慶喜が大阪から鳥羽伏見の戦い中に江戸に帰ったのはほとんど無意識な行動だった気がする。
大政奉還し、江戸城を明け渡し、慶喜は最終的には静岡で趣味三昧で生涯を過ごしたが、
長く士族たちが慶喜を旗頭に担ぎ上げて、
新政府に反乱しようという動きが西南戦争後も継続していたが、慶喜は決して反応しなかった。
たぶん、日本で内乱が継続すれば、西洋列強の植民地に日本がなる、とわかって、
あえて悪者と言われても、ああいう行動を慶喜は取った気がする。