もうすぐ通算2000試合を迎える巨人・阪神戦。関係者に思い出を聞く「甦(よみがえ)る伝統の一戦」第3弾は、米国滞在中のランディ・バース氏(67)が取材に応じ、54発で王貞治のプロ野球記録に王手をかけた85年を振り返った。

 大記録に王手をかけ、高揚感に浸っていたバースに、思いも寄らない言葉が降りかかってきた。「今日でシーズンは終わりだな」「よく頑張ったけど、残念だったな」。1985年10月20日の中日戦の試合後。ナゴヤ球場のロッカー裏でチームメートに次々と声をかけられ、さみしさとむなしさが胸の中に渦巻いた。

 21年ぶりのリーグ制覇が決まり、個人記録に照準を絞っていた1985年のシーズン終盤。バースはこの日、ドラゴンズのエース・小松から54号2ランを放ち、巨人・王貞治の持つシーズン55本塁打の日本記録(当時)にあと1本と迫った。残すは22日(甲子園)、24日(後楽園)の伝統の一戦の2試合。だが、周囲は王が率いる巨人軍が勝負を避けるとみていた。

 「最初は意味が分からなかったけど、みんなからそいうふうに言われてガッカリしたのを覚えているよ」。諦め気分で臨んだ22日の初回2死の第1打席。1、2球目がボール球となり、ブーイングが起こる中、相手先発の江川卓は3球目に内角へのストライクを投げ込んできた。続く外角直球を左前安打。魂を込めて腕を振るエースの男気に心が晴れた。

 3回の第2打席はフルカウントから四球。5回の第3打席は初球の真っすぐを狙ったが、三邪飛に終わった。「江川はいつも勝負に来てくれたし、本当に尊敬している」。投手が橋本に代わった6回はストレートの四球。24日も5打席で4四球と勝負を避けられ、全日程が終わった。試合後、3冠王獲得を記念してチームメートに胴上げされながら、バースは江川へのリスペクトの思いを強くしていた。

 翌86年の6月26日、バースは王の持つ7試合連続アーチの日本記録に王手をかけて巨人戦(後楽園)を迎えた。再び立ち向かってきたのは江川だった。4打席目まで一発は出ずに迎えた8回の第5打席。初球の内角ストレートを一閃(いっせん)すると、大飛球は右翼場外に消えた。

 「グレイト! 彼はアウトを取るために真っ向から勝負してくれた。昨年、55本塁打がかかった時も彼は私から逃げなかったじゃないか」。試合後、バースは自身が描いた鮮やかな放物線を振り返るよりも、真っ先に江川をたたえた。意地とプライドをかけた名勝負の裏側には、ライバル関係を超えた見えない絆が存在した。

 ◆ランディ・バース 1954年3月13日、米オクラホマ州生まれ。67歳。オクラホマ大からツインズ入りし、77年にメジャー昇格。MLB通算130試合で打率2割1分2厘、9本塁打、42打点。阪神に83年に入団し、88年退団。現役引退後はオクラホマ州の上院議員を務めていたが、19年1月で任期満了。右投左打。現役時代は184センチ、95キロ。

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4/27(火) 6:00
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