インタビュー後編
「歌では人を救えない」勘違い、惨敗、挫折……それでもCoccoの歌は終わらない
2021.05.19朝日新聞デジタルマガジン&[and]
奈々村久生 編集者・ライター
https://www.asahi.com/and/article/20210519/404419175/2/
小島マサヒロ撮影
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(抜粋)

◆歌のことはいつもわからない

−−自分の歌がわからないと不安にはなりませんか?

歌の意味は最終的に歌が教えてくれるものだから、それを待つしかない。今年出したアルバムを自分で理解できるのは20年後ぐらいじゃないかな。セカンドアルバムの『クムイウタ』(1998年)で出した曲が20年目でやっとわかったぐらいだから。でも20周年ライブのときに、ステージでそれを言ったら、ファンの人たちはみんな既にその曲の意味を知ってたの。誰かが意味づけしてくれるのはありがたいよね、自分も理解できるようになるから。歌のことはいつもわからない。だから取材とかでインタビュアーの人が色々分析してくれると、なるほどそういうことにしますって発見できる。

−−意味を説明しようとしたり、自分で何らかの言葉を与えたりすることによって、もっと大きな何かを取り逃がしていると思うときもたくさんあります。分析なんかしないで、ありのままを受けとめられたら、どんなに幸せだろうと。

それで恩恵を受けている人もいるさ。そういう人がいないとコウたちは困るさ。誰にも何もわからなかったらどうにもならないでしょ(笑)? わからない人にとっては、分析してくれる人がいるのはとってもありがたいし、うれしいことだから。それはとっても素晴らしいことだよ!

−−Coccoさんの歌を聴いている方も、それを聞いたらすごくうれしいと思うし、そこで一つのコミュニケーションが成立しているようにも思います。ところで歌詞に英訳をつけるのはなぜですか?

自分でも歌詞の意味がわからないから、それを知りたいという思いが、多分あると思う。日本語は主語がなくても成立しちゃうけど、英語になったときに初めて、その主語が「あなた」なのか「私」なのかがはっきりして、ああこれは「私」のことを歌っていたんだとか、その逆だったんだと気づいたりする。

日本語の段階ではそれがわかっていないから、自分で英訳しようとするとまったく訳せなくて、別の人に訳してもらっているんだけど、他人がその歌詞を読んでどう解釈するかを知りたくてやっていることでもあります。

◆歌で人は救えない。でも……

−−誰かの歌を聴いているときに、その歌い手と自分がどこかで通じていると感じる瞬間はありますか?

いや、「つながっている」感じはしない。カイリー・ミノーグの新譜が出たら聴くけど、そこでカイリーとつながっているとは思わない。そこまで求めないというか。だって人ってそんなにつながれなくない? フランスまでライブを見に行ったことがあるぐらいカイリーは好きだけど、カイリーが私のために歌っているとは思わんし、私とつながっているとも思わんし。ただ「いいねー!」って聴くだけかな。

−−では、歌にはどんなことを求めていますか?

歌は「できちゃう」気がしちゃうんです。もしかしてこれで誰かの力になったりできるのかも、何かを変えることができるのかも、それこそ山を動かせるんじゃないかとか。戦争を止めようというときに、みんながジョン・レノンの「イマジン」を合唱したりするのを見て、歌にはすごい力があるものだという観念を持っているから、自分にもそれができるんじゃないかって、たまに勘違いしちゃう。

でも毎回、惨敗する。歌で人は救えないし、歌で山は動かないと思い知らされて、アルバムを作った後は必ず挫折する。もうあかん、何もできない、こんなことやってても何にもならない、みたいな。『クチナシ』のレコーディング中も、「アイドル」という曲の歌入れをしていたら、悲しくて泣いて、でもなんでそんなに悲しいかはわからないわけ。歌ってみるまであんなに悲しい曲だなんて知らなかったけど、めっちゃ自分の無力感に打ちのめされた。


インタビュー前編
「逆に聞きたい。つながりって何?」 Cocco、想像力が入る余地のない世界への警鐘
https://www.asahi.com/and/article/20210518/404419008/