【芸能】ジャニーズ退所の近藤真彦 中森明菜との「金屏風会見」の深層 [砂漠のマスカレード★]
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ジャニーズ事務所の”長男”だった近藤真彦が、4月いっぱいで退所することが発表された。これまでの彼に対する事務所の”過保護ぶり”を知るものにとっては、何だか隔世の感を禁じえない。
近藤といえば、‘87年『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞。まさにジャニーズ事務所を発展させた功労者の一人であることは、誰もが認めるところだろう。
だが、昨年11月に『週刊文春』が25歳年下の女性社長との5年に及ぶ不倫関係をスクープ。その責任を取る形で、芸能活動を自粛していた。
だが、これまで事務所の“長男”という位置づけだった近藤は、当然、他のタレントとは別格の扱いだった。‘15年に起こったSMAP独立騒動の際、事務所内の序列について聞かれたメリー喜多川副社長(当時)は、記者に対し
「うちのトップはマッチです」
と断言した。SMAPや嵐などの人気グループを差し置き、事務所の実力者がそう間髪入れずに答えたことに、彼女の寵愛ぶりがうかがえた。
そんなジャニーズ事務所が近藤のピンチのため、まさに“事務所総出”で対応した一件があった。それは昭和が終わった半年後、平成元年の夏のことだった…。
芸能ジャーナリストの佐々木博之氏が2019年5月に執筆した記事を再掲する――。
◆交際がご法度とされていた時代に
夏と言っても、そのころの東京は猛暑日になることは少なく、夜になれば心地よい風が吹く日もあった。“明菜緊急搬送”の一報が『FRIDAY』編集部に入ったのはそんな日の夜だった。
《「恋人」マッチの自宅浴室で「自殺」はかり…明菜哀し!鮮血に染まった「愛」の行方》
当時発売された『FRIDAY』にはこんな衝撃的なタイトルが踊っていた。そして記事はこんな書き出しで始まっている。
《その119番通報があったのは、7月11日の午後4時49分。「中森明菜さんが左手を切ってケガをしています」。電話の主は近藤真彦(24)自身だった。救急隊員が東京・港区のマッチの自宅マンションに駆けつけたとき、中森明菜(24)は居間に寝かされていた傷は左腕関節内側を安全カミソリで切ったもの》
この日、明菜は仕事がオフ。運転免許の更新をしたあと、近藤のマンションに出向いたという。一方、近藤は地方での仕事を終えて、自宅に戻ってきたところ、浴室で血を流して倒れている明菜を発見。彼女は救急車で慈恵医大病院に運ばれ、緊急手術がなされたが、命に別状はなく入院2週間と診断された。
“明菜自殺未遂”の情報は全マスコミに伝わり、病院にはテレビの中継車や記者が続々と詰めかけた。ただ院内に入ることは許されないので、記者たちは明菜が入院したとみられる病室の窓をじっと見ているしかなかった。
明菜の姿を捉えようと、その日から連日、記者たちは病院近くで待機することになったのだが、すきを見て退院したのか、明菜は忽然と姿を消してしまったのだ。
アイドル同士の交際が御法度とされていたこの時代に、ふたりは6年間もの交際を続けていた。何度となく結婚の情報が流れ、この翌年に某テレビ局が二人の結婚式を生中継するという話まで出ていたほどだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/18b135ccfaf9d48f746953d43cb52e6076bdb545
4/30(金) 21:32配信
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この記事についてツイート
https://www.youtube.com/watch?v=bbPm2q65NiE
中森明菜 - セカンド.ラブ
https://www.youtube.com/watch?v=rcaPgKJc4GQ
あなたのポートレート 中森明菜
https://www.youtube.com/watch?v=ev1Q1pglm3M&t=2s
中森明菜 1989 04 「LIAR」 いったい明菜に何が起こったのかー。
取材を進めていくと、近藤と明菜の結婚に対する温度差が明らかになった。
「6年も交際していたわけですから、明菜はすぐにでも結婚したかったんでしょう。しかし、近藤はまだしたくなかった。30歳までは自由でいたかったようです」(芸能プロ幹部)
しかし、そんな理由だけでいきなり自殺を図るだろうか。
当時、近藤はカーレースにのめり込んでいたのは周知の事実。レースは莫大な費用が掛かる。近藤がエントリーしていたクラスは年間1億円は必要だと言われていた。人気絶頂のアイドルではあったが、仕事のギャランティーだけでなんとかなる額ではない。ましてレースに夢中になるあまり本来の仕事がおろそかになっていたとまでいわれる状況。もちろんスポンサーはついていただろうが、それだけのお金を用意するのは大変なことだったろう。
明菜が貯めていたお金をレースにつぎ込んでいたという話もあった。しかもそのお金は、ふたりが結婚した後、一緒に住むための新居を購入する資金だったとも。
後年、明菜の元所属事務所関係者に会う機会があった。そのとき彼は、近藤が書いた借用書を今でも持っていると言っており、彼が言うには、金額は数千万をはるかに上回っていた。しかし現物を見ていないので、真偽のほどはわからない。
そんな状況の中で、明菜のガラスのハートが砕け散ってしまうような“事件”が起きる。 同じ平成元年の2月、明菜のライバルであった松田聖子と近藤がニューヨークで密会していた写真が『FRIDAY』に掲載されたのだった。後日、聖子は釈明会見を開き、密会を否定したが、これが事件の引き金になったのではないかと、言われている。
あれから30年たったが、明菜の口から語られることはなく、真相はいまだに明らかになっていない。
話を戻そう。マスコミは病院から消えた明菜を、血眼になって探したが、どこもその姿を捉えることはできなかった。しかし、秋も深まり始めたころ、『FRIDAY』にある情報がもたらされた。
「明菜の所属事務所社長が、あるマンションに頻繁に出入りしている」
というのだ。社長の住居かもしれないが、情報によれば彼は夜に訪れ、1時間もしないで出てくるという。そしてそのマンションには、なんと近藤が住んでいるというのだ。
騒動からおよそ3か月が過ぎた10月。近藤は事件現場となったマンションを引き払い、新しい部屋に引っ越していた。山手線の駅からほど近いところに建てられたそのマンションは超豪華億ション。彼が住む部屋は40坪4LDK、リビングは20畳超の広さで、推定評価額は5億円とされていた。おそらく購入したのではなく賃貸だったと思われるが、それでも家賃は月100万円は下らなかっただろう。
さっそく張り込みを開始。だが、この張り込みはそうそう楽なものではないだろう、というのは最初から予想された。
当時からジャニーズ事務所のマネージャーたちの危機管理能力は業界一と言われていて、警戒心も半端ない。執拗に追いかけてくるファンと週刊誌をかわすために、日夜、“技”を磨いていたのだろう。
我々の目的はあくまで明菜だ。近藤のマネージャーに悟られてしまっては元も子もない。張り込む時間帯は近藤が仕事に出ている昼間と、帰宅して、送ってきたマネージャーが帰ったことを確認した後とした。 張り込み始めて1か月。近藤の出入りは確認できたのだが、肝心の明菜は一向に現れない。ただ、件の事務所社長がときおり、アパレルメーカーのロゴが入った大きな紙袋を抱えてマンションに入っていくのが確認された。このマンションのどこかに明菜がいるはずだ。いるとすれば、必ずいつかは外に出てくるはずだ。
しかし、何も起こらないまま時間が過ぎていった。近藤の姿も社長の姿も確認できない日が続くこともあった。そうなると、“ここに明菜なんていないんじゃないのか、あの社長は誰か別の人に会いに来ているんじゃないか”、と、誰もが疑心暗鬼になってくる。
そんな気持ちを抱えながらも、取材は継続していたのだが、その疑念が晴れたのは、年も押し迫ったある日のことだった。マンション各戸の空調設備の工事が始まったのだ。
工事終了後、作業員をつかまえて、中の様子を尋ねてみた。すると、住人の中でなぜか近藤だけが、家の中に入るのを強く拒んだというのだ。
家の中には絶対に見られたくない“ヒミツ”があったのだろう。“明菜は絶対ここにいる!”。気持ちを新たにして張り込みを続けたが、結局その姿を捉えることができないまま、今年はここまでと“仕事納め”の日が来ることになった。
年が明けたら、張り込みを再開することにして、チームはいったん解散したのだったが……。
世間はお正月の準備に大わらわとなっている、そんなときだった。なんと、大晦日に明菜が記者会見を開くというではないか。
彼女は絶対あのマンションから会場に向かうはずだ、そう読んだ我々は再び現場に急行。地下駐車場の出入り口前にカメラマンを配置して、待つこと1時間。駐車場のシャッターが上がり、1台の白い車がゆっくりと出てきた。
その後 明菜は物議をかもした例の“金屏風会見”に向かったのだが、同席した近藤は、会見に出席する予定はなかったと前置きしたうえで、
「今日も明菜ちゃんと社長がわざわざ家まで挨拶に来てくれたので」
と語っていて、この日、明菜はあくまで、自宅に訪ねてきたことを強調。
さらに、 「(復帰会見)のお手伝いが少しでもできたことに、すごく喜びを感じています」
と、“自殺未遂騒動”には無関係であるかのような発言と、結婚については、
「そういうことはまったくありません」
と完全否定した。金屏風を見て、てっきり“婚約会見”だと思った報道陣が白けてしまったのは言うまでもない。
だが一番かわいそうだったのは明菜だ。彼女もそんな会見だとは想像もしていなかったのだろう。彼女の何とも言えない悔しそうな表情がそれを物語っていた。
会見の締めくくりに、近藤は、
「これからはオープンな交際をしたい」
と語っていたが、その後はご承知の通りだ。 “金屏風会見”を報じた『FRIDAY』(’90年1月26日号)の記事は最後、《今年の暮れには『紅白』にそろって出場してもらいたいものだ。》となっている。しかし、この年ふたりが出場することはなかった。
近藤と別れた後も、芸能活動を続けていた明菜だったが、芸能界から疎遠に。さらに体調不良も重なって、10年にはついに活動休止となってしまった。その後、NHK紅白歌合戦にゲスト出場、ディナーショーを再開するなど復帰の兆しが見えたのだったが、最近の活動は順調とは言えないようだ。
多くの芸能関係者が、その原因はすべてあの“金屏風会見”にあると語るように、彼女にとっては大きなトラウマとなっているのだろう。
あれから30年、近藤はジャニーズから去ることに。だが、“歌姫”はいまだに表舞台から消したままだ…。 >>7
出川が一番ホッとしてそうww
俺よりイメージダウンしそうで話題性がある、とか思ってw 可哀想すぎる 明菜が
全然タイプじゃないけど可愛そうです >>1
糞みたいなヤラカシでジャニーズ事務所を辞めた腐れ老害近藤真彦の貰い事故に遭っている中森明菜さんか気の毒だ
Twitterでマッチ、マッチ喚いている頭の湧いた婆さん達が中森明菜さんにずっと嫌がらせを繰り返していたのだろうね >>1
バブル期のコンポのCMが良かったな。
ミニスカ最高やで。 明菜は「素顔のままで」も「古畑任三郎」もよかった
演技上手いのにもったいない 金屏風バックで謝罪会見は斬新だよな
喪服で謝罪会見に通ずる気持ち悪さ 糖質新木キモヲタの正体
何度もアク禁になるが金を払って戻る糖質
消去キャップをコイツ売る運営もクズ
処女棒のキモおっさんw
レズは何しても処女w
新木はバイ
何度も犯罪書込みして常に察に狙われてる
すぐにチョン連呼のチョンコロ
新潮がガセとの賜るが新潮には事務所も抗議してない よって、新木は幸福科学信者は確定してる >>2
過去のスキャンダルも蒸し返されられたり、ほとほと近藤クンは人望無いのネ 金屏風の頃子供だったから2ちゃんで知ったんだよなあ
メリーももう怖くないみたいだし真相知りたいわ >>12
近藤本人よりも、糞ばばあヲタの方が腹立つナ まあ、明菜と結婚しても結局離婚してたやろ
明菜に稼がせて仕事レースばっかだろし >>21
さすがジャニオタ
事務所は悪くなーいで馬鹿か 古畑任三郎の第一話
明菜ファンのみきたにが切望して実現したな
犯行を認めた後の
「なんであんな男のために自分の人生を棒にふらなきゃいけないなんて」
って応援の意味も込めてたよねなと思う 「中森明菜」1995年1月マルコポーロ
家族のために17歳で働き始めた。
87年9月・「大明華ビル」開店
(1Fには、父親、長姉夫婦、次兄夫婦のそれぞれ経営する飲食店。2・3Fは賃貸居)
88年5月・父親のお店だけが営業する事態に。
五年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何にも分かってくれなかった。
事務所のいうことを信じて、私を信じてはくれなかったんです。
家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。
たとえば恋愛なら、たかが・・・って自分に言い聞かせられるじゃないですか。
相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。
でも、血が繋がっていると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね。
長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。
でも自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。
頑張らなんですよ。
その後も四年も五年も仕事しないし、何かちょっとやっても、すぐにやめちゃう。
そんなのを見ていると、私が歌手になったのが間違ってたんじゃないのか、そう思えたりして・・・。
そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月私のお金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。
会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。
私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。
近藤さんに対しては、騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした。だから、数ヶ月後に彼にはお別れをいいました。
今、私の気持ちの中には尾を引いているものは何もありません。
女性週刊誌などは、おもしろおかしく私の心理を書いてくれますけどね。 YouTubeに転がってたからみたがガッツリ突き放してんな
さらに自分は歌にドラマにレースに紅白歌合戦w
死んでくれ >>17
それって金屏風の数年後なんだよね
大成功といってよい状態だったのになんでそのまま復活出来なかったのかな >>1
いつまでこうやって明菜本人が否定してることを書くんだ?
明菜本人が自殺未遂の原因は親兄弟のせいだと言ってる
明菜本人が大金をマッチではなく親兄弟にとられたと言ってる
明菜本人が親兄弟と所属事務所社長がグルだったと言ってる
明菜本人が付き人の本はガセだらけだと言ってる
明菜本人がマッチの部屋で自殺未遂したのはマッチなら助けてくれると思ったからと言ってる
明菜本人がマッチを巻き込んでしまって申し訳ないと言ってる いつまで金屏風って言い続けるんだろうな
事務所に別れさせられた近藤マッチだって被害者だろ そろそろ息子がジャニーズに入りそうな年齢だよね
タッキーだから受け入れないか 当時SNSがあったらなあ
海外逃亡待ったなしだったのに マッチは枕しまくって人の心を失ってしまったんだと思う この件はSMAPの生放送謝罪会見も仕掛けたスマイルカンパニー&ジャニーズエンタテイメントの元社長『小杉理宇造』でググれば分かるよ。金屏風会見後の明菜にした酷い仕打ちや裏切り行為とか。 >>25
現在もTwitterに沢山湧いてますよ
Twitterのマッチ大好き婆さん達を見ていると、馬鹿芸能人に寄生しているヲタカスどももやはり馬鹿だなと改めて思う ジャニー爺さんかメリー婆さんかどっちかと枕しないとジャニーズでは大成しないのか 会見のセッティングなんてマッチ一人でできる訳ないし全責任をマッチに押し付けるなよ
メリー婆が裏に居たんだろ >>21
ホテル側の案だったと記事で読んだことある
未遂の原因は聖子さんではなくマッチが浮気してた年上の女優だとかね 金屏風会見を仕切った小杉理宇造もジャニーズに関わるのをとうとう止めたし
もう終わりだね >>32
精神や波があるし必ず完治するわけじゃない
明菜の復活ライブ2日間のどっちかのリハでマッチ結婚知らされて倒れたって記事見たけどメリーヤバすぎ >>41
小杉理宇造って名前をSMAP騒動で知ったけどこの人が出てきたからメリーの寵愛を受けていたマッチ金屏風も掘り起こされ叩かれまくっていた
所属タレントSMAPについても人間とは思えないコメントしていた
キムタクの庇いかたもおかしかった >>50
あの人裏でまだ糸引いてるのかな
SMAP騒動のあと1人自殺してるよね
マッチ嵐TOKIOかわいさにハミゴのグループ憎しで潰したけどまさか5年で退所だらけでこんなことになるとはね >>6
で、この時明菜はマッチのマンションにいたの?
この記事分かりづらい。 昔明菜が歌った「駅」について某アイドルがあんな歌い方して〜みたいに山下達郎が明菜をネチネチdisってたって
SMAP騒動の時に2ちゃんで見たけど小杉繋がりだからなん? 明菜の親兄弟に前の事務所社長が勝手に金を貸して
明菜は借金返済のために奴隷のように働かされてた
そこで小杉たちが明菜を救うために前の事務所から引き抜いた
事実小杉のとこに行ってからはドラマ主演したりバラエティー出たり楽しそうに仕事してた >>18
明菜がファンに元気な姿を見せたいと開いた復帰会見だから >>35
どうして明菜本人の言葉を信じずにいい加減な週刊誌記事を真に受けるんだろうね
マッチ別に好きじゃないがマッチのせいで再起不能になったみたいに言われ続ける中森明菜がかわいそうだ
実際はちゃんとその後に復帰して活躍していたのに >>56
山下達郎とマッチというかジャニーズと繋げたのは当時山下達郎の右腕で事務所社長だった小杉理宇造。その後ジャニーとメリーに気に入られてジャニーズエンタテイメントの社長に就任。 >>45
会見のセッティングはワーナーパイオニアの社長がやってるし会見でも冒頭でそう説明されている そういえば吉川ひなのも、両親に使い込まれ続けて賠償金覚悟で仕事をやめたとか書いてたな。 ジャニーズ抜けたらすぐにクズ扱いでフルボッコ
今までそんなクズを匿ってた事務所を叩けよw >>54
結果は得られなかったけど自分達はちゃんと仕事をしていた。
の1行でまとめられる内容をグダグダ書いているだけ (自分も含め)あの会見をリアルタイムで見てた人は
今だにマッチのことを蛇蝎の如く嫌ってる奴が多いよなw >>56
それ、たしか竹内まりあのベスト盤かなにかのライナーノーツに書いてあったんだよね
嫁の記念アルバムに人の悪口書き連ねる山下達郎も、書かせた竹内まりあも、最低のゲス野郎だと思った >>64
ジャニーズいた頃からフルボッコだったけど? 都市伝説的な中森明菜が結婚資金として貯めたお金を溶かした話しがあるよね
それ以前に中森明菜の心を壊してそう
それも完膚なきまでに… >>56
元々、その曲は
主演映画予定だった道のメインテーマ曲
代役は藤谷美和子 >>70
近藤真彦だけじゃなくて、彼女の家族も大概なことしでかしてるからな。 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(1)
中森明菜復帰会見の文字起こし
テレビレポーター
「どういう話になるのか検討もつきませんので、しばらくこのまま様子を見たいと思います。」
会見開始
ワーナー中山代表
「…の設立を発表させていただいた際に、関係各所の方々の並々ならぬご心配と、ファンの方々のご心配を彼女が触れまして、ぜひということであれば、元気な姿を皆様の前に見せることによって、ご挨拶に変えさせていただきたい、その時に、新しい旅立ちに際しまして、本人の意向をここで述べさせていただきたい、ということで、こういう会を催させていただきました。
皆様、よろしければご清聴いただきたいと思います。」
司会者
「ただいま、中山代表から話がありましたように、この(12月)28日に新会社設立のための記者会見をいたしましたが、(明菜)本人は、『ぜひぜひ年内に私の元気な姿をお見せしたい、そして私自身から皆様方に私の真意をお伝えしたい』という希望がありまして、急遽、本日記者会見を行ったわけでございます。ですので、私の声よりも、言葉よりも、(明菜)ご本人の言葉をひとつぜひ聞いてあげてほしいと思います。6ヶ月ぶりに皆様にお目にかかる本人でございます。では、明菜さん、どうぞ。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(2)
中森明菜
「はい、えー、皆さん、今年も暮れるこんな皆さんお忙しい時間に、こんなにたくさん集まっていただきまして、本当にありがとうございます。
えー、皆さん、生きていらっしゃる限り、一人ひとり色々な悩みを抱えて生きていらっしゃると思います。それを一生懸命乗り越えて、頑張っていらっしゃる方、たくさんいらっしゃると思います。私も自分なりに必死に耐えましたし、頑張ったつもりです。ですけれども、勝手な自分のわがままな行動に出てしまい、皆さん、これまでも、今年(こんねん)までもご迷惑をおかけし、そしてご心配をおかけしたこと、本当に深くお詫び申し上げます。そして何よりもやっぱり、テレビの前の向こうでもうすぐ来年を迎えようとしている私の大切なファンの皆さん、ごめんなさい。」
「これからは、つらいことに負けないように、明るい私でいきたいなって思います。仕事は、仕事をしていく限りではいいことばかりではありませんし、つらいことのほうが多いと思いますけれども、これからは、新しい、私が心の底から信用していけるスタッフの方達に囲まれて、仕事が順調に進めていけるんじゃないかなって思います。
色々な希望を抱いて、明菜の笑顔はいつもいいなって言ってもらえるように頑張っていきたいし、そういう素敵なスタッフとみんなと一緒だったら、つらいことも耐えていけるんじゃないかなと思います。
これから一生懸命、皆さんにご心配ご迷惑をおかけしないように頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
「そして年内に元気になった私の姿を皆さんに見ていただきたいと、わがままを聞いていただいて、この席を作っていただいた、今私の隣にいるワーナーパイオニアの中山社長さんに、ご迷惑をおかけして申し訳ないという言葉と、そして心からお礼を申し上げます。本当にどうもありがとうございます。
そして、私がこうして皆さんの前に出られるように、毎日毎日元気づけて、励ましの言葉を送ってくれた近藤真彦さんにも、私なんかよりももっともっとつらい苦しみを与えてしまったと思います。そのお詫びと、心からありがとうを送らせてください。本当にどうもありがとう。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(3)
ここから近藤真彦が着席
司会者
「…写真は後ほどということで、はい、近藤さんどうもありがとうございます。
色々とこういう会見の場になかなか近藤さん来ていただけるかどうかわからなかったんですけれども、お忙しいところ時間を割いていただきまして、急遽出席していただけることになりました。
近藤さんからも彼女に一言励ましの言葉をいただきたいと思います。」
近藤真彦
「どうも、近藤真彦です。えー、まず一番始めに喜ばなければいけないのは、彼女がこうして皆さんの前に出れたということだと思います。
これはもちろん僕も、そしてここに今日来ていらっしゃるマスコミの皆様も、一緒に彼女を応援していってあげなければいけないと思います。
えー、まあこの半年間、事件のことに関しては、黙っていなければいけないというつらい立場にありまして、僕にとって非常につらい半年になりましたが、こうして明菜ちゃんが復帰するレールをひくお手伝いが少しでもできたということに、すごく今喜びを感じ、1989年、最後こうして飾れたということが一番僕にとって嬉しいことです。
えー、まあ来年、僕も歌手として10年を迎えるわけで、歌にドラマにレースに、そしてNHK紅白歌合戦に出られるように、頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(4)
記者
「この日(大晦日)この時間にですね、やろうってのは…」
司会者
「後程ご質問は」
記者
「いや質問じゃなくて、事務所の会見なんですか、テレビで生中継してますよね、番組のためなのか、どっちなのかその辺もっとはっきりしていただきたい。」
司会者
「合同の記者会見になっておりますので…」
記者
「なるほど、はい、それを中継しているということで、なるほどはいはい進めて下さい」
司会者
「時間のほうもあまりございませんので、質疑応答に移らせていただきたいと思いますけれども、一人ひとりのご質問をお受けしておりますと時間のほうも足りないと思いますので、時間をこちらのほうで、まことに勝手ではございますけれど区切らせていただきたいと思います。
ではこれから5分間の間、質問を受けさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(5)
記者
「明菜さん、蒸し返しちゃって申し訳ないんですが、そうするとね、今思い返して死のうと思った一番大きな原因は何だったんですか?
色々あの近藤さんのことですとか、家族関係ですとか、事務所のこととか言われましたが、その辺をファンは一番心配してると思うんですよね、なんだったんでしょうね。」
中森明菜
「えー、本当にあの、この短い時間では言いようのない、本当につらいことだったんですけれども、私が仕事をしていく上で、一番信頼していかなくちゃいけない人達を、信頼することができなくなってしまったっていうことです。後は短い時間では言えません。」
記者
「仕事が一番の原因だったということですか?」
中森明菜
「はい、仕事をしていく上でのことです。それをお話したいんですけれども、長くて伝えることができないんです。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(6)
記者
「場所を選ぶ時にはまず近藤さんの部屋というのが頭に浮かんだということですか?」
中森明菜
「はい、本当に今となっては、本当になんて愚かな、なんてバカなって自分でも思います。
っていうのは、一番自分が信頼のできた、信用のできた本当にたった一人の人だったので、近藤さんのマンションに行ってしまって、そしてやっぱり、一番最初に見つけてほしかったなって思ったんですけど、そんな一番大切な人をこんなに傷つけることになってしまって、どうしようもないバカだと思います。」
女性記者
「でも明菜さんの思い通りに一番最初に近藤さんが明菜さんを見つけてくれて、そしてまた今日へと導いてくれたのも近藤さんの力が大きかったと思うんですけれども、今、近藤さんにはどういうお気持ちですか?」
中森明菜
「もう、感謝の言葉を言い尽くしても足らないと思います。どんなことをしても償えないと思います。想像のつかない苦しみだったと思います。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(7)
記者
「近藤さんとは密にお二人連絡をとっていたのですか?」
中森明菜
「私は、こんなに迷惑をかけた、かけてしまったものですから、私の方からはそんなわがままは通りませんから、でもちょくちょくと励ましのお電話をいただいたり、お手紙もいただきましたし、
『本当に皆ついてるから、あなたが元気になるのが皆が一番嬉しいことだし、皆が喜んでくれるし、恩返しなんだから、一日も早く元気になることがみんなへの恩返しなんだから頑張りなさい』ということはいただきました。」
記者
「体の具合なんですが、傷がかなり深くてですね、神経までいっててその手が動かなくなってるんじゃないかという報道もあったんですが、その辺はどうなんですか?」
中森明菜
「私は小さい頃から体が弱かった方ですけれども、転んでも泣かない質だったし、ケガは精神で治すのは結構得意なほうだったんで、病院にいる時からお医者さんも回復力にはびっくりして下さってました。ですから、今はもう皆さんがご心配くださるほど…」
記者
「今はもう全然大丈夫なんですね?」
中森明菜
「今はもう元気です。」
記者
「よかったですね。」 中森明菜 金屏風会見
全文文字起こし(8)
記者
「近藤さんにお尋ねします。
あの、今までですね、色々まあ報じられたりして、でもこうお二人一緒になるチャンスってのはまずなかったと思うんです。
今日、この場でこうしてファンの前にね、姿をまあ二人揃って現したわけですが、これから先もずっと明菜ちゃんの支えとしてなってあげようというお気持ちは?」
近藤真彦
「もちろん必要な時には、えー、僕でよければね、色々なアドバイス、まあその他もろもろ、今日も記者会見に僕は出席する予定は最初はなかったんですが、中森明菜ちゃんと、社長の中山さんがわざわざうちまでご挨拶に来てくれまして、それだったら僕も一緒にということで、出席させていただきました。」
記者
「明菜さんがああいう事件を起こした時にね、おつきあい…」
司会者
「そろそろお時間が…」
記者
「結婚しようとか婚約しようとか話にはどうなってんですかあ?
その辺明菜さんでも近藤さんでもいいですけども、おつきあいずっとこう半年継続してきたわけですよね。」
近藤真彦
「はい」
記者
「ですから、まあ大晦日で年が明けたらね、婚約しようとか結婚しようっていう、そういう詰めの話ってのは口にのぼってきてるんでしょうか?」
近藤真彦
「あの、そういうことは全くないんですが、えー、まあスドウさんにお話するとまた話がめちゃめちゃになってしまいますんで」
スドウ記者
「めちゃめちゃって」
近藤真彦
「嘘ばっかり言われてしまうんで、今日はスドウさんの質問は避けるという心構えでこの席に出席しました」
他の記者
(笑)
近藤真彦
「以上」
司会者
「そろそろお時間ですので…」 自分は近藤真彦のファンでもなんでもない
でもマッチの不祥事や不用意な発言の度にこの金屏風会見と称してネット上の聞きかじりのネタで中森明菜の復帰会見を持ち出すのは中森明菜を侮辱しているようで本当に腹が立つ
明菜は大人っぽく見えたけど当時まだ24才
それなのにちゃんと自分の言葉でしっかりファンに向けて、新しいスタッフとともに笑顔で復帰再スタートを切るために大勢の記者の前で記者会見を行った
あの若さでどれほど勇気がいることだったかと思うし話す内容も前向きでしっかりしている
その後も明菜は月9ドラマに主演したり色々な音楽番組にも出て活躍していたのに、金屏風会見で再生不能になったみたいな書き込みは中森明菜を侮辱していると思う >>87
歳だけ食った昭和脳の盲信明菜ファンほど平気でそれをやってるところがある
中森明菜はファンに潰されている面が昔からあるね 顔の好みはあるが、56歳とは思えない。
周りの人間を騒つかせる魔力を持ってる男だな。 昔筑波でマッチと走った事ある
ストレート「は」速かった
最終コーナーが笑う程遅かった 筋金入りの
中森明菜信者は
まだまだ健在なようでw
芸スポに
中森明菜のスレが立つなんて
何年ぶりだろうなw >>85
中森の常設スレは常駐してる明菜主と呼ばれる基地が仕切っててマトモなファンいないぞ
私物化して自分を批判する明菜ファンに毎日キレて被害妄想垂れ流しながら自作自演して運営してる
常設でマトモなのはオカマ板の中森スレくらいだな、、、自分はオカマ苦手なんで見るだけだが 明菜スレッドを荒らしてる異常なアンチは有名だからな >>96、97
↑早速、有名な明菜主がやってきたみたいだw 近藤バッシングでファンが八つ当たりしてるのがアンチ明菜w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています