【野球】斎藤雅樹に土つけた伝説の猛虎戦士 仲田幸司 工事現場監督として街づくりの第2の人生に全力“登板”中 [砂漠のマスカレード★]
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◇猛虎の血―タテジマ戦士のその後―(8)仲田幸司さん
仲田幸司を覚えていますか。沖縄出身のサウスポーで、ニックネームは「マイク」。開幕投手を3度務め、1992年に14勝した男は、56歳の今、建築現場の現場監督として事故は絶対に起こさない信念の下、汗を流す。「どんなときでも胸を張ってやっていく」――。それがエースのプライド。阪神でともにプレーした掛布雅之氏や落語家・笑福亭鶴瓶にエールを送られながら、仲田は現場を守っている。
人懐っこい笑顔は変わらなかった。重機が行き交い作業員が慌ただしく動く建築現場で、ヘルメットをかぶった仲田は現場を指揮していた。
一日の作業は朝早く始まる。ミーティングで作業内容の確認と安全注意事項について報告を受け、注意を促す。現場を統括するゼネコンの責任者と打ち合わせし工事の進捗(しんちょく)をチェックする。担当するのは主に基礎部分。一つの油断が建物の安全性、耐震性に影響するから気が抜けない。基礎部分の杭(くい)の本数や深さ、コンクリートの量が設計通りか、常に確認し細かく写真を撮り万全を期す。冬は寒く、夏は暑い。ハードな環境だが、やりがいを感じている。
「似ているところがあるんです。野球と。ミーティングをして準備し確認し、そして実行する。現場は一つのミスが大事故にもつながる。命に関わるから、決して気を緩めることはできません」
基礎部分の工事が終われば、次の現場に移る。後日、関わった現場にマンションやショッピングセンターができ、多くの人の生活の拠点になったことを確認すると、笑顔になる。「気持ちがいいですね。決して目立つことはないけど、職人さんたちと一つになった結果、街ができれば本当にうれしい」。勝利投手になったときの充実感に似ているかもしれない。
83年ドラフト3位で入団し阪神が日本一になった85年5月12日のヤクルト戦で初勝利を完封で飾った。88、89、93年と3度の開幕投手を務めた。ボール連発で首脳陣をハラハラさせたかと思えば、はまったときは巨人打線も沈黙させる。89年7月の伝統の一戦では完封勝利で、11試合連続完投勝利中だった相手エース斎藤雅樹に土をつけた。
だが、その後は厳しい人生が待っていた。「悔いがあるとすれば、あのFA。阪神を出るんじゃなかった」。95年オフのロッテへのFA移籍から暗転。97年限りで引退し野球解説、ラジオのパーソナリティーなどにチャレンジしたが、露出は次第に減り、仕事も私生活もうまくいかない時期を経験した。そんな時に声をかけてもらったのが掛布雅之。「一度きりの人生。マジメに取り組め」とかつて自身のマネジャーで阪神OBの西浦丈夫が経営する建設会社「山河企画」を紹介された。「中途半端なままでは、応援してくれる人、現場の人に迷惑をかける。もう逃げない」。仕事に打ち込むことを誓い、現在に至る。
応援しているのは掛布だけではない。「マイク、元気か。メシを食おう」と昨年、連絡をくれたのが笑福亭鶴瓶だった。仲田のノーコンぶりをトークのネタにした縁はあったが、会うのは久しぶり。近況報告を笑顔で聞いた鶴瓶からは「マイクが関わった建物なんて危なくて入れんわ」と一流のジョークで、日々の頑張りをねぎらわれた。「逃げずにやっていれば、誰かが見てくれる。だから、今できることを精いっぱいやるしかない」。仲田は再び重機の動きに視線を走らせた。 =敬称略= (鈴木 光)
《野球との関わりは今でも 社会人クラブチームでコーチ》
https://news.yahoo.co.jp/articles/a16b7985306f40a4e88296370dd09ce2742b57f9
3/19(金) 9:00配信
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210319-00000112-spnannex-000-6-view.jpg
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/03/19/jpeg/20210318s00001173529000p_view.jpg
https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_tt/tig012-jpp12321322.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=kVh_4UNeaGM
阪神1992ハイライトN仲田幸司完封で10勝目 野球との関わりは現在も続いている。日々の仕事をしながら、仲田は社会人のクラブチーム「京都ジャスティス」で投手コーチを務める。「もう10年くらいになりますね。投手としてはじん帯を痛めて、もう投げられないけど、ベンチでみんなと一緒に野球をするのが、やっぱり楽しい」といい、シーズン中の週末は京都に通う。現役時代の思い出は吉田義男、村山実の2人からもらった監督賞だ。プロ初勝利をあげた85年5月12日のヤクルト戦時は「これでお母さんに母の日のプレゼントを贈っときや」と吉田から10万円を渡された。村山との思い出は初めて開幕投手を務めた88年4月8日の広島戦だ。北別府学との投げ合い試合は0―3敗戦。「帰りのバスの中で村山さんが怒ってね。『若い投手が一生懸命投げたのに、なんで点を取ってやらんのや』とプンプンだったんです。その後、宿舎で監督室に呼ばれて自分も怒られるかと思った」ところ「よう投げた」と5万円を渡された。「いろいろあったけど、甲子園のマウンドという最高の場所を経験できたのは一生忘れない」と大歓声を懐かしんだ。
◆仲田 幸司(なかだ・こうじ)1964年(昭39)6月16日生まれ、沖縄県出身の56歳。興南では2年夏から3季連続甲子園出場。83年ドラフト3位で阪神入団。85年5月のヤクルト戦でプロ初勝利。92年には自己最多の14勝をマークした。95年オフにFAでロッテ移籍したが未勝利のまま97年に現役引退。通算335試合登板で57勝99敗4セーブ。阪神時代は背番号48と34。1メートル82、80キロ(現役時代)。左投げ左打ち。 >>4
試合数と投球回を見てやれよ
あの阪神だから勝ちはつかないけどしっかり試合を作ってきたじゃないか 92年
久慈と亀山と新庄が出てきて岡田が完全な控えに
リリーフ田村が前半戦で故障して失速 たしかハーフなんだよな
バースがマイクはパーフェクトに
英語喋れるって本に書いてた。 >>5
当時はみんな負け先行だったよな
仲田、猪俣、葛西、野田、中込
潮目が変わったのは湯舟、川尻辺りかな そう言えばこの人も、
仲田幸は阪神で仲田秀は西武、
藤浪、森と同じ分かれ方か。 チート中のチート投手だった齊藤雅樹に投げ勝って 尚且つ連勝記録を止めたなんて凄いやん
末代までの名誉だし 子供がいるんなら自慢出来るし それで一生酒の肴には困らん >>13
うちの近所に住んでるけど順調に解説業してる 仲田幸司レベルですら野球だけで食えないっていうのは意外 興南だっけ
もうおぼろげにしか覚えてないぜナカタコ 阪神のOBでも野球解説やタレントで食っていけない時代なのか・・・夢がないな 92年はちょうどラッキーゾーンが撤去されて
投手が軒並み成績が上がったんだよな
大胆に攻めることができたからな >>19
>>1にもあるけど、ロッテにFAして関西メディアと
離れちゃったからじゃね? 正田も好きでというか興味と勉強で
amazonの配送センターで働いてるらしいけど
このクラスでこれは夢が無いな
こっちも好きでやってんのかもしんないけど 92年のストレートとスライダーのキレは凄かったな
ストレートは低めのコースに糸を引くようだったよ
突然潜在能力が開花した感じだった ロッテにFAのとき、週刊誌に「阪神はホンマ冷たい球団やった」と出てて
その2年後に阪神の入団テスト受けていたのは泣いた >>24
近年、テレビ中継が減ったりコロナで取材が減って野球の仕事が激減したんだろうね
野球のニュースにしてもほとんどの記者が現場に行けないのか
ソースからして減ってるよ >>19
ちゃんと仕事してるから偉いと思うぞ
サッカーファン子供部屋じいさんよりよっぽど ロッテに行って勝てなくなったってことは、当時からセリーグはセカンドリーグだったの? 仲田みたいな成績だったら阪神一筋でいた方が、色々良かったのかもね。 岡田
という有名な打者が
打率1割台にもかかわらず四番を打っていたが
1割台というのは普通出したくても出せる数字ではないし、
さすがに、それで優勝できるチームはない >>22
仲田を怒らせる発言をした当時の球団常務が一番悪いんだけどな とにかくコントロールが悪かったと記憶している
間違ってたらすまん 中村監督の早稲田の先輩の広岡達朗が阪神の臨時コーチをやってな。
投手経験ゼロの広岡がマイク仲田のフォームを矯正して、
コントロール向上、右打者へのクロスファイヤーやスライダーのキレも増して、
万年エース候補がまさかの確変。
その広岡の縁なのかロッテにFA移籍したが、それが運の尽きとは。
ロッテもFAで取ったなら、生え抜き並みにコーチやフロントの仕事を用意して大事にしてやればいいのに。
巨人なんか村田や川口や江藤をちゃんとコーチで使ったのにね。 92年だけ覚醒してるな
暗黒時代に亀山フィーバーで
1年だけ強い時期あったけどあんときか? コントロールが狂いだすともう止まらない。
結局球置きに行って満塁弾打たれて降板、のイメージ。 甲子園のブルペンで肩作ってたら、客にスライダーばっかり投げんなって野次られてぶち切れてたな
まあスライダーをよく痛打されてたし 猪俣、遠山、マイク、ゆふね
暗黒時代も左の先発は豊富だったな
みんな8勝12敗 防御率4.5のいめーじ
抑えの田村もいちじきよかったな
ウィリアムズみたいな左変則ストッパー まだ現役時代だった頃だがスポーツ科学の番組で球界1故障しやすい負担の掛かる投球フォームと分析されてたな
その逆は西武工藤だったかな >>44
なぜか技巧派の左腕と下手投げが多かったな
昔の阪神は
ノムが監督になって、「145出るのは藪しかおらんのか?」と呆れていた
あとバッティングマシンが130キロまでしか出ないのしかないとか
とにかく、球の速いのや脚のあるのを取れとノムがスカウトに命じて、
ようやくプロらしくなってきた こんなイケメンでも野球タレントで食っていけないのか 確かロシア人とのハーフで甲子園のアイドル
元祖ハンカチ王子みたいな人だよ 92年の阪神が優勝してたらその後の人生変わったろうっていう感じだな…
最後は監督の差だった気がするが…
ちなみにこの年のセ・リーグはヤクルトと阪神の戦いだったと記憶されてますが、
巨人が最後に突っ込んできて最終的に阪神と同率二位だったことを覚えてる人は少ない
首位ヤクルトと最下位中日のゲーム差がたったの9しかなかったという大混戦の年でした >>49
一応入団前の触れ込みは最速150とかなんだよ
でも当時の阪神入団するとなぜか最速138になる不思議 YouTubeでもやればいいのにね
あの当時のファンは熱いよ >>55
巨人の斎藤は打てる気しなかったわ
毎回4安打完封されてる印象 里崎がフジサンケイの解説でで自分が一番若いとか言ってて驚いたが
CSで中継してても解説者って少ないんだな >>14
藤浪と森は日本シリーズで対戦することになるぜ。
その時は、今度は西武が勝つと思う。 最多奪三振のタイトルホルダーなんだな
>1は、それを書いてやるべき 左腕ノーコンたまに覚醒の系譜は今だと岩貞が受け継いでる 斎藤雅樹を最も苦手にしていたのは阪神の選手ではなく江藤智
50回以上対戦して、たったの1安打
よくネタにされる、パリッシュよりも打っていない >>56
東京ドームで斎藤雅樹が完封目前の代打真弓の時にラジカセレフトスタンドから放り込んでいたね 何日か前に広島の正田が高校野球のコーチやりながらアマゾンの倉庫で働いてるってスレ立ってたな
野球だけじゃなくて社会と繋がりを持つために働くのは良いことだと思う >>1
取って付けた感丸出しの服だな。
実際はタニマチのパンダなんだろ? 最近亡くなったヤクルトの安田は、現役中のオフに酒屋だかの配達のバイトをしていたな
庶民感覚を忘れたくないと 選手としてやれるのは人生の中でほんの一部の時間だけだしね
保証もないし、辞めた後は真面目に働かなきゃならない 物を作る仕事は大切
お前ら目の前にあるもので自分が作れるものが何個あるんだ サンテレビですらタイガース応援番組やらなくなったな >>17
同時代で同じような勝利数の欠端や金沢が野球一本で食えるとは思えない
人気球団だから有名なだけだと思うよ >>19
マイクって名前のわりには喋りは苦手なのかね >>19
毎日放送でレギュラー番組もあった。やらかしたんではないかと。
>>78
やくみつるが読み書きが苦手なのをネタにしてやくみつるはクソと思ったけど、
まったくのデタラメでもなかったのかも。 俺には阪神が斎藤雅樹相手に勝った記憶などない
勝つどころか3塁も踏ませてもらえてない こういう他業種でも上手くやれる奴は基本的に人格がちゃんとしてるんだろうな
掛布が世話してやったのもその辺だろう 昔、ラジオやテレビで先発は「マイク仲田」とか言ってたけど
なんでマイクなのか全然説明なしだからな
通は知ってるんだろうけど 92年の登板217イニングって鬼すぎだろww
どんだけ投げてんだよ >>78
マイクってのはアソコがマイクみたいな形状だからって聞いたけど >>52
死のロードを前に負広が大きなお土産を持って帰ってきますみたいな大見得切ったときになんかイヤな予感がしたんだよなぁ・・・
案の定死のロードで文字通り大失速してヤクルトにひっくり返され最終的に巨人に並ばれて2位 1991年のシーズン終盤、猪俣、野田、中込、葛西、湯舟の過去ドラ1による謎の5連勝 92年の1年限り確変した
あの年だけ異常にコントロールも良くなった 斎藤雅樹は桃太郎ってあだ名付いてたけど、あれ何でだ? 斎藤さんは才能は凄いピッチャーだけど嫌らしさは無いので、得点圏にランナー置いてオマリーに回せば何とかなる雰囲気はあった。
問題はオマリー一人じゃどうにもならないこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています