材育成で大事な。
海外移籍がゴールと覚しき発言している馬鹿な若手が多いな 「海外に行けばいいってものじゃない」ってオシムも言ってたわ ドリブルに関しては小野自信がドリブルは余りいらない的な発言してたぞ
Jリーグデビューした頃かな?
小野のドリブルは縦に抜けるってかパスするための繋ぎみたいな感じ >>125
マラドーナにずっと憧れてたんだしやれるんならやってたでしょ
自分には出来ない、合わないと判断からやらなくなっただけでは >>12
3-3-3-1とは渋いね
選考はともかくシステムは見たい >>128
だな。小野はセンタリング上げるときは、開いてるスペースをドリブルでかけあがったはおぼえてる
組み立ての一部でドリブルの選択肢がある感じ 東欧移籍とかもう馬鹿のやることにしか見えんわなw
5大リーグ以外は無意味
後2部リーグも糞だから意味無し フェイエノールト移籍当初の小野はウィングで試合に出てたの知らない奴多いな。 磯貝もあのままエスパニョールと契約してればなあ。
釜本が余計なことしてガンバに無理矢理引っ張ってきて
挙げ句、木村和司と接触して大怪我。
センスや才能だけなら小野よりも上だったと思うんだがね >>125
いつかのW杯前最後の代表選考試合だったかで
普通に抜いてゴールしてた記憶があるけどな 詰めて来た相手を一人二人いなしてから不思議なパス
みたいなのはよく見てた気がするけど
小野が自分から仕掛けにいって抜いていく
みたいなのはあんま記憶ないな >>48
やきおとばすけテニスのやつとかが言ってると無意味すぎるわw
自分を気をつけりゃいいだけだし
そもそもイチローは外野手でしかないw >>138
なにおいう!キムコさんがマラドーナに匹敵と評価していたンだぞ 小野がWC予選に出てないとか
異世界の住人がいるね
怪我するまでは普通にいたし 小野を象徴する特性だと思うけど、代名詞というべき背番号がないんだよね
どこでもこなせて中心になれるが、一人で勝たせる存在にはならない
清商や海外移籍前の8、代表や帰国後の18、ワールドユースの13、フェイエの14… まぁでもオランダなんだよなぁ。
プレミアとかセリエ、リーガとかにいかないとね。 > 2−2で迎えた後半5分、エースFWトマソン(現マルメ監督)の決勝弾をアシスト
細かいことだけど2-2からではないね、2-1からトマソンが入れて3-1になった
その後に相手が返して3-2に。元川も結構アバウトだな >>107
アウェーで小野のスーパーゴールありでパーエスファー破ったこの試合は記憶に新しいな 中田 セリエAスクデット
中村 スコット連覇、年間MVP
小野 UEFA制覇
香川 ブンデス制覇
岡崎 プレミア制覇
この五人は別格、次点で長谷部かな >>107
レコバ辺りはちょくちょくぶち抜いてたがちょっと前か 1995年とかその頃、オーストリアにヘルツォークって選手がいて、アルプスのグーリットとか呼ばれてた
最初に小野を見た時、ヘルツォークみたいって思ったな >>149
自レスだが長友ってあんだけインテルにいて、一度もスクデット経験してないんだな
2008 スクデット
2011〜2018 長友在籍
2020 スクデット >>153
ちょっと前に長谷部入れて、「6人は別格だよな」ってサッカースレに書き込んだら
「長谷部は違う」とボコボコにされてひよったw
ベーはせはいい選手だと思う 当時の指導者はテクニックありきだったから誤解を与えてしまった 確かに当時は世界でも最高峰のテク >>124
ジダンはちょっと違うと思う
ジダン得点力全然ないからな >>37
それ宇佐美じゃない? 小野は高校時代からすればさすがに成長してる。 お前らが地蔵、地蔵ばっか言うから
一休さんみたいな顔になっただろ
プレーじゃないんだよ
外見が地蔵だよ
外見も、外見も地蔵だよ
https://youtu.be/ke77ps9qOrI
https://youtu.be/QHtQgGk3AFU >>107
小野のハーフボレーやべぇな
キャリア全体FW縛りでやらせてみたかった 3部でもいいから海外行けば良いとか言う内田本田辺りに説教してください ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています