>>714
初期のラジオドラマって当時の著名俳優が勢ぞろいって感じだよ
ソースがあるから引用するけど歴史的名優ばっかり

声優 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E5%84%AA

ラジオドラマ時代

1925年(大正14年)3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始する[27]。
そのわずか1か月後に『映画劇せりふ』の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』のセリフ劇が放送された。
このときの声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。
専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[28][注 3]。
同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門 (5代目)など)、
さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。
8月に小山内薫の演出、和田精の音響効果で放送された『炭鉱の中』とする説もある[29]。
出演者の一人であった山本安英は後に東京放送劇団の指導者を務めている。

同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。
100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。
声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。
この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた[注 4]。
初期のラジオドラマには汐見洋や東山千栄子などこの前年に開場した築地小劇場の俳優が多く出演していた[33]。

1931年(昭和6年)8月から1938年(昭和13年)8月まで日本放送協会の文芸課長に久保田万太郎が就任する。
久保田は文芸路線を掲げて、夏目漱石や泉鏡花、ルナールやユーゴーなどの国内外の文学のラジオドラマ化を推進した。
また、久保田の演劇界での人脈を活用して井上正夫、喜多村緑郎、村瀬幸子、田村秋子、友田恭助などの
新派や新劇で第一線の俳優を起用している[35]。