終生のライバル ユーミンの「ヒッピーJK時代」と中島みゆきの「本番スイッチ」
4/28(水) 7:05 NEWSポストセブン
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中島みゆきは同世代の女性を応援し続けた(時事)
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ユーミンの衣装にはヒッピー少女のこだわりも感じられる(共同)
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 1970年代、ほぼ同時期にデビューした松任谷由実(デビュー当時は荒井由実)と中島みゆきは今も国民的歌手として第一線で歌い続けている。キャラクターも楽曲も違う二人だが、互いに認め合った存在でもある。『週刊ポスト』(4月26日発売号)では、人気シリーズ「昭和のライバル秘話」で二人を取り上げているが、そこでは昭和の女性たちを励まし、癒やしたそれぞれの功績が紹介されている。中島がある時、ユーミンの美しいプロポーションを評して「私にはケツは出せん」と漏らした“衝撃の発言”も明かされる。

 音楽ファンにとっては、二人の音楽に対する姿勢の違いも印象的だろう。両者を古くから知る音楽評論家の田家秀樹氏はこう語る。

「わかりやすい言い方をすれば、二人ともサブカルチャーなんですよ。みゆきさんは学生運動の流れがありますが、それに対してユーミンにはアメリカのヒッピーカルチャーの流れがある。ユーミンは六本木のヒッピー少女だった。女子高生の頃からグループ・サウンズの追っかけをしていて作曲家志望。著名人が通うレストラン『キャンティ』に出入りして、ザ・タイガースから独立したトッポこと加藤かつみのソロアルバムに楽曲を提供しているんです。それが作曲家で音楽プロデューサーの村井邦彦の目に留まり、彼が立ち上げた音楽出版社と専属契約を結ぶ。それがまだ高校生の時の話です。

 ユーミンが少女の感性だとすれば、みゆきさんは母性。『時代』の歌詞にある『倒れた旅人たち』『別れた恋人たち』は、今もみゆきさんの歌に生き続けている。その後の『ファイト!』は倒れた旅人たちに向けられているし、『わかれうた』は別れた恋人たちに向けられているようにも聞けますよね」

 中島みゆきには「スイッチがある」と回想するのは、元ニッポン放送のアナウンサーで現在はフリーの上柳昌彦氏。上柳氏は『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めていた頃に、やはりパーソナリティだった中島と出会う。

「初めて会った頃、赤いトレーナーに赤いメガネをかけていたのが印象的ですね。勝手に黒い服のイメージを抱いていたので(笑)。『赤が好き』とうかがったこともあります。中島さんにはスイッチがあるんだと思うことがありました。例えばオールナイトニッポンのパーソナリティでも、南こうせつさんは本番前には本番でするつもりの話をスタッフに聞かせて笑わせているし、タモリさんは『うーっす』とスタジオに入ってきて、そのまま普通のテンションで番組を進行する。では中島さんはというと、放送前にスタジオに一人で入って、リスナーのハガキを一つ一つ静かに読んでいるんです。それが時間になって番組がスタートした瞬間、いきなりあのハイテンションになるんです。

 彼女は歌でも、曲によってはシャウトして歌い上げたり、少女のような可憐な声で歌ったりしますが、ある時、それをどうやって切り替えているのか聞いたことがあるんです。そうしたら、『曲を作ってスタジオ入りして、せーの!で出てきたもの』というんです。だからきっと、ラジオでのハイテンションも、初めてやった時に自然に出てきたスタイルなんだろうなと思っています」

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)