巨人の梶谷隆幸外野手(32)が26日の開幕戦(東京D)で古巣・DeNAと対戦する。島根・開星高時代の恩師の野々村直通監督(69)が、スポーツ報知を通じてエールを送った。

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 監督冥利(みょうり)に尽きます。教え子の活躍は。梶谷が巨人入りを決断した際には報告があり「日本一の人気球団に入ってますます周囲の目は厳しくなるが、決断を尊重するよ」と言いました。ベイスターズに育ててもらい、裏切り者と見る人もいるかもしれないが、プロはある意味、年俸が選手の評価になる世界。悩んで決断したことですし、生半可な気持ちで野球をやる男ではないですから。

 実は彼は高校時代に2度、野球を断念するかどうかの瀬戸際に立たされています。高校2年の春、腰がひどいヘルニアになり、授業でイスにも座れないような状態。医者からは「このまま野球を続けたら普通の生活すらできなくなる」と言われましてね。悩んだと思います。

 そこからは執念です。特殊なストレッチを教えてもらって、整形外科のいい先生に出会って、治療に何回も行って。その夏はほとんど練習できなかったのですが「お前、試合出られるならそれだけで戦力だから」と試合当日だけ来させてね。とにかく辛抱強くストレッチしていました。執念で治しました。

 そのあと、今度はけん制の帰塁の際にヘッドスライディングし、右人さし指の先を裂傷。たちの悪い菌が爪の間から入って。消毒はしていたのですがその後、指先が壊死(えし)しかけて切断も、という状態になった。私も悩みましたが、本人もがっくりきましてね。当分はボールを放れないどころか、このままなら指が短くなると…。運よく完治しましたが、これも彼の精神力で絶望を乗り越えてくれました。

 プロ入り後も数年は出てこなかったが、高校で取り組んでいた筋トレを再開した。やらなければならないことは、本当に命懸けでやりますね。プロ野球選手だからいろいろ誘惑もあるでしょうが、「野球だけは人から、いい加減にやっているとか言われちゃいけんぞ」と会えば言っていました。そこは、やる男です。徹底的に自分を追い込みます。

 私も幸せでね。69歳でまだ頑張らねばならない立場ですが、いまだに糸原(阪神)とか、彼らのおかげで野球が楽しめます。2月25日にスポーツ報知の1面で取り上げられた「打てなかったら、死ぬんぞ」は、反響も大きく、うれしくて新聞を20部以上も買いました。2年半ほどの接点で私に対して感謝までしてもらい、ありがたいことです。(開星高野球部監督)

 ◆野々村 直通(ののむら・なおみち)1951年12月14日、島根県生まれ。69歳。86年に松江第一(現開星)に赴任し、88年野球部創部とともに監督就任。93年夏に同校を初めて甲子園に導いた。2010年春に辞任も、翌11年復帰。12年3月で定年退職したが、20年に同校監督に復帰した。甲子園の抽選会には、さまざまなド派手衣装で登場。02年夏に純白のダブルのスーツ姿で現れたほか、06年夏には羽織はかまの正装を披露。11年夏は、着物に黒の透けた羽織を身につけた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/79e907cda1b6e7f43b4b8347266ddbf3ca002f05
3/26(金) 6:00配信

https://livedoor.blogimg.jp/burogunews-a0vgglum/imgs/a/9/a9bfa473.jpg
https://hochi.news/images/2020/12/15/20201215-OHT1I50005-L.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=PhUwidxnqSk
梶谷隆幸選手 新応援歌【読売ジャイアンツ応援団】