【芸人】上岡龍太郎「僕の芸が通用するのは20世紀まで」58歳で引退の美学 あまりに美しい去り際 [muffin★]
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地位や権威に恋々とする人の多いなか、潔い引き際を見せた芸人が、上岡龍太郎だろう。「僕の芸が通用するのは20世紀まで」の言葉を残して2000年に芸能界から退いたのは、58歳の時だった。
上岡と仕事を共にした元毎日放送プロデューサーで同志社女子大学メディア創造学科教授の影山貴彦氏が語る。
「引退直前の上岡さんは『やめるでと言えば、もっとみんな“やめんとって”と言うてくれると思っていた。止めるものがおらんからやめるようになってしまった』とメディアで語って笑いを誘っていた。それは上岡さんならではの話芸で、芸人としてやり切ったという思いが込められた言葉だと、私なりに受け止めています」
引退間際の『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)最終回には、共演の笑福亭鶴瓶に加え、明石家さんま、島田紳助らトップ芸人が駆けつけたが、
「上岡さんはしゃべりたおす彼らを俯瞰して操縦しながら、絶妙なタイミングで言葉を挟んで一番おいしいところを持っていく。まったく衰えてなんかいなかった」(同前)
『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)でサブ司会を務めた山田雅人はこう回顧する。
「引退するかなり前から『やめたい、やめたい』とおっしゃっていました。ご自分が出ているテレビは一切見ない方で、『老いさらばえた姿をみせたくない』と。そうはいっても、老いるどころか、まだ第一線でバリバリで仕事をしていましたから、『なぜ引退するんですか?』と聞いても、『もう若い頃のような全盛期の自分じゃない』と。野球がお好きだったので、『ホームランだと思った打球がフェンス際で失速して届かなくなる』とか、そんな喩えをよくされていましたね。でもやめる時もバリバリの3割バッターだったんですよ。
一度決めたら、周囲が説得しても耳を貸さない。求めるレベルが高い、完璧主義者。本人しか分からない美学があったんでしょう。関西の芸人は、多かれ少なかれ、上岡師匠の影響を受けて、背中を見て歩いているんですよ。その背中がなくなるわけですから、僕らは『引退じゃなくて休養にしてください。また帰ってきてください』と何回も言いましたが、『そんなみっともないことはしたくない』と一蹴されました」
あまりに美しい去り際ゆえに、残像は今なお、鮮明に人々の脳裏に焼きついている。 たまにYouTubeで動画見かけて見てみるけど
ロジカルすぎて凄い MCのイメージしかないけど、上岡龍太郎個人の持ち芸とかあったの? 上岡さんが一人でテレビについて延々と語る番組
あれは控えめに言ってGOD 大阪のひったくりは奈良と和歌山から来た連中がやっとるんです 話の上手い司会者ではあったけど、もうお笑い芸人の枠ではなくなってたな 占い師とかあの類いの存在への嫌い方が至極真っ当だった。 50代でリタイアして
悠々自適に暮らすなんて
最高やん と言うことは今の二十代前半の人達は上岡龍太郎のリアルを見たことがないということか 長いこと関西で偉そうに振る舞っていて、ある時鳴り物入りで東京進出してきた
前評判がかなり高かっただけに、実物見て肩透かし喰らったな
ただの屁理屈じじい
関西では小難しそうな言い回しで低層の奴らから崇め奉られてたのかもしれないけど、
東京ではその手の誤魔化しは効かなかったというオチ >>1
自分の限界を決めて成長を止めただけの話しね YouTubeで昔の映像見てるけど面白い
景山民夫や上岡龍太郎みたいなユーモアある知的な大人が減ったね かなりの高齢のイメージだったけど
今のダウンタウンくらいなのか >>18
ゲストに呼んだ占い師をいきなり殴りつけて、自分がどんな目にあうかも占えないのか、
と言った話が有名だな 上岡局長時代のナイトスクープはバカらしいが知的な雰囲気もあった。
辞めた後は西田敏行とスタッフがメチャクチャにした。 好かれよう好かれようとしちゃダメなんだろうな
それは芸無しがやることだ 松っちゃんは年取ったら中島らもみたいになるかな〜て昔思てたけど、結局全然ちゃう方向行ったなぁと思ったら最近グイッと中島らもぽくなってるわ 今の幼稚で痴的なテレビだと夜中でないと出番ないだろうな ラジオやネットとは合口いいと思うが >>3
話芸という最大の芸があるわカス
初見でハガキをスラスラ読める、屁理屈こねさせたら右に出る者はおらん
古代史語らしたら止まらん、漫談「キオスク」や朗読劇「火垂るの墓」は絶品
横山ノックへの弔辞は引退後最高の贐 素人がプロっぽい事をするかプロの芸人が素を見せるかでしかウケない時代
って言うてその風潮が加速して現代に至ってるしな
先の見据え方が凄いわ 上岡龍太郎が横山ノックを見つめる優しい目が好きだった
さんまもたけしを見つめる時だけ優しい目をする まぁ残ってても老害だなんだ言われるだけだしなぁ
この人の占い師殴った話好き >>31
その「話芸」を理解出来る人間が減った
テレビ局は「馬鹿を引き付けてナンボ」「偏差値40に向けて番組を作れ」と言うスタンス >>19
塚本7キロと青木先生の話は、腹筋痛くなるまで笑ったわ どうやって食ってんの?年金?
紳助は投資とか熱心だったようだけど 今、関西のほんこんとかリンゴとかがご意見番みたいに振る舞ってるのみると、上岡知ってる世代からしたら落ちたなあと思う。 >>43
結構無茶苦茶な事を言うからネットの評論家気取りには嫌われるタイプだったよ。 たけしが
「あんな芸のない奴が偉そうにしてるのはおかしい。昔の映像見たらわかるだろ」
って言ってたな >>3
あれ?^^単発なのキミ^^
カッコ悪過ぎ^^
ホレホレ^^もっとあがいてみせろ^^ >>51
そうなんだよね
結局たかじんとかと一緒の地方タレントって評価なんだよなあ >>56
そうなんだ。牽強付会の嫌いもあったんですか。 >>26
関西と東京で喋ってること全然違ったんだけどな。
東京でらかなりゆるーくやってた。 >>51
>>61
1990年代は東京でアホほど仕事してたのも知らんのかよおまえらは ホームレスと一緒でボケるだけだろ
人間、仕事しながら死ぬのが幸せ >>66
コロナ禍で不自由な中、十分局長としてこなしてんだろボケが 横山ノックの葬式いらい見てないな
本当に完全引退してしまった >>66
松本って今年58じゃん。
そう考えたら上岡さんは早過ぎるね 立て板に水のように話す人だったな
あの話術受け継ぐ人は今いないな >>40
若い頃は宝島界隈の媒体に出てたなあ松ちゃんも >>43
「若い頃は跳ねっ返りで生意気で、大した事も出来へんのに、ずいぶんエラソ言うてましたよ。それが漫画トリオ解散になりまして、ハタと気付きましてね。ボクにはなんにもないんだな、と。一人でおっても仕事が来ない。まぁ、仕事が来ないんで、時間だけはありましたからね。そこで、昔は興味もなかった事でも勉強してみようか、と思ったんですよ」 ほんとに葬式で見るぐらいだからな。見事な引き際だわ
紳助も見習え 一方、弟子のぜんじろう
去年11月から始まった東海ラジオの冠番組
4月改編で3時間→45分に短縮 >>66
西田局長時代からめちゃくちゃ持ち直したじゃん 松本「(上岡)若い頃はかぐや姫月に返せへんかったみたいやね」 後年に東京でも成功して、財を築いたのも大きいね。
視聴率は散々だったが、QQQのQのギャラは帯だから凄かったとか。 >>64
それ観てないからなあ
そんなにギア変えてたのか、ちょっと関西での動画探してみる
>>67
番組持ってたけど全然人気出なかったじゃん
東京進出して成功してた関西芸人がやたら東京でも持ち上げてただけで、
こっちの人間はシラけてたよ 誰もが戻って来ると引退前から言ってたが戻って来なかったな
そこも上岡龍太郎らしいと思えるわ やはり賢いな
押し付けがましい教祖づらはネットの時代にあわないからな
今もそんなことやってるパヨク老害村は下の世代から白い目で見られてる >>40
全く同じことを思ってた、東京進出後だが松本はらもさんの影響を受けてると思った
らもさんの死は関西芸能にとって大きな損失だったと思う
らもさんで印象に残ったのはタモリ倶楽部の悩み事相談コーナーで
絶望した質問者にインドに行けば良いと一言いってタモリが自分なりの解釈を考えて「なるほど」と唖然としてた
上岡龍太郎については、いいともで東京人は皆訛ってると発言しスタジオの客から笑われていたが
タモリは否定せず軽く頷いていたのが印象的だった
単騎で敵陣に乗り込んで正論かます度胸は凄いと当時思った 以外にゲーム好きだったんだよな
風来のシレンとかやってたはず
だから引退後も暇を持て余す
感じじゃなかったんじゃね 上岡龍太郎のしゃべくり芸は
誰もモノマネすら出来ない
つまりそれくらい唯一無二 他にも言えない何かありそうだけどここまできっぱり引いたってあまりいないよな ナイトスクープのオカルト企画でガチギレしてたな。
不誠実だみたいに怒ってたわ。 >>92
ゴルフもマラソンも趣味にしてた
若い頃は「こんなん何が楽しいねん」って嫌ってたらしいけど、年取ったら面白くなったって ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています