【野球】元阪神エース、離婚&評論家クビ→酒に逃げる日々も いまは建設現場で監督として“復活” [砂漠のマスカレード★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
暗黒時代に刺した一筋の光。日本中の虎党を熱狂させた左腕は、時代を超え逞しく生きていた。亀山・新庄ブームに沸いた1992年の阪神タイガース。そのチームでエースとして勝ち頭の14勝を挙げたマイク仲田こと、仲田幸司さん(56)は現在、タテジマのユニホームから作業服に着替え建築の世界で活躍している。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210409-11286202-maidonans-000-24259143-view.jpg
https://i.ytimg.com/vi/WA4sX-dvTMY/maxresdefault.jpg
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/03/19/jpeg/20210318s00001173529000p_thum.jpg
https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_tt/tig012-jpp12321322.jpg
「死亡説」や「ガンで入院説」の怪情報も
現職に就いたのは2010年のことだ。先輩でありミスタータイガースの掛布雅之(ハンシンレジェンドテラー・以下HLT)氏のマネジャーも務めたことのある西浦丈夫さんの経営する建設会社、山河企画に入社。1997年の引退後は野球評論家となるも2006年頃には定職を失い、ご縁に助けられた形だった。
当時の仲田さんの状況は最悪だった。所属事務所と評論家を務めていた放送局との関係は悪化。仕事が減少していたところに、離婚も重なり愛娘たちと会えない寂しい生活が続いた。
「あの頃はメシも喉を通らなかったですね。正直、酒に明け暮れてました。ヤケになってましたね。あの頃のお酒は楽しくワイワイやって、家に帰ってバタンキューではない。悪い方に色んなことを考えてしまって、いい酒じゃなかった。次の日に残る酒。そのまた次の日もまた次の日も。メシも食われへんから、どんどん痩せていくしね」
当時、一部の関係者の間では「マイク仲田死亡説」や「ガンで入院説」などという怪情報も飛び交った。直接、会った仲間には「俺はピンピンしてるよ」と話してはいたが、仕事もプライベートもうまくいかず疲弊していた。「離婚もあって、評論家もクビでダブルパンチですよ。一つ間違ったら逝ってたかもわからんくらい落ち込んでましたね」と先の見えないトンネルでもがき苦しんでいた。
それでも、仲田さんは立ち上がった。重圧のかかる阪神でエースを張った男のハートは折れなかった。「俺も飯を食っていかなあかん。挑戦してみよう」と建設業界に飛び込んだ。「社長から『(元プロ野球選手という)プライドを捨てられるか』と聞かれました。何でもします。我慢しますと答えましたよ」。入社後は猛勉強で測量士の資格も取得。現在は現場監督を任せられ、安全管理などにいそしんでいる。勤続10年以上とあって「今の仕事に誇りを持っています」と胸を張る。
現役時代は絵になる男だった。米国・ネバダ州生まれで、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ。幼少時に沖縄に移り住み、興南高では甲子園に出場し注目を浴びた。男前で長身。左腕から直球と大きくタテに割れるカーブを武器に将来を嘱望された。チームが日本一になった1985年には高卒2年目ながら3勝を挙げた期待の星だった。
ただ、順風満帆の野球人生とはいかなかった。練習では誰もが羨むポテンシャルをみせるが、実戦のマウンドでは成績は伸び悩んだ。毎年のように“ブレーク候補”に挙げられるも、2桁敗戦を6度も経験するなど「ブルペンエース」と揶揄されたこともあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc4bce22de6baed4ac4828b033e1a17ea16630a2
4/9(金) 18:00配信 野球との縁は切りたくはない
転期となった1992年は「そろそろやらんと俺もクビかなと思っていた」と前年の秋季キャンプから目の色を変えた。まずは「真っ直ぐの軌道から、右打者の内角にグッと入るスライダー、それと外角にちょっと抜けるボールを覚えた」と新たな技術を習得。さらに元々、メンタルの弱さを指摘されることもあったが「どちらかというと『おりゃ、打ってみろや』みたいなところがあって強気に行き過ぎる傾向があった。でも、タイミングよく甲子園のラッキーゾーンが撤廃されたこともあって、長打を警戒し過ぎず大胆な投球ができたのがプラスになった」と、環境も味方につけた。
「あの1年だけだったかもしれないけど、こうして取材に来てもらえたり、ファンの方から声をかけてもらったりするのは92年の活躍のおかげかなと思いますね」。虎党の記憶に残る活躍は、今でも仲田さんの勲章だ。
社業の傍ら社会人チームの「京都ジャスティス」で投手コーチを務めるなど、野球に関わる仕事も継続している。だが、「試合の時にぶっつけ本番の形で関わるスタイルなので、まだ物足りないなという気持ちはありますね」とも話す。現状の仕事には不満はないが野球との縁も切りたくはない。野球評論家の仕事にも「次から次といい人材が引退してくるから、難しいのは承知の上ですがね。手を差し伸べてもらえるなら、またやってみたいですよ」と心残りも否定できない。本業をしっかりこなしながら、野球とも向き合いたい。それが現状の希望だ。
「今後、学生野球資格回復講習を受けることも考えています。そんな監督とかの立場とはいいませんよ。ちゃんと続けて指導をしている人たちもいますから。でも、野球が好きやし、母校も好きやしね。後輩たちに何かの形で力になるようなことがしたいですね」。
一時は仕事もプライベートもどん底の時代を経験した。それでも前を向いて戦ってきた。そして、野球への情熱がまたふつふつと湧き出てきた。今年の6月には56歳になるが、まだまだ老け込む年齢ではない。ユニホームを脱いだあと、セカンドステージで輝くことで野球界の後輩たちに道を示すこともできる。思いは人一倍だ。「今の仕事も頑張らんといかんですけど、まだまだやりたい事もありますからね」。そう話す仲田さんの目には、勝負師の残り火が光っていた。
◆仲田 幸司(なかだ・こうじ)1964年6月16日生まれ。米国ネバダ州出身。沖縄・興南高から1983年ドラフト3位でで阪神入団。92年には14勝を挙げヤクルトとの優勝争いの中、エースとして活躍をみせた。95年オフにはFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。最多奪三振1度、球宴出場1度(ともに92年)。左投げ左打ち。現役時代の身長182センチ、体重80キロ。 自分が悪かっただけじゃん
56歳で働いているのは普通だろ
こんなものをまるで美談の如く扱うのは異常だよ こういう報道を見ると、井川は大正解なんだなと思ってしまう。
現役時代はケチだ何だで、チームで浮いてたろうけど、
ちゃんと金を残せて、悠々自適に暮らしてるんだから。 >>1
高校時代は興南高校のエースで何度も甲子園出てるんだよな 仲田でもこんなことになるんか
現役の時から先のこと考えて、周りに好かれて真面目にやってないとダメだな 建設業の現場監督って野球やった後でもなれちゃうもんなんだな >>6
美談にできなきゃなかったことにする、がセットだからこそだぞ 源五郎丸なんて名前のインパクトだけで時々テレビ出てるのに、
その関西で実績があるのに評論家クビってよっぽどやな
タレント活動してるからまだいいのか >>8
この前嫁さんに婚約指輪数千万円の買ってあげたってYouTubeで言ってたな井川。 あれ…。本当に92年だけの選手だね。ここまで働いてないとは >>23
猪俣の確変が一年早かったら92年優勝してたな >>12
デーブなんか、人に好かれてるから
仕事に困らないね サッカーのほうのナカタコウジは上手くやってるよな
TVにも出られ出るし
加藤あいとは結婚しそこなったんだっけ? >>今年の6月には56歳になるが、まだまだ老け込む年齢ではない。
今年の記事で1964年生まれなら今年57歳だろ。
サバ読んじゃいかん。 中年から職をがらっと変えて
資格も取ってやってるの凄いわ 心が弱く肝心な時に勝てなかったイメージ
酒に逃げるのも納得 >>8
土地狂ってメジャー行かずに阪神残ってたら08、10年優勝出来ただろうか? 野球なんかやってなかったらもっと人の役に立てた人なのにね 犯罪者にならなかっただけでも偉いよこのオッサンwww もう15年やってるんだから
こっちが本職だな。
よく続いたよ。 関西ベイコムの野球番組で一時期良く出演してたな
最近見かけないなと思ったら現場監督に転職してたんだな 清原にこのオッサンの爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいな 別にエースじゃなかったろ
建築監督は別に底辺ではない >>11
職業差別やで。立派じゃないか。建設現場の何が悪いんだ? >一つ間違ったら逝ってたかもわからんくらい落ち込んでましたね
伊良部・・・ >>6
おまえらって何でも悪口書くもんな
悪口に情熱を捧げた日常、人生 イケメンだし投球フォームもカッコよかったな
なんだかんだでファンの多い選手だったよね
上手く人脈を築けなかったのかコーチにもなれなかったね 猪俣は六大学出身でドラ1なのに
引退後は野球界に残れなかった
そう考えると仲田はかなり恵まれていた部類だな 足場工事の組み立てスタッフなら年収1000万も不可能ではない
プロ入りして数年でクビになった選手なら現役時代より稼げる >>23
14勝は立派だけど12負けしてるからねー。
トータルでも負け数が多いからエース感はないな エースと期待されたことはあったが
エースだったことは一度も無い。 ホーナーに来日初ホームランを打たれてた記憶がある
違ったかな? >>60
猪俣は寿司界のジミ・ヘンドリックスと言われてる 巨人のそこそこ有名な選手からうどん屋にジョブチェンジした人も居たな
店は繁盛してたようだけど >>1
馬場 伸幸(ばばのぶゆき 日本維新の会)
@baba_ishin
ピンチをチャンスに!
朝の来ない夜はない。
私の実家も飲食業ですから
皆さんのお気持ちはよーくわかります。
午前11:52 · 2021年2月6日 >>1
種田は訪問販売だし
南海の西川は運ちゃんだし
デカ高橋はエレベーター屋だし
中日の山田はわらび餅屋だしで
かつての大スターでさえも
落ちぶれるんだな
仲田は現場監督として
年収700万くらいだろうな。 >>8
井川は阪神時代に数年間大活躍したが、仲田は1年間だけじゃん。
稼ぎが全然違うぞ。 >>63
92年はフル回転したから間違いなくエースだったよ
後半はリリーフ登板もしてた覚えがある
他の投手見たら中込が200イニングも投げてたんだな >>75
高橋と山田は全然落ちぶれてないだろ
エレベーター点検員は景気に左右されない安定した仕事だし
山田のわらび餅屋は名古屋で大人気だと聞いた >>71
條辺のことなら、高卒2年目か3年目ぐらいに中継ぎエースとして一瞬輝いたけど
酷使で即ぶっ壊れたヤツだからな
その辺多少申し訳ないと思ったのか、当時監督だったあの人が看板書いてくれたりしたらしい >>7
安定していない職で中年で心が折れる奴なんて山のようにいる
お前が何歳か知らんが、お前の会社が3回倒産して連れ去り離婚された後に前を向いて働けたら美談だよ
俺は30代だけどそれくらいの想像力はついた >>38
本人イケイケ書いてあるけど自制心無くて冷静になれないタイプかな
そういう意味ではメンタル弱いんか >>81
あ、その人や
活躍したのそんな短かったのか
10年ぐらいやってた気がしてた >>75
みんな芸スポの子供部屋おじさんたちよりも立派だよ >>84
20代で贅沢な生活して落ちぶれたって話だろ
庶民には共感できないよ 條辺は回顧録に
・指名当時に契約でプロ入り3年目で投手で結果が出なければ打者転向する事になっていた
・アーム投げで連投適性がなくて1軍昇格してから程なくして肩が痛くなったが上記の契約があるために痛みに耐えて投げていた
こういうのはどこの球団でもあるものだが今も酷使だ何だ言われてるけど昔に比べたらマシになってるわな >>75
700万もないだろ
年収700万って実はすごいんだぞ?
自称年収1000万が多数いる芸スポではバカにされるかもしれないけど 仲田って女子野球の監督やってなかったっけ?と思ったら、中田のほうだったわ >>1
亀山新庄ブームの年に、2ケタ勝ってるのか。たしかリーグ2位だったよね。 何というか、やはり環境に染まるもんなんだな
イケメンマイクだったのに今の姿は誰がどう見ても現場監督って感じになっている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています