【芸能】36年前、松田聖子が郷ひろみとの別れを決めた「あの瞬間」 [砂漠のマスカレード★]
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1984年の大晦日。この年の『NHK紅白歌合戦』一番の話題は、年内限りで引退を表明していた都はるみのラストステージだった。──現在では一応そう伝わるが、実際はそれだけではなかったと言い切れる。
神田沙也加の「不倫騒動」禍で行われた松田聖子「奇跡のディナーショー」
当時13歳だった筆者の関心は、都はるみより一組のカップルの去就に向けられていた。それは田舎の中学生だけでなく、「国民の関心事」と言い換えてもいいのかもしれない。
カップルとは、郷ひろみと松田聖子である。
交際3年半。「結婚間近」の空気は列島に染み渡り、特にこの時期は情報が錯綜していた。
そこでNHKは、紅白の舞台で、二人に“競演”させている。オープニングでは手をつないで登場させ、それぞれの出番においては色を添えるようなダンスパフォーマンス。心憎い演出である。
オープニングの様子は、現在YouTubeで視聴できる。「松田聖子さんには郷ひろみさん、今年最も話題を呼んだ二人の対戦です」という生方恵一アナの進行に引っ張られるように、タキシード姿の郷ひろみと黒のドレスの松田聖子が舞台中央に歩を進める。
生方アナもこの二時間半後に、芸能史に残る大失言をしようとは夢にも思っていなかったはずだが、ともあれ、「一年の締めくくりとして頑張ります」と言う聖子に「ダイナミックにやります」と返すひろみ。仲睦まじい様子に「来年の紅白では、二人は夫婦になっているのだろう」と筆者は感じた。
そもそも、松田聖子は中学生の頃から、郷ひろみの大ファンだった。
コンサートにも足を運んだし、ファンクラブにも入っていたらしい。1978年にアイドルの登竜門「ミスセブンティーン・コンテスト」に応募したのも、全国大会のゲストが郷ひろみだったからだ。
コンテストの九州大会で優勝し、全国大会の切符を掴んだ蒲池法子(本名)だったが、父親の反対で出場は許されなかった。それでも芸能界の道を諦めず、サンミュージックにスカウトされ、80年に歌手デビュー。一躍人気アイドルにのぼりつめた。
郷ひろみとの熱愛が報じられたのは、一年後の1981年5月24日。報知新聞が一面で「聖子・郷結婚!」。日刊スポーツは芸能面で「結婚へ! 郷ひろみと松田聖子」と書き立てた。それでも、松田聖子の人気は下降するどころかむしろ上昇し、一介のアイドルを超えた存在へと肥大化していく。
しかし、年が明けた1985年1月22日、大ニュースが列島を駆け巡った。その日発売の『週刊文春』(1985年1月31日号)で、松田聖子が郷ひろみとの別離を告白したのだ。それを受けて、映画の撮影が行われていた砧撮影所で、急遽会見が開かれた。
「好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」
嗚咽混じりのコメントを、この時期耳にしなかった日本人はいなかったのではないか。そう思わせるくらい、テレビのワイドショーで繰り返し流された。泣き言が流行語となったのだ。諸事情はともかく、松田聖子の言葉選びの秀逸さには舌を巻くほかない。
問題はここからである。涙の破局会見からわずか10日後、驚天動地のニュースが舞い込んだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cab2e565e12421469485308f50c775b5d5ec74d8
3/4(木) 14:01配信 主演映画のポスター撮影のため、ハワイへ飛ぶ直前の松田聖子が、映画の相手役の神田正輝と堂々の交際宣言をしたのである。
「これからも大事に付き合っていきたい」というコメントに「それは郷ひろみだったんと違うんかーい」と突っ込んだのは筆者だけではなかったはずだ。繰り返すが、例の会見から10日後の話である。
松田聖子が神田正輝と初めて出会ったのは、映画『カリブ愛のシンフォニー』がクランクインした前年11月。3カ月しか経っていない。にもかかかわらず、世間は聖子と正輝のロマンスに染まっていく。
そして、3月4日に会見を開いた松田聖子は、神田正輝との交際を正式に発表する。筆者は「煙に巻かれる」ということを13歳で初めて体験したのだ。
そんな中、当時の彼女の心情ともつかぬ痕跡が、確認できなくもない。
1985年1月30日、松田聖子は20枚目のシングル『天使のウィンク』をリリースしている。注目したいのは、破局会見の1週間後であることと「新シャレード」(ダイハツ)のCMソングであること。作詞・作曲がシンガーソングライターの尾崎亜美であることだ。
『白いパラソル』以降、4年間14作連続で作詞を担当してきた松本隆ではないのは解せない。作曲も細野晴臣やユーミンといったいつもの顔触れではない。なぜ、この新曲に限って尾崎亜美にすべてを託したのだろう。
当の尾崎亜美は、のちに事の経緯を次のように証言している。84年の年末のことだという。
「クリスマスが終わった直後、年末の大掃除をしていた私に、松田聖子さんのスタッフから、次のシングルを曲を書いて欲しいという話が届いたんです。(中略)
詳しい話を聞いてみると、曲の締め切りは翌日。しかも、この時はメロディに加えて、歌詞も一緒に書いて欲しい、という内容でした。驚きましたけど、頑張って作ることにしたんです」(ポータルサイト「食卓ON楽〜折々のうた〜」2009年10月9日配信) 慌ただしい年末に発注しておきながら「明日までに」というのは、ごむたいにも程がある。尾崎亜美が無名の存在ならいざ知らず、1978年にはCMソングの『マイ・ピュア・レディ』がオリコン4位、40万枚のヒットを飛ばし、『春の予感‐I’ve been mellow-』(南沙織)『オリビアを聴きながら』(杏里)『あなたの空を翔びたい』(高橋真梨子)などヒットメーカーの地位も確立していた。であるのに、この急なオファーはどうしたものか。
まず言えるのは、関係者の意向だけでこうまで重要な決定が下されるはずはないことだ。そもそも、CMソングが「明日まで」という突発的な発注で成立するとは考えにくい。 ただし、演者自身の意向なら、なくはないのかもしれない。すなわち、松田聖子の希望による急な発注である。CBSソニーにとってドル箱歌手の要求ならば、無下にはできまい。
とすれば、松田聖子は尾崎亜美に何を求めたのだろう。その謎を解く鍵は歌詞にあるのかもしれない。
『天使のウィンク』は、好きな男の子に告白しようと試みる少女と、少女を見守る天使の物語で、早い話が「新しい恋に踏み出せ」というメッセージソングである。それが破局会見の1週間後にリリースされ、CMで連日流されたのだ。はたしてこれは偶然だろうか。
松本隆のいつもの歌詞ではなく、『オリビアを聴きながら』を作った尾崎亜美のセンスが急に必要になった。そういうことではないのか。
おそらく昨年末の時点…つまり紅白の前から、松田聖子は、郷ひろみとの別れを決めていたのだろう。
とはいえ、悩んでいたのは松田聖子だけではない。中学一年生だった筆者は納得のいく説明を欲し、日々悶々としていた。
こういった場合、頼みとなるのはクラスメイトしかいない。英単語でも連立方程式でも教えてくれる賢明なる彼らであれば、何らかの回答をくれるに違いない。
しかし、このときばかりは宿題を教わるようにはいかなかった。「知らん」「判らん」「興味ない」と迷惑がられる中、学年トップの秀才は、筆者の眼を見てこう言った。
「僕にも判らないし、今はそれどころじゃない。だからこれは、僕たちが大人になったら判る問題じゃあないか」
のちに東大に入学した彼の聡明な回答には、改めて感心するよりほかない。
ただし、一番の問題はというと「大人になったら判る」どころか、49歳になった今、余計に判りかねることである。 そういえば二谷友里恵は今頃どんな超人ハルクになってるんだろう? 別に、離れた次の日に誰かと
結婚したってイイだろ! これこそ
スーパースターたる所以だ!!
犯罪でも、何でも無いスターだからだ 九州女は甲斐甲斐しいフリをしながら男を利用してのし上がっちゃるけん
説明終わり 続きがあるかと思ったらこんなまとめ方で終わりってw
思いついたことを垂れ流しただけの記事 「もうコミック雑誌はいらない」の
松田聖子のお嫁サンバ鼻歌
クソ笑ったわ この事変を知っているのは中高年人種だからサァ〜✴リモートしない夜は路駐飲酒休日も必ず外出する奴ラが多い現実 まぁさすがにこんなことやってたから
人気が急降下してく。
アイドルそのものが廃れて
おニャン子に入れ替わるからね。
山口百恵から松田聖子、
そしておニャン子クラブに時代が変わっていった。 >>1
> 生方アナもこの二時間半後に、芸能史に残る大失言をしようとは夢にも思っていなかったはずだが、
大失言てなーにー?何言ったの?なんで書いてないのーーー? >>21
ミヤコはるみを
ミソラ(ひばり)…って言い間違った
すぐ訂正したけど、
都はるみが引退する盛り上がりのど真ん中だったんで
後々問題にされて左遷まで繋がったという噂
実際はそこまでじゃなかったけど
紅白の歴史に残る大事件 まぁ都はるみ、一旦引退して
弟子の育成とかやってたんだけど、
全然うまくいかなかったのもあって
あの引退なんだったの?
って感じだけどね >>22
涙で顔がぐしゃぐしゃになって震えてる都はるみのドアップという一番盛り上がってる時に、「皆様、もう一度都はるみさんに拍手を」と言い掛けて、
「皆様、もう一度、みそら…みそら……」と繰り返して言ってしまった。
誰か(赤組司会者?)の「都はるみさん」と訂正を促す声も聞いた記憶があるよ。
で、すぐに言い直したけど。
震える都はるみさんが「みそら〜」の瞬間目を開けたのも見たな。 神田正輝も聖子も本当は好きでも何でもなかった気がする ベッドに入る前に毎度あのテンションでヒロミ号やられたら醒めるだろ >>20
おニャン子で歌謡曲そのものが衰退し、歌番組も消え去った気もするが 尾崎亜美へのドタバタ発注との前後関係は?だが
松本隆が当時の聖子向けに書いた曲が一つお蔵になってて
酒井法子が何故かそれを何年か後に歌ってたなんて話あったな >>26
はあ
ため息が出る
それにしても結論が分からない記事 これって今でいう大手事務所によるタイアップありきの話題作りだよ
郷の側もすぐ二谷友里恵と結婚するし
神田正輝との結婚は石原プロとサンミュージックの利害関係一致によるシナリオ
あとライバルの中森明菜に勝てなくなってきてレコード大賞も逃したからとにかくゴシップで話題作りして延命を図った感じ 神田正輝「生まれ変わったら一生独身でいる」(実際の発言) 本当に恋愛してたんかって思うほど結婚から離婚までずっと不思議な夫婦だった 聖子84年に留学と称してアメリカに3ヶ月ぐらい行ってたな
同時期当然のように郷もアメリカに行ってたけど
まぁありがちな噂あれこれあったけどさぁどれが正解だったのかねぇ 当時は松田聖子の嘘泣きと変わり身の速さが話題になったw
松田聖子が神田正樹と結婚式を挙げた日かその次の日かに、夜のヒットスタジオで郷ひろみが中継だったと思うが番組に出演してた
スタジオは何とも言えない雰囲気だった
郷ひろみが歌う時に確か司会の芳村真理が郷ひろみに松田聖子の結婚の話をして「綺麗だったわよ」と話を振った
郷ひろみは「綺麗でした?そう、良かった」とだけ言ったと思う
芳村真理は涙ぐんでスタジオ中が涙・・みたいな感じだった
そのあと郷ひろみはその時にピッタリの恋人を失った歌を歌ってた 本人たちがどこまでシリアスだったか知らんけど面白いドタバタ劇だった >>29
80年代後半は、BOOWY、REBECCA、ブルーハーツが出てきて
ロックの時代になるからね
アーティスト型アイドルになれたアイドルは、
中森明菜や中山美穂みたいにしばらくは生き残ってたでしょ。
聖子型アイドルはみんな消えてった。
キョンキョンが昭和アイドル文化をおちょくった、なんてったってアイドルが1985年
あれが象徴的だった。
あ、あれも秋元康だな(笑) 聖子も憧れのアイドル食ったら飽きたんだろ
でその後神田もポイ >>34
> 神田正輝「生まれ変わったら一生独身でいる」(実際の発言)
まじか?ワロタ >>47
?
神田正輝のお母さんは女優
沙也加の面倒は見てない つまらん妄想記事だが最後にオチがあるので許す
でも正輝聖子結婚と岡田有希子の例の件とは関わりが・・・おっと誰か来たようだ 何で松田聖子があそこまで人気が出たのが理解が出来ない。もっと可愛いの沢山いたろ。当時は顔面偏差値低かったのか? 「抱っこして」テープとかあったね。
のりピーの裏ビデオとか。
さんみゅ怖いw まぁ売れるわな
松田聖子 『青い珊瑚礁』 赤いバラの妖精? https://nico.ms/sm16208408 自分のことしか頭にない女の典型
その後離婚と不倫を繰り返すのも当然 >>59
暴露本出されてたジェフやアランだっけ
でも一番ひどいのはやっぱり当時中森明菜と付き合ってた近藤真彦とのニューヨーク密会不倫だろ >>32
世間が一番聖子と郷の噂でもちきりな頃。
<83年度年間売上金額>
01.中森明菜:67.2億円 02.松田聖子:61.4億円
<84年度年間売上金額>
01.松田聖子:78.3億円 02.中森明菜:56.9億円
<85年度年間売上金額>
01.中森明菜:62.3億円 02.松田聖子:56.8億円
※下半期の松田聖子は結婚休養
延命ってのは意味不明。 >>62
84、5年に延命処置したからその売上なんだよ
83年にデビュー1年目のノンタイアップの新人に負けて焦った聖子側
84年にスレタイの通りタイアップや熱愛スキャンダルでマスコミ総動員で郷ひろみとの結婚を煽り成功
85年に突然別れた事を報告する謎会見、すぐ婚約、結婚、披露宴、新婚旅行までカメラ入れてマスコミ煽ってさらなるブースト狙ったけど結局売上負け
以降、聖子復帰するも時代は中森明菜トップに
そして最終手段はゲス不倫の元祖
近藤真彦とニューヨークで密会して話題作り
金屏風事件の流れのきっかけの一つを作る これがあるから神田正輝は旅サラダ一本で80万貰って生活が成り立つんだよな >>63
結論ありきだからそう見えるだけ。
秘密の花園はピンクレディーの記録を抜けるかの所でセンシティブになってた。
財津和夫の曲が没になり、急遽ユーミンに託され発売日がズレた。
松田聖子の全盛期は83年。郷ひろみは関係ない。
一番売れたシングルが80年、2番目が83年、
一番売れたアルバムが86年、2番目が83年。
スキャンダルでテコ入れなんて馬鹿馬鹿しい陰謀論。 大ヒットを続ける松田聖子のアルバム、
82年のパイナップル、そして83年のユートピアで更に爆発。
質もクオリティも無敵状態で安泰だった。スキャンダルを仕掛ける意味なし。 松田聖子と郷ひろみの初接触がこの時のベストテンなんだけどそんなのがどうでもよくなるくらい
山口百恵と松田聖子の最初で最後の絡みに持っていかれる
https://youtube.com/watch?v=jxuQIMtWBFI >>25
なんかそれで白けたんだよな
翌年の紅白は視聴率ダダ下がり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています