【野球】首位打者は過去ゼロ人…ルーキーが最も多く獲得している個人タイトルとは? [首都圏の虎★]
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1年目のルーキーの活躍が例年より目立つ今シーズン。特に注目されているのが阪神の佐藤輝明と広島の栗林良吏の2人だ。ここまで佐藤輝はリーグ3位タイ、3・4月の新人月間最多本塁打に並ぶ7号をマーク。一方、栗林は現在8セーブでリーグ1位タイと、ともに1年目での個人タイトル獲得が期待される存在だ。では、プロ1年目のルーキーが最も多く獲得している個人タイトルはどの部門なのだろうか?
※記事内の成績は2021年4月28日終了時点のもの
1年目選手ではそうそう獲得できない打撃タイトル
1950年以降を対象に、まずは打撃タイトルから、各部門のプロ1年目での獲得選手を調べてみた。
●首位打者……0人
プロ1年目で首位打者になった選手は過去0人。これまで数々の黄金ルーキーが誕生したが、その誰もが首位打者には届かなかった。プロ1年目での最高打率は、元阪神の坪井智哉が1998年に残した.327。前田智徳、鈴木尚典と首位打者争いを繰り広げるも、残念ながらタイトル獲得とはならなかった。
●最多安打……0人
1956年に佐々木信也、1958年に長嶋茂雄が最多安打を記録しているが、当時はタイトル制定前。1994年に最多安打のタイトルが創設されて以降は、実はルーキーで最多安打をマークした選手はいない。現在安打数がリーグ4位タイのDeNA・牧秀悟が獲得すれば史上初だ。
●最多本塁打……2人
・長嶋茂雄:29本塁打(巨人/1958年)
・桑田武:31本塁打(大洋/1959年)
最多本塁打のタイトルは、過去に長嶋茂雄と桑田武の2人が獲得している。長嶋は1年目ながら本塁打を量産し、当時の新人本塁打記録を更新する29本をマークした。しかし、翌1958年に大洋のルーキー・桑田武が長嶋超えの31本を放ち、2年連続でルーキーが本塁打王に輝いている。ちなみに、1986年には高卒1年目の清原和博が桑田に並ぶ31本を記録するも、本塁打王は逃している。現在、佐藤輝は10本のヤクルト・村上宗隆、山田哲人に次ぎ、同僚のサンズと並ぶ7本。果たして、史上3人目の快挙となるか。
●最多打点……1人
・長嶋茂雄:92打点(巨人/1958年)
1年目での打点王は過去に長嶋一人だけ。新人最多は1950年に戸倉勝城が記録した96打点。しかし、この年は別当薫の105打点に及ばず快挙とはならなかった。そう考えると、長嶋は1年目から本塁打王、打点王の二冠を達成。表彰こそなかったが最多安打に3割打者と、まさに最強のルーキーだったといえる。
●最多盗塁……2人
・赤星憲広:39盗塁(2001年/阪神)
・近本光司:36盗塁(2019年/阪神)
新人での盗塁王は過去に2人。2000年代の阪神を支えた一人である赤星と、現在の阪神で不動のリードオフマンとして活躍する近本だ。赤星は1年目の2001年から2005年まで5年連続で最多盗塁をマーク。近本は現在2年連続で盗塁王となっているが、ぜひとも赤星が残したセ・リーグ記録を更新してもらいたいところだ。
●最高出塁率……0人
パ・リーグでは1962年、セ・リーグでは1967年から表彰が始まった最高出塁率も新人による獲得はなし。タイトル制定前ではあるが、あの長嶋も1年目の出塁率は.353で、リーグトップとはならなかった。牧の出塁率は.347で現在リーグ12位。今後次第ではあるが、トップは遠そうだ。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/998819ce76a95aa2909199f206d3943f65518beb >>2
調べたら小坂新人の年、盗塁王は松井稼頭央だね >>1
最多勝だろ
木田、野茂、上原、松坂
さらに昔を調べたらもっといるはず >>9
全文読んだら防御率だって
防御率12人
最多勝9人 ベース踏み忘れがなければホームラン30本でトリプルスリー達成 長嶋の記録は参考記録だな、後楽園なんて翼側80メートルもない少年野球サイズ
あんなとこなら誰でも30本打てる >>16
この年のセは3割打ったのが首位打者の田宮謙次郎と長嶋の2人だけ
いかに図抜けてたかわかるわな ベイスターズの金城が新人王と首位打者をとってたけどルーキーではなかったか 1 .223 国松彰
2 .219 高林恒夫
3 .253 王貞治
4 .353 長嶋茂雄
5 .256 坂崎一彦
6 .223 森昌彦
7 .203 広岡達朗
8 .158 藤本伸
9 **** 中村稔
1961年の巨人打線だが長嶋だけずば抜けてるんだよな
他がひどすぎるっていうのもあるが
人気が出ない方がおかしい ルーキーっていっても、高卒ルーキーと大卒ルーキーと社会人ルーキーじゃ全然違うからな。 長嶋すげえな
最多安打もクリアしてるし
制定前とかそんなの関係ないわw ルーキーが最も多く獲得しているタイトルって、新人王じゃないの? >>31
高卒ルーキーだと打撃タイトル獲得はいないね
投手は宅和、稲尾、堀内、松坂と4人いるけど 長嶋ってベース踏み忘れなければホームラン30本になってルーキーでトリプル3だったんだよな 元記事の本文を見たら
投手の方は新人でタイトルホルダーも多いのな 王長嶋は狭い球場だから参考記録
金田もレベルの低い時代だから参考記録 >>29
一本足前のワンちゃんも「オー!オー!三振王!」と揶揄されるほど酷くはなかったのね。
つーか、もしかしたら一本足にしてなくてもブレイクしてた可能性あるんじゃね? >>35
プロ入りして2年間は一軍と二軍を行ったり来たり。
当時は無名の投手上がりの打者だったしね。 >>25
イチローもそうだが、レギュラーに定着して規定打席到達1年目に首位打者ってパターンは結構いる印象 王さんて入団三年間(S34〜37)はパッとしてないんだな >>44
清宮や根尾より打ってるけどな(´・ω・`) >>40
金田は200勝したのが24歳くらいの時w >>44
巨人はちょうど入れ替え期で主力打者が長嶋しかいなかった
だから長打力のある王を必死で育て上げたんだよ
よく育て上げたわ >>2
たしか56盗塁だっけ?
松井が60くらいしてた 長島の入った時代セの打撃は低レベルすぎ
パには中西山内と野村がいたからパに入ってたら新人でタイトルは無かったよ >>50
そんなこと言い出したらONの全盛期なら野村も長池も大杉もタイトル取れないぞw 長嶋がルーキーで二冠王になった時、本塁打2位打点2位も
ルーキーの森徹なんだな
いかに当時の六大学がレベル高かったかということか >>53
昭和30年前後はどのスポーツも基本大学が1番強かった
肉体的にも20代前半がピークだし組織的にスポーツする環境が1番整っていたのは当時は大学だったからね さすがにミスターのルーキー時代に田宮謙次郎では相手が悪すぎた
トレードがもう1年早ければルーキーで三冠王の偉業も達成されたんだろうけど 長嶋は三冠王取りそうだったけど
首位打者を争ってた田宮が終盤欠場して
長嶋の方は率を落としまくったんで2位に終わった とにかく長嶋のバットスピードの速さは凄かったらしい
野村がああ見逃しかと取ろうと思ったボールをスパーンと持っていかれたらしい。
そこまで引きつけたらヒットになる確率も上がるよな 長嶋は4打席4三振してプロの洗礼を受けたなんて話もあるけど、1年を通してみると無双してるな。 >>52
なんで長池とか大杉の名前が出てくるんだよwww >>58
1試合四三振とかよく考えたら珍しくもない話
野球の成績はトータルだからね >>4
ルーキーではないやつもいる。確か一番遅いのが入団四年目の関本四十四 >>60
デビュー戦で4打席4三振した選手は日本プロ野球史上長嶋とあと一人しかいない >>58
王も初打席(1959年セ・リーグ開幕戦)は金田相手に三振で、
デビュー戦は2三振・1四球。
その前日(同年パ・リーグ開幕戦)には、張本も
米田相手に三振でデビュー(その後、守備でバンザイして下げられた)。
長嶋を含め、3人ともルーキー年に開幕戦スタメンデビューなのがすごい。 >>63
新人の開幕戦スタメンはそこそこあるぞ
高橋由伸とか佐藤輝明とか >>60
トータルで見ると長嶋茂雄は凄く三振の少ない打者なんだよね >>64
長嶋を絡めちゃったんで、その指摘は当然だが、
王と張本の高卒ルーキー開幕スタメンは結構すごいよね。
これも他に例はいくらもあるけど。 金田は高校3年時、夏の予選敗退後に中退して
8月末に入団
超弱小国鉄打線を背景にその年高校中退ルーキーイヤー2ヶ月で8勝してる何か間違えてる男 22歳まで(高卒4年目・大卒1年目)に打撃タイトルを獲得した選手(2リーグ制以降のみ )
★首位打者
・21歳 豊田泰光(1956) 張本勲(1961) イチロー(1994)
・22歳 岡本伊三美(1953) 中西太(1955) イチロー(1995)
★本塁打王
・20歳 中西太(1953)
・21歳 中西太(1954) 町田行彦(1955)
・22歳 中西太(1955) 野村克也(1957) 長嶋茂雄(1958) 桑田武(1959) 王貞治(1962) T-岡田(2010)
★打点王
・20歳 中西太(1953)
・22歳 山内和宏(1954) 長嶋茂雄(1958) 葛城隆雄(1958) イチロー(1995) >>68
予選は1発勝負だから飛び抜けて強くないならよくある話 >>67
そんなカネやんはスカウトに来た国鉄監督に
「国鉄は享栄商(自分の学校)より弱いんじゃないですか?」
とか言ったそうなw >>51
荒川養子も育ってたらなあ
事件で仕方なかったとはいえ 近本の盗塁王って快挙だったのか
赤星のイメージで定期的に出てるのかと思った 1年目からコツコツ率稼ごうなんて奴は試合に出られない >>68
若い頃の金田は荒れ球投手だったみたいだから、一発勝負には弱いよな。
といっても、愛知県で準決勝進出だから悪くはない(0−4)。
負けた相手(県立瑞陵高)は、そこから3期連続甲子園で、
2年生エースだった徳永投手は卒業後プロ入りして44勝してるから
相手も強かったんだろうな。ほかにもプロ入りしたメンバーがいたみたいだし。 高卒ルーキーでいきなり26勝して
最多勝、最優秀防御率のタイトルを取った宅和本司は
今では全く知られてない選手だね >>84
プロは太く長くないと名が残らないんだよ
殿堂入りも通算成績だからな ・清原、坪井あるある
ルーキーイヤーがキャリアハイと思い込んでる奴 >>73
金田が新人の年の1950年は
11月17日まで公式戦が行われてた >>87
なるほど
にしても高校生が2ヶ月ちょいで8 勝だからな
しかもチームが当時の国鉄
18歳にして天皇に即位してたんだなw >>85
同じ年に高卒ルーキーで20勝したけど
新人王を取れなかった梶本隆夫は
長く続けて殿堂入りしたね >>84
同じ九州出身の宅和のフォームを参考にして成功したのが、2学年下の稲尾。
さらに1学年下で、稲尾のフォームを真似して成功したのが、同じ九州出身の権藤博
という流れだね。 >>67
400勝という観点で、あとから考えるとその8勝はとても大きかったよね >>84
権藤さんと違って、引退後コーチ、監督してなくて、あまり表舞台に出てないってのもあるよね
確かご存命だと思うけど >>80
正直、プロ入り1年目とかではなく、年齢で考えるべきだとは思うけどな
近本なんかはタイトル取るなら、そりゃ今だろって思うし >>95
1年目の清原みて落合がこのままじゃタイトル1つも取れないと言ってたら本当にそうなった
あの時の清原凄かったから凄く印象に残っている。 >>89
宅和と同学年、南海の同期入団の野村と皆川が殿堂入りだけど、
宅和がルーキーイヤーから2年で50勝していた間に、
野村は9試合出場・無安打、皆川は14試合登板・未勝利なんだよね。
大学経由で杉浦も同学年。都合、この学年だけで南海から3人殿堂入り
(1学年下に広瀬)。あと、宅和以上に知られてないけど、
中村大成という投手が同学年としている資料と1学年上としている
資料があって、ルーキー年(1953年)に日本シリーズに先発(同学年なら
17歳で、高校中退???)、3年目に23勝4敗の成績をあげている。
同学年なら、1955年の南海は、宅和と20歳コンビで、47勝15敗、
貯金32のすごい成績。で、ここで二人ともつぶれた。。。
(このころの鶴岡南海は1957年新人王の木村保とか、酷使でつぶした若手多数) >>57
古田と里崎が松井に対して全く同じ話してたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています