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 1993年、パリコレにモデルとして参加して以来、モデル活動に、執筆や講演活動にとフル回転。常に前向きかつフェアなメッセージと笑顔で、多くの人を元気づけているアン ミカさん。なぜアン ミカさんは、いつもポジティブに輝いているのでしょうか。アン ミカさんが今のアン ミカさんになった秘密を、「言葉」をキーワードにし、その言葉にまつわるエピソードをお聞きして紐解く本連載。読むだけで心がちょっとラクになる、ビタミンのようなメッセージを受け取ってください。

【写真】アン ミカさん「亡き母の教え」がつまった「日めくりカレンダー」の中身

 連載第3回では、アン ミカさんが15歳のときに天国に旅立ってしまったというお母様から受け取った言葉である“4つの魔法”についてお聞きします。中でも今回は4つの魔法の中でも「姿勢を良くすること」にフィーチャー。心に留めている31個の言葉をまとめた、『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』にも入っている言葉の背景とは。
上手に笑えなかった子ども時代

 私は、今でこそポジティブさと明るい笑顔をトレードマークにしていますが、幼少期はコンプレックスだらけで、上手に笑うことすらできない子どもでした。そのためか当時の記憶はほとんどなく、ただ「恥ずかしかった」という感情だけが今も残っています。

 我が家は兄、姉、私、妹、弟の5人きょうだい。私以外の4人は高身長で成長も早かったのに、私は小さく生まれたうえに誕生日が3月の終わり頃だったこともあり、皆に比べて小柄でした。しかもぽっちゃりしていて、身内が集まった時など、親せきから「あんただけ本当の子じゃないから仕方ない」「橋の下で拾われたんだよ」などとからかわれ、ひどく傷ついた覚えがあります。

 その頃の我が家は、4畳の部屋に両親を含めた7人がひしめき合って暮らす極貧状態。実際に、川沿いの橋のたもとに住んでいたので、親せきの言葉にはリアリティがあったわけです。

 家は二階建ての数軒が裏の階段でつながった、いわゆる昔の長屋スタイル。共通の中庭のようなスペースが、工場として使われていました。そこには段ボールの山があったのですが、ある日、私は階段からその山に落ち、口の中を切ってしまったのです。

 笑うと唇がめくれて黒ずんだ傷が見え、近所の友達と遊んでいると「お化け」「口が黒くて怖い」と言われます。唇がめくれないように気をつけて笑うと引きつった妙な顔になり、ますます怖い。私は笑うことをやめ、いつもうつむいて過ごすようになりました。
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(略)